性教育の日常的な実践と今後の課題 |
はじめに 性教育にかかわって,ちょうど十年になる。毎年,高等学校の日常の中で,自分なりの課題を持ってやってきた。性教育のLHR,生物の授業,海外研修,文化祭など実践しうる場面場面で工夫してきたつもりだが,性教育の内容の深さと幅を知れば知るほど,注意しなければならない点や理解を深めなければならない点などが感じられた。そして,さらに広い範囲にわたる最新の知識を必要とすることを切実に感じてきた。今回は,これまで感じてきたことや具体的な取り組みについて報告したい。 |
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第1章 性教育を取り巻く状況
![]() この結果を全体的にとらえると,女性や若い世代の教師が「自分を大切にして欲しい」という,生徒への直接的な要望をあげているのに対して,男性や年齢が高い世代では,「性道徳の低下」という社会への影響を理由としてあげていることがわかる。この背景には,教育活動についての考え方に大きな違いがあることを示している。それは,教育活動を個人の幸福に最終的に帰結させるものと考えるか,または教育活動を社会に対する役割を果たすものと考えるかの違いを表している。前者からみれば,後者は個人を大切する視点を欠いているというようにとらえられるし,逆に後者から前者をみれば,個人主義だととらえられることになると思う。 このことは,ほとんどの教師が「性についての指導が高等学校において必要である」と考えているが,世代・性別でとらえ方が違い,考え方の違う教師間の共通理解がなかなか得られにくい状況にあるといえる。 |
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確かに,社会生活へ適応していくことを考えると,青年期の性は指導し導かなければならない部分はあるかもしれないが,完全に否定されるものではない。生徒規則にあえて記述するならば,男女の協調や協力を志向した表現であるべきである。性の素晴らしさや今後の可能性に目を向けて欲しい。 現在の高等学校の生徒手帳の記述の中に,「不純異性交遊」という言葉は,20年前の男女交際に対するとらえ方をあらわしており,そのような言葉が生き続けているのは問題である。 生徒指導用語として「不純異性交遊」という言葉が長く使われてきたが,9年前の1986年にだされた文部省の『生徒指導における性に関する指導』からは,この表現は使われなくなった。また,警察用語としても,1989年から使われなくなっている。現在,補導関係の団体で一部使われている。 性教育は,現在の社会状況をふまえたものでなければならない。性はプライバシーをはじめとする個人の人権にかかわる部分が多い。生徒の日常生活を規制する生徒規則は,生徒個人の人権意識にも影響するものであり,性教育をはじめとするその他の教育活動にも影響する。 校則については,明文化されていても不合理になっていて運用されていない規定が存在していたり,人権教育の視点から見て改善すべき内容を含んでいる場合がある。改正する必要があるのは当然だが,教師(学校)側の都合によって一方的に改正するのではなく,教師と生徒の話し合いによって改正するという手続きを学ばせることも,民主的な社会を体験的に理解させることとして重要である。 |
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この結果を世代的な変化という視点でみると,高校3年男子で特定の異性と交際している割合は,1984年度35.5%,1987年度29.7%,1990年度23.1%,1993年度17.3%と減少している。同じく高校3年女子をみると,この十年間であまり変化なく,1984年度32.0%,1987年度32.2%,1990年度31.2%,1993年度30.8%となっている。1993年のデータで各学年毎で男女の比較をすると,女子の数値が男子の数値の倍前後を示している。この報告の考察では「このような現象は男女の平等意識の高まりから女子が活発になり,男女交際に対しても積極的になってきたためと考えられる」と記述されている。 また,「性交経験」は,高校3年男子で,1984年22.0%,1993年27.1%。高校3年女子で,1984年12.2%,1993年22.3%となっている。性交経験率は男女とも増加しているが,その原因は性について開放的になってきた社会の影響であると考えられる。テレビなどのメディアは年齢差を区別することなく,子どもにも大人にも同じ情報を提供し,また,都市であろうと,地方であろうと同時的に供給するので,性に開放的になっている状況は,都市だけに限られたことではない。 また,当然のことだが,男女ともに,性交を含むキスなどの性的な行為を体験する割合は,学年がすすむにつれて増加している。このような状況の中では,従来のように,性を「寝た子を起こすな」式に隠すように扱ったり,梅毒などの症例で「怖がらせて禁止する」ような否定的・抑圧的な指導はなされるべきではない。今の時代は,「性とどのように関わっていくのか」,また「どのような性行動を選択するのか」を,生徒自身が自分で考え決定することができるよう,適切な材料を与えていくことが必要になってきている。 |
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性に関する行動は,それだけで単独に規制されるものではない。逆に言えば,学校教育の歴史的な流れを反映し,生徒指導の一部として性に関する行動が規制されている。今の学校で生徒指導はどのように行われ,また,どのような方向に向かっているのだろうか。生徒指導が時代とともにどのように変遷したか,その背景も含めて調べることによって,答えが鮮明に浮かび上がってくると思われる。また,性に関する指導の方向も自ずと見えてくると思われる。 私が教師になった1980年頃は,校内暴力が大きな問題となり,「教育の荒廃」が主張され,教育改革についての論議が盛んになり始めた時期である。そして,対応策として「全教師が一体となった指導体制の確立」,「地域との連帯」が求められた。服装や髪型の適・不適など主観的な判断が入りやすいものについては,具体的に色や寸法が校則のなかに明文化され,生徒に強制力をもった一律の指導がなされた。全校生徒を運動場に並べて一斉の頭髪の検査をした学校もあると聞いた。本校も例外ではなく,私が赴任した1983年から1993年まで,頭髪の長さ,スカートの丈,爪の手入れについて,月に一回,終礼時にクラス担任の立ち会いのもとに,生活委員2名と生徒指導係の教師1名でクラス全員を並べて一人ずつ検査項目をチェックする指導が行われていた。これは,一地方の現象ではなく,全国的に行われた指導形態である。15年前に私は愛知県に住んでいたが,近くの中学校で,朝,校門の前で生徒を一列に並べて持ち物検査をしていた中学校もあった。何か収容所のような雰囲気が感じられたのを思い出す。 そして,年月がたち,校内暴力が沈静化に向かい出したとき,今度は,細かい規則による一律で硬直した指導(「管理教育」と呼ばれる指導)に対する批判が表面化してきた。1985年には日弁連が中学・高等学校の校則を調べ,「校則と管理主義が結びつき,違反した生徒への体罰や,登校拒否,いじめをまねいている」という報告を提出した。また,1986年に臨教審が,「学校が過度に形式主義的・瑣末主義的な校則に頼る風潮が根強い」と報告した。 校則に対する批判は,教育現場を知らない人の意見であるという,教師のとらえ方は根強いが,昨今では各学校ごとに校則の内容の点検及び簡素化を中心とした改善が行われつつある。 また,生徒指導にかかわる問題として「子どもの権利条約」がある。この条約は1994年3月29日国会で承認,参議院外務委員会の議決を受けて,国連に批准書が提出され,1994年5月22日に正式に発行した。この条約は,国際条約であり,法的拘束力をもち,国内法と矛盾があれば,国内法を改正を求めることできる。この条約の「子ども」とは,「18歳未満のすべての者」であり,当然,高校生も含まれる。 現在,「保護者の教育情報開示に関する直接請求権」や,「生徒の意見表面権」などについて,この条約によって新たに権利が発生したととらえる側と,これらの権利は既存の法規ですでに擁護されているとする側にわかれて論議されている。1985年に「女子差別撤廃条約」が批准された。「子どもの権利条約」の批准は,このような人権に関する世界的な流れの中の出来事として,理解しなければならない。性教育をセクシュアリティーの視点からの教育ととらえる考え方も,その世界的な流れの中にあることを理解しなければならない。 |
第2章 性教育とエイズ
とりに配布された。そして,エイズ教育が話題になり,教師向けの指導資料が配布されたり,研修会が設定されたりして,色々な機会にエイズ予防についての啓蒙活動が展開されるようになった。教師の中にも,熱心にエイズ教育に取り組む人たちが現れ始めた。例えば,1995年8月に千葉県で開催された日本生物教育会(JABE)第50回全国大会でも,大阪の高等学校教師グループが,生物授業で特別にエイズ教育のための時間を配当している実践例が報告された。発表ではエイズを感染予防の面からだけとらえるのではなく,生物学的(科学的)に理解するとともに患者や感染者の人権保護の面からも考えなければならない点が指摘された3)。 性に関する問題については,生徒指導的・道徳的に扱われることが多く,性に関する教育(性教育)の位置づけができないまま,多くの教師から敬遠されてきた。しかし,最近のエイズの感染原因の多くが,性的接触であるということで,性についての基礎的な知識を扱う性教育そのものが見直され始め,性教育をめぐる状況が変化してきた。エイズという外的な要因によって,人間の性に関する教育をあらためて考える機会が提供されたのだ。 最近になって,研修会などでエイズ教育の実践例が報告されるようになったが,内容的には,文化祭でのエイズを題材とした取り組みや授業計画など,エイズに限定した内容が多く,また発表者も限定されているのが現状である。エイズをきっかけにして,性教育の価値の重要さに気づき,「エイズ教育をするためにも,また人間性豊かな社会をつくっていくためにも,本当に性教育が必要なのだ」という認識が欲しい。 また,エイズに関する教育に使用する資料に「正しく理解することによって,エイズに対する誤解や偏見を取り除くことができます」という記述を見かける。科学的な正しい理解をすれば,差別はなくなるという意味かもしれないが,そうではないと思う。「他人の身になって考える」という隣人愛が学校も含めた社会全体に欠けているという点が大きな問題だと思う。それは今までの教育の中で一番見落されていたことであり,資本主義の論理と個人主義が作った社会の問題である。エイズについては感染予防的な知識を学ぶだけでなく,背景としての社会,性文化についても見直し,考えていかなければならない。 |
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この薬害エイズ被害者が,国及び製薬会社五社を被告として,東京と大阪で損害賠償請求訴訟を提起したのが,HIV訴訟である。原告として高校生も製薬会社と国に対する責任を求めて法廷に立った6)。原告の病状の悪化は著しく,すでに多くの方々が亡くなられており,できるだけ早急に解決しなければならない重大な問題である。1995年10月に,東京地裁,大阪地裁から和解勧告が出され解決に向けて動きつつある。 エイズの問題を取り上げるとき,単に感染予防の知識だけ学習することを目指すのではなく,薬害事件として再びこのような悲劇が起こらないように社会的な側面からとりあげ学習することも重要である。 また、薬害エイズに関すて和解の道が開けつつあるが、薬害の被害者と性行為による感染者とを、「同情すべき感染者・患者」と「自業自得である感染者・患者」ととらえ差別する考え方がある。その捉え方は新たな差別をうむ可能性がある。どちらも死に直面した感染者・患者としてとらえ、その人権を守る配慮や人間の性に関わる問題を再考する場を教育現場として提供しなければならない。 |
第3章 性教育の位置づけと計画
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前者は,性教育委員会で決められた内容にそってLHRの時間や,特別に設定された時間に実施されるものである。最も一般的に実施されているスタイルは,学年集団という単位で講演を聞いたり,映画を鑑賞したりした後に,その感想をもとにクラス担任が指導するものがある。利点は,今まで性教育にかかわったことのない教師でも,他の教師と共通した内容を扱うということで負担感をあまり感じることなくすすめることができ,また,他の教師とも相談しやすく,経験の浅い教師にとっては教師自身の学習の機会になるという面もある。しかしながら,逆にいえば,指導内容は画一的になりやすく,また他の教師に依存する気持ちをもたせやすいことから,計画する担当以外の教師にとっては,その場しのぎの一過性の取り組みになりやすく,それゆえ,「とにかく実施した」というだけの形骸化したものになりやすい7)8)。 教科の授業を主体とした取り組みについては,系統的な指導ができるのは,家庭科・保健体育科・生物・社会科・倫理など教科が想定される。現在では,性教育の副読本も数社から出版され,指導書や補助教材(ビデオ等)が準備されている。保健体育の「卵子」と生物の「卵」のように,同じ対象に対して用語が異なる場合があったり,重複した内容があったりするので,関係教科での情報交換があれば,より深まった無駄のない授業展開ができる。また,自分の担当教科以外の情報から新たな視点が与えられることがあるので,教師にとってもよい学習の機会になる。 特に家庭科については,従前の1978年に告示された高等学校学習指導要領においては,従来通り女子のみ4単位必修であったが,1989年に公示された高等学校学習指導要領においては,男女とも4単位履修にかわった。このことは,家庭科という授業で,社会生活及び家庭生活を築いていく基礎を"男女共習"できる機会が与えられたとうことを意味している。その背景にはライフスタイルの変化や女子差別撤廃条約との関連がある。 |
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当初は,特設授業として校外から講師(医師・警察官など)を招いての講演や映画鑑賞が中心であったが,1985年頃から,HR教室で各担任が計画してすすめる形になっている。1992年からは,全生徒に基本となる教科書(『ヒューマンセクソロジー』一橋出版)を持たせて実施している。指導書及び副教材としてビデオも利用しているが,NHK放映の番組や書籍等を副教材として使用するなど,工夫をこらして実践している教師もいる。 |
第4章 具体的な実践
私自身が過ごした高校生活は,学園紛争も沈静化した時期で,学校生活は自由であった。「修学旅行は,3コース設定され,友達とグループをつくり希望の場所へいく」とか「制帽は廃止する」など,今考えても,生徒にかなりの自治を任されていた。また,逆にいえば,個人主義であり,三無主義(無気力・無関心・無感動)といわれた頃である。私自身が生徒指導で厳しく指導された経験をもっていない。 私が最初に感じたのは,教師側が生徒に対して要求したり,強制したりすることがあまりにも多すぎるのではないかということである。同和教育や性教育のLHRで,映画を鑑賞しても,本を読んでも,最後にまとめや感想を"書かせる"という形になる。制服の着方,式典での礼の仕方,朝のあいさつなど」,どうしても"やらされる"という負担感を生じさせる場面が多すぎるのではないかと感じられるのである。自分の意見を伝えたいが,"聞かせる"とか,"静かにさせる"とかが,さらに溝を広げるのではないかと思われた。そこで,毎日学級通信(実際には私信)を毎日配布するすることで,生徒との交流ができたらと思った。学級通信は読む気がなければ読まなくてもすむものとして与えた。最初は,ごみ箱に捨てられることがあったが,"読ませる"ことはしたくなかった。読まれなくてもできるだけ毎日出すということで自分の気持ちを伝えようと思った。とにかく1日B4版1枚の通信をできるだけ多く出した。1984年度は1年間で200号だした。この通信は1983年から1987年まで続いた。 この通信で感じたことは,教育は,教師から生徒へ一方的に指導され,評価するものととらえられているが,大人である教師も生徒とともに学ぶことも大切だということである。評価し,指導する対象としての関係でなく,新しい世代の,物事や出来事に対するとらえ方の中に,自分自身が成長する材料も転がっているということである。他の教師に教えていただいたことよりも,生徒との関係の中で必要に迫られ学んだことは多い。学級通信を出していた頃,本校にアメリカから留学で来ていた高校生が「日本の教師は生徒に尊敬と服従を要求する」と言った。個人的な意見ではあるが,そのように感じさせるところが,日本の教育にあったのだと思う。 学級通信は,生き方に関したテーマが多かった。「生き方を選択する自由」「善と悪について」「浮浪者襲撃」「現代の性」などを扱った。テーマは本や新聞記事から探して,問題を取り上げた。その中から「高校生が結婚を理由に退学処分になった事件」,「教師との結婚」,「高校生は結婚できるか」などのテーマを取り上げ,LHRで題材にした。 そんな時,同僚の教師から自分が今までやってきた取り組みを性教育の実践としてまとめて報告してみないかと誘われた。性教育とは何なのかあまりよく把握していないままに,具体的に実践したことと,実践を通して学校教育に対して感じた問題点を発表することになった。1986年の第17回日本性教育学会の全国大会でのことである9)。 この大会で,他の経験豊かな教師の発表や性教育の研究者の講演を聞き,性教育について初めて具体的に知る機会を得た。それまで性教育については,学校内の性教育委員会の係りのイメージしかなかった。当時,男性は積極的に係りになる教師はいないような状況であった。大会に参加して,性教育というのは人間の生き方に関係した教育なのだということが,おぼろげながらわかった気がした。自分なりに,後で雑誌や単行本,教師用の解説書で学んでいくうちに,性教育を生殖だけにかかわる教育としてとらえるのではなく,全人格,一生涯かかわっていく教育ととらえなければならないということがわかってきた。ちょうど,その頃は,生徒の性行動に対しても,今までは犯罪と同じように,"させない"ように取り締まる行為,つまり,「規制したり,補導したりする行為」としてとらえていたが,そのようにとらえるのではなく,性を大人に成長していく過程で重要な役割を担うものととらえる視点から「指導と助言が必要な行為」と考えなければならないという主張がされ始めた時期であった。 |
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週に1時間あるロング・ホームルームという限られた枠の中で,性教育を実践することによって,生徒とのつながりを深め,充実した学校生活の一助としての役割を果たすことを期待した。そして,全教師が担任として実践する中で,性教育の必要性についての共通理解が生まれ,より深化した内容を扱える基盤をつくることができればと思った。 教育界全体でいえば,個人的に性教育を研究し,実践している教師は次第に増加してきている。そして,各性教育の研修会での発表例から理解できる。しかし,エイズや性教育の研究指定校などになったために実施している学校はあっても,自主的に学校独自に,学校全体として計画的・体系的に実践しているところはまだまだ少ない。 また,性教育については,計画されたLHRや各教科の授業だけでなく,色々な機会に展開することができる。部活動の中で実践される場合もある。1995年度の高校演劇の全国大会においては,エイズを題材とした作品が公開されたが,その作品の作成にあたっては,関連した知識,押さえておかなければならない人権の問題等についての検討があったであろう。準備する過程で,意識しようがしまいが,エイズについての学習があったし,エイズ患者についての人権の問題も学習したはずである。性について学習は,教育活動全般に及んでいるのである。 文化祭で,「結婚について」調べる企画をたてたらどうだろう。最初はおもしろ半分かもしれないが,生き方の問題が含まれてきた場合,その機会に教師もアドバイスとして,いくつかの学習のためのテーマを提供できるだろう。いろいろな機会に,性についての学習を深化させる機会がある。性教育を直接目的としない活動の中に,学習を深化し,統合させることができる機会がある。では,私自身がいままで取り組んできた例を報告したい。 |
1990年の文化祭で,担任した高校2年生のクラスで,今の社会問題に対する意見を,教師に負けない内容で発表しようということになった。文化祭まで少しくらい苦労しても,文化祭当日は,自由に楽しみたいということで,本の形にまとめようということになった。ジャンル別に分担し,各自がワープロで原稿を仕上げ,製本し,一冊の本にすることにまとまった。具体的には,クラスを6つに分け,グループごとにテーマを決めて,原稿を共同で書き上げることを目標にした。 6月からテーマを決め,夏休みまでに資料を集め,夏休みに原稿を書き上げた。8月末の1週間の補習授業の期間にワープロ原稿を完成し,順番に並べた状態で製本所に持っていった。一冊の製本料約100円で依頼し,最終的には122ページの本ができあがった。 内容は,「臓器移植」「これからの女性のライフスタイル」「校則とは」「エイズ」「医療事情」「老人性痴呆症」などである。いろいろな本からの引用も多く,生徒の完全なオリジナルとはいえないものの,この取り組みを機会に,医療系の進路を考える生徒も出てきたりした。 このことをきっかけに1992年度,さらに,高校3年生の授業の中で,3クラス約100名全員で,エイズについての英語のペーパーバックを翻訳することを試みた。書店の洋書のコーナーを探したりしたが,なかなか適当なものが見つからなかった。結局,夏休みにニュージーランドやアメリカにいく教師や生徒に,中学生や高校生向けのエイズに関する本やパンフレットがあったら,購入してもらうように頼んだ。そこで,ニュージーランドへ中学生を引率した教師が買ってきてくれた『SAFER SEX(WHAT YOU CAN DO TO AVOID AIDS)』13)を翻訳することになった。 英語の教師でも,医者でもない私と生徒との違いは,少しエイズや性教育の本を読んでいるというだけである。自分自身も作業のなかで,必要に応じて勉強し,知識を得て,学習していこうと思った。 実施方法は,次のとおりである。
ほとんどの生徒が,大学受験を直前にひかえている時期であったが,「エイズについての洋書を読めば,英語力と知識の両方が得られるじゃないか」ということで,予想外に盛り上がったものになった。 父親と一緒に翻訳に取り組んだ生徒もいた。また英語の教師に質問した生徒もおり,関係するはめになった方々には大変お世話になった。 製本会社の方には,製本だけを安価な料金でということで,無理なお願いをした。「製本会社は,印刷会社から依頼された形で仕事を引き受けることが多いので,一般の方は,製本会社という存在をあまり知らないのですが,よく直接頼んで見ようと思われましたね」と言われた。あげくに,持ち込んだ冊子の折り込みが雑で「会社の名前があるから雑な仕事はできない」と,一緒に夜中まで手伝って下さった。完成した翻訳本は,卒業式の当日に生徒の手に渡った。
私たちが翻訳に取り組んだ本の原書が,翻訳されて出版されていた(私たちが取り組んだ本は,ニュージーランドで購入したのでオーストラリア版で,原書と異なるところがある)。日本での書名は『マジックジョンソンのエイズにかからない方法』(集英社)になっていた。 どうせ翻訳本がでるなら,何ヶ月もかけて訳すことは無駄であったという意見もあるかもしれない。しかし,生徒と生物の教師でつくった直訳本も,読みにくいかもしれないが,本当にいいものができたと感じている。同じ曲でも演奏者が違えば,それぞれ違った印象を与えるように,原文は同じでも翻訳という作業の結果できた文章もまた,翻訳者の内面が反映するものだと思う。 例えば,集英社版では"bisexual"を「両刀づかい」と訳してあった。この言葉は,旧来の男性社会を背景としたものであり,バイセクシュアル(両性愛者)に対する蔑称である。決して高校生はそのようには略さない。また,エイズサーベランス委員会の発生状況報告の初期のものには,危険因子の欄に,「異性間性的接触」と「同性愛」という言葉が並べてあった。前者は人間の一つの行為を示す言葉であり,後者はアイデンティティーの一面を表す言葉である。言葉には,いろいろな意味が込められている。逆に言えば,注意して用いれば,本当に大切な気持ちを注ぎ込める可能性を秘めている。翻訳の言葉に訳す側の気持ちやその背景が浮かび出てくる場合がある。翻訳した本の中に,次のような箇所がある。
翻訳をしていると,力不足のために訳すことだけに一生懸命になりがちだが,人間の生き方の関わった部分については,背景となる考えが問われる部分がある。そんな部分について生徒と教師が話し合えるような教育活動が大切にされなければならない。
同性愛は,歴史的には,ユダヤ−キリスト教価値観では,生殖を伴わない性は罪悪ととられ,性倒錯,人格障害や精神障害などに含まれて扱れたこともあったが,現代精神医学では,疾病とはみなされていない。WHOの国際疾病分類でも1993年から施行されたものには「同性愛」の項目はない。
数年前まで,NHKは性的なことを放映することを避けてきたのは事実であると思う。しかしながら,国家的なメディアでさえも直接的に扱い始めたことは進歩である。例えば,1992年12月にNHKで高校生ビデオコンクールで神戸の松蔭女子高校の『本当の性教育を求めて』という作品が,コンドームや中絶,胎盤等の映像が昼間の放送に適さないという決定がなされたが,新聞で問題として取り上げられた翌日,「生徒の気持ちを傷つけ,学校にご迷惑をおかけしたことを,申し訳なく思っている。私の責任において放映したい。今回のことで萎縮せずに,力作を制作して応募し続けてほしい」という返答があり,一転放映されることになった。また,NHKの朝の番組で北沢杏子先生のコンドームを教材に取り込んだ授業が全国に放送され話題になり,再放送もされた。このような性に対して正面から取り上げた実践に対して,性に対する興味を煽るものであるとし,「純潔教育をなぜ主張しないのか」といったという批判の手紙が送りつけられたりした。しかしながら,このような報道の歴史的な変化は,世界的な社会問題としてエイズが出現したことがきっかけになっていると思う。 |
高校で生物を教える私だが,1994年にハワイのマウイ島の姉妹校,セント・アンソニー高校へ行く仕事ができた。海外研修(SAINT ANTHONY,SEISHIN EXCHENGE PRPOGRAM)に参加する生徒15人を添乗員と二人で引率するのである。生徒はそれぞれ,姉妹校の生徒の家庭に一人ずつ振り分けられて2週間のホームステイの形で生活体験をした。 研修の全体計画は,姉妹校の先生が考えたもので,その目的は生徒に海外での生活体験をさせることと,英語による授業を体験させることである。このプログラムについては,事前の指導や姉妹校との相談は引率教師に任せられいる面があるので,参加する私たちの側からも課題を一つ提案しようと考えた。生徒が,この海外研修を観光地巡りと買い物が中心の旅行と思ったり,「お客さん」として英語の授業だけ受けて,大切にされてよかったとだけ思うようなものにしたくなかった。もしそうなるとしたら,大人社会の形式的な「接待」と変わらないと思ったからだ。生徒には,事前に課題の本(『日米学校事情・男女交際ってなんだろう』池上千寿子著)と銃社会・人種差別・エイズについての資料冊子を与えた。それから,出発までに英文のエイズ・パンフレットの翻訳を課題として与えた(パンフレットは,マウイ・エイズ基金で,昨年提供していただいたものを使用した)。それから,事前に送られてきたプログラムをみて,エイズについての講義を企画してもらうえないかということを依頼しておいた。与えた材料をきっかけにして,生徒自身が課題をもって現地で生活してくれることを期待した。 ホノルル空港では,私たちが7月31日に入国した日に,日本から約10,000人が入国した。ワイキキのエイズ・ホットラインの1990年のデータによれば,ハワイ大学だけで毎年約600名の日本人が留学してくるという。日本観光客への対応はなれている。 海に囲まれたハワイ州はいくつかの島からなっていて,ほとんどの観光客は人口の一番多いオアフ島に滞在する。私たちが滞在したのはサトウキビ畑とパイナップル畑がひろがるマウイ島である。マウイ島は,大きさではハワイ州で二番目で,火山活動が活発で人が住める地域の少ないハワイ島につぐ。人口ではホノルルのあるオアフ島についで二番目の存在である。マウイにも,ホテル街はあるが,オアフ島滞在の観光客がオプショナル・ツアーでやってくることが多い。観光地であるラハイナの商店街やハエヤカラ火山では日本人に会うことが多いが,ホームステイで生活していているかぎり,日常生活で日本人に会うことは少ない。 ハワイ州だけ訪れると,日本と米国の関係はかなり相互に深いことがわかる。また,日本の情報も十分に得ることができる。しかしながら,米国全体としては,日本とどのような関係にあるのだろうか。日米の相互の情報交換の面で比較してはどうだろうか。朝日新聞が1994年3月8日に掲載した日米テレビ報道記録がある。その記事によると,日本側ニュースのうち,米国または日米関係について伝えたものは1121項目,34時間54分36秒。逆に米国側で日本または日米関係のニュースは92項目,3時間5分。日本の米国についての報道量は,項目数にして米国の日本についての報道量の約「12倍」になる。また,国際ニュース全体の中での日米それぞれがしめる割合は,日本が米国について報道している割合は33.0%,逆に米国の日本報道は3.4%だから,日本の方が米国を「10倍」報道していることになる。日本が米国を重視している面が浮き彫りになってくる。そして逆に,米国は日本を極東の一つの国として報道していることがわかる。 ハワイ州はどうだろう。ケーブルテレビでは日本語放送もあり,日本のドラマが放送されている。日本の情報は非常に多い。日系人も日本人も多い。ハワイ州は,米国の一部だが,日本人の思いの中で「最も近い米国」として存在するかもしれない。
姉妹校でも,エイズについての授業の経験があるということで,今回の研修の中でもエイズの授業をしていただくことを依頼した。以前には,エイズで子どもを亡くした人を招いて授業されたこともあるそうだ。今回は,ワイキキ・ヘルスセンターにつとめる馬場めぐみさんに講義していただくことになった。 米国では,サンフランシスコなどの日本語を使う人が多い地域では,日本語によるエイズ・ホットラインが用意されている。ワイキキでも,1992年の夏から日本語によるエイズ・ホットラインが開始された。そのサービスで日本語による講義も受けられるということで,姉妹校を通して交渉していただき講義が実現した。 彼女は,数日後に日本での国際エイズ会議に出席する予定であったのにも関わらず,2時間の講義と昼食の時間に情報提供をして下さった。 生徒に質問しながらエイズの基礎知識や感染予防の説明をし,自分がボランティアで日常的に接しているエイズ患者の気持ちも含めて教えて下さった。ハワイ州は人口約120万人,そのうちHIV感染者は推定7,000〜10,000人といわれ,生徒はその多さに驚いていた。エイズに直面した場所で,最前線で働いている方に指導していただけたのは,生徒にとっても,私自身にとっても好運だった。 講義の中で感染予防の話になった時,実際にコンドームを持ってこられて,生徒はびっくりしながらも積極的に聞き入っていた。日本とは違った雰囲気の中での授業は新鮮だった。感染予防の避妊具や性器の模型まで使ってのストレートな授業の中で,時折まぜる感染者についての話に,感染者の立場が大切にされていることが感じられた。確かに,共存しかありえない状況と比較的患者・感染者の少ない日本とでは状況は異なっている。そして,それを支える文化そのものも異なっているが,日本でのエイズ教育が,一般的に,あまりにも「公衆衛生的な」つまり「感染予防」が中心のもので,患者の立場が抜けているのを感じた。しかも,日本では予防が重視されているように見えながら,コンドームを見せるかどうかさえ問題になるわけで,予防に必要な初歩的な知識すらなされていないという絶望的な状況にある。 講義後の話の中で,家田荘子の「イエロー・キャブ」の話になった。この本には,自由奔放に性の快楽を求める若い女性の姿が描かれている。馬場さんは,日本女性が,自分から求めて行動しているのではなく,異文化の中で,文化の違いを理解することなく,異文化に流されて行動している結果ではないかという。例えば,何事にも結果を曖昧にする日本の文化が,色々な問題の原因をつくっているといわれた。日本の学校では,授業中には,もの静かに黙っていて,恥ずかしそうに話すことはそんなに問題にはならない。私自身の経験では,むしろ日本では,陽気で,すぐに意見を言う生徒の方が問題のある生徒ととらえられやすい。異文化で育った帰国子女や交換留学生の抱える問題は文化の相違から生まれたものであることか多い。教師の社会も,研修会で指導講師に対して意見があったりはしない。「沈黙が承認を意味する」社会である。ところが,米国では「沈黙は金なり」にはならない。自分の意見をきちんと表現することが重要視される社会である。 馬場さんは,日本の女性は,男性に誘われた時,つき合いたくなくても「あなたは私のタイプじゃない。」とはっきりと拒否できない場合が多いのではないかという。米国では,男性は女性がはっきりと拒否しないことで,嫌われていないと判断し,何回か声をかける。そのうちに,日本人女性の場合は,何回も断っては悪いということで,一回のドライブならいいと,一人ででかける。結果として「性的な被害」にあったり,「奔放な行動」になったりするというのだ。 その話を聞いたとき,今回の彼女の授業を受けたときの最初の生徒の様子が思い浮かんだ。馬場さんから質問されても,知っているのか知らないのかはっきり返事をしない状態があった。心の中で「習ったことは習ったと積極的に言えば,もっと多くの,今しか聞くことのできない話を聞けるのに。」,「主張し,反応しない限り,講師の方は通りいっぺんの基礎知識の話しかできないのに。」と叫んだ。 講義が終わった後で,もっと話が聞きたいから昼食を一緒にとってもいいかという生徒がいた。色々な話をした後,馬場さんが,「それだけ事前に知っているなら,実際にエイズの患者の人に来てもらえばもっとよく理解できたのにね」といわれた。
時代や背景は異なるが,感染性の病気による差別という点から見ると,エイズと同じような問題点をもった病気に,らい病(ハンセン氏病)がある。らい病をめぐる差別の状況は,「砂の器」という映画に描かれている。殺人事件の解決に向け,刑事が推理し,調査していく形で物語は進んでゆく。最後に,らい病にかかったがゆえに故郷を捨てた親子の姿が,テーマ曲「宿命」にのせて描かれる。テレビで,松本清張の追悼番組として放映されたとき,先だって「この作品は差別があった時代の作品です」というテロップが流れたのを思い出す。もう差別される状況はなくなったのであろうか。 私は1992年12月2日に岡山市邑久郡の「ブルー・ハイウェー」のワゴン車と大型トッラクの正面衝突事故を思い出す。(この事故がきっかけとなり,ハイウェーという名称が高速道路との誤解をうむということで,「ブルー・ライン」という名称に変わった)。大型トラックが追い越しをしていて,対抗してきたワゴン車に衝突した事故だった。ワゴン車の運転手は国立療養所のらい病患者だった。同乗のらい病患者5人とともに全員死亡した。翌日の新聞には,6人もの死亡者がでたのに具体的な名前は報じられなかった。名前が語られない死であった。 新聞やテレビ局のような報道機関には,公共性をもった情報をつたえる義務がある。しかし,その反面,プライバシーを侵さない責任もある。おくやみ欄や死亡事故の記事に,毎日のように新聞や雑誌で,「個人の名前」が報道され,それを当然のように受けとめることができるのは,そのことによってプライバシーが犯されたり,不利益を被ったりする危険を感じないからである。 らい病患者の「名前のない死亡記事」はやはりまれなのある。名前を隠した方がよいということは,名前をだすことによって不利益をこうむる場合があるということを意味する。 死んだ時でさえ名前を出すことが,プライバシーを侵すことになりかねない。それはどんな状況であることを意味するのだろうか。その人が個人として名前を持たなくてもよいということを意味するのではないか。国立療養所の中で,本名とは別の名前を語り,死亡しても身内に引き取られない。そのような現実が,現在もまだあるのだ。 報道の姿勢は,その国の文化を最もよく表すと思う。日米の死亡報告記事には,明らかに差がある。確かに,エイズについての差別があること,そして差別しないようにと呼びかけていることは共通している。しかしながら,今の時点で,アメリカのように,公表し説明することによって差別を克服しようとする社会と,対応のしかたが依然としてらい病への場合と変わらない状況の社会では,まったく異なる。 話は少しそれるが,最近,テレビ番組の犯罪報道で,詳細に犯人の情報を得るために,事件の起こった地域社会の人や家族の個人のプライバシーの領域にまで土足で踏み込むことが問題になってる。犯罪報道は,危険を知らせるためや,犯罪を犯すことに対する警告の意味での公共性をもっている。しかし,その報道のために,一般市民までが,個人のプライバシーを犯されるかもしれない危険を感じ始めたことで,問題になり始めたのだ。エイズであることを公表することによってまわりの人も危険を感じる社会はやはりおかしな社会だ。 ハワイに行くことになった時,一般の会社に勤める友人に「ハワイに行けるの。いいなー。」と言われた。彼は観光地としてのイメージを,すぐに思い浮かべたのだと思う。確かにそれが,ほとんどの日本人がもつイメージだと思う。行き先が沖縄であったならどうだろうか。会社からの旅行であれば,マリンスポーツや観光を想像するかも知れなが,学校から行く場合は,沖縄のイメージは,平和学習の対象としての広島のイメージとかさなる部分がある。つまり,戦争による被災地という共通項をもつということがある。だから,生徒にとっての学習目的の旅行先となる。しかしながら,海外研修の場合,学校からの研修旅行であっても,観光や語学研修のイメージが強い。本校でのハワイ州マウイ島への海外研修についても,観光と語学研修という色彩が強く,また希望して参加する生徒の方も,そのように理解している。今回の海外研修では,引率者の裁量の部分で,課題をもって挑むスタイルを実施してみようと試みたが,実際のところ,生徒に気持ちが伝わったどうかは疑問である。しかしながら,何らかの文化の違いを語り合える課題を持つことによってこそ,本当の意味での交流がはかれるのではないかと思う。 参加した生徒の意見に,教室での英語の授業について不満をいう生徒がいた。その意見は「日本でも米国人講師の英会話の授業がある。その場所でないと経験できないものでないと意味がない。」というものであった。 本校の海外研修では,生徒全員が和服を持参していくことが恒例となっていた。しかし,今回は自分で判断して,持っていきたい者だけが持っていくということにした。それは生徒各自が心の中に自分なり課題をもって,研修に挑んで欲しいと思ったからだ。海外研修や国際交流では,観光地を案内され,民族衣装とダンスを拝見し,こちらからは日常的に飲まないお茶とあまり着ることのない和服を紹介する。このような形から一歩進んだものが必要だと考えたからである。 最後に,今回の研修に参加できて良かったというのが私の感想である。それは,「観光地でゆっくりできて良かった。」という意味ではなく,「今まで感じたことのない文化の違いを意識できた。」からだ。まだまだ多くの魅力がハワイにあると思う。多くの日本人が滞在し,日本人によく応対してくれるからこそ触れることのできる文化があると思う。ハワイを観光地としてだけでなく,いろいろな角度から検証してみてはどうだろか。世界にはいろいろな国がある。とらえる視点によって無数の課題を見つけることができる。 ある英語教師の一言を思い出す。「英語を学ぶことによって,日本語を考え直すことが重要なのだ。」という言葉だ。今では,英語は,日本語を考え直すための材料してだけでなく,実際に必要とするようになってきた。しかしながら,いまでも,英語が,日本語を考え直すための材料になっていることは変わらない。海外研修で外国の文化に接し,違いを感じることによって,今の日本の文化を考えてみる材料にしてもいいのではないか。 現地で手にいれた,エイズのパンフレット14)に,次のような箇所がある。 ハワイというところは,たびたび大陸にある合衆国から取り残されて忘れられています。本土から我々(ハワイ)を時には本当にたやすく分離します(特にエイズやHIVのようなむしろ伝えたくない課題を扱うときには)。HIV(もしくはエイズ)について,今日,公に明らかにされていることのほとんどは,本土に住む人たちに用意されたものです。それゆえに,ハワイの人々へのHIVやエイズの影響はとても軽んじられています。(特にアジア系の人や太平洋の島の地域社会では)。 私たちは自分の近くにいてよく知っている顔を,病気で私たちの助けを必要としている人たちだとはわからないでしょう。だから,私たちは自分自身にとってこの病気は「自分」には影響のない(彼らだけのものだ)と考えるのです。不幸にも,ハワイの人々の間で,エイズの報告数は増え続けています。そして私たちの愛する人にふりかかるこの病気に,私たちもまさに直面しようをしているのです。 ハワイにはHIVに感染しながら生きながらえている「隠れた」人々も多くいます。「恥」という文化的な見方によって,多くの人々の態度や行動,ふるまい,助力が制約されています。知らずに感染した人たちもいます。それは検査を受けたことがなかったり,ウイルスに対する抗体が,見つけられるほど増えていなかったためです。差別されたり,「エイズになった人」としてレッテルを貼られたり,家族や友人から避けられたりするのを恐れて,自分が感染しているのを誰にも言わない人たちもいます。 エイズのような難病を経験している家族や友人,そして,我々の同胞を擁護することは大切なことです。今,これほど助けを必要としている時はないのです。本当に恥ずべきことは,私たちがその助けを与えることを怠ることです。 この文章からあなたは何を感じるだろうか。 |
ポスターはもともと相手に対して強烈なメッセージを伝えるためにつくられたものである。どんなメッセージが含まれているかを生徒に課題として提供することによって,一緒に考える場の雰囲気をつくることができる。そして,ポスターが放つ直接的なメッセージだけでなく,背景の社会を反映したメッセージとしてとらえることによって,社会のあり方を考える材料を得ることができる。 電車内でつり下げられた競艇の広告の中に,いろいろな色のレオタードをまとった女性の身体(首から腿)を並べたものがあった。身体には,無秩序な番号がうってあった。女性の身体をボートにして,どれを選びますかということらしい。意識しなければ何気なく見過ごしてしまう広告ポスターである。誰からもクレームがつくこともなかっただろう。しかし,この材料を,女性の視点で見たとき,男性の女性に対する見方を反映したものととらえることができる。 1991年度世界エイズデーのためにエイズ予防財団がつくった二枚のポスター「いってらっしゃい。エイズに気をつけて。」,「薄くても,エイズにとってはじゅうぶん厚い」がかつて問題になった。一枚はパスポートを持った男性が,海外での売春に出かけることを認容した印象をあたえるものであり,もう一枚はコンドームの中に裸の女性という構図が,女性を侮辱しているということであった。 背景に,エイズが世界的な社会問題となり,緊急に注意を喚起する状況にあったことは理解できる。そのために,いままでにない思い切った直接的なメッセージを持たせた構図をとったのだと思う。社会的にインパクトが強かったのは事実だが,確かに問題はあった。このようなポスターを授業で提示するとき,すぐに社会的な反響や意見を紹介するのではなく,生徒にどんな感想をもつか考えさせることから出発すれば,生徒の考え方にふれる機会にもなりうる。 また,1993年3月5日発行の学校保健ニュース(日本写真新聞社)の掲示新聞も教材になる。『エイズは確実に死ぬ病気”純潔”こそがエイズを防ぐ唯ーの手段』という題の新聞に「年頃の異性と二人きりで喫茶店に出入りしたり,部屋や車内で二人きりになることから,不純異性交遊は始まっています。やさしい誘いも,断固としてことわる勇気をもちましょう」,「純潔とは心もからだもけがれなく非行をしないことです」という表現がある。先に第1章の生徒規則の男女交際の校則規定の具体例をあげたが,類似した表現があったと思う。このようにエイズに関する教育を喚起するポスターやパンフレットにも,依然として生徒の性行動を「不純異性交遊」ととらえるているものがある。このような教材を提示するとき,教師自らがどの視点に立っているのかを点検し,また,生徒の性行動について「不純異性交遊」ととらえる視点を生徒がどのように考えるかを点検して欲しい。 第4章で紹介したハワイのエイズ・パンフレットは,海外研修の際に,マウイ・エイズ基金の事務所(MAUI AIDS FOUNDATION)で入手したものである。エイズ・STD・性知識等についてのパンフレット37種類とエイズ関連のポスター3種類を提供していただいた。教育に使うということを伝えれば,積極的にいろいろな材料を無償で提供してもらえる。特にパンフレットは,日本のものと内容的に大きな差を感じる。多国語のものが提供されており,年代別につくられたもの,同性愛者を対象としたもの,女性のためのものなど,色々なものがある。文化の違いを感じさせる。エイズの歴史や他国の状況を考える教材として有効であると思われる。 どこにも,興味づける材料はあるし,いろいろな取り組みが,性教育に関係している。しかしながら,性教育は,生きるライフスタイルが問われる問題であり,型にはめて,教師から生徒へ伝える一方的な価値観で扱うことは,拒絶を招くことが多い。また,生徒の自己問題解決能力の発達を妨げる行為でもある。 |
余談だが,「丸刈り強制は人権侵害」として問題になってきた丸刈り校則が,1995年12月22日に岡山県内全公立中学校ではなくなった。規定のあった県北の中学校2校の規定が改訂されたのだ16)。 このように教育現場を取りまく状況は日々変化している。性教育を取りまく状況も変化してきた。「性教育なんて」という侮蔑の言葉を投げかけられたこともある。教育活動として許されない時期もあった。来るべき時代はどのような時代だろうか。個人主義で社会が滅びるという人がいるかもしれない。しかし,私はこれからは,個人が大切にされる時代であって欲しいと思う。 |
参考文献 性教育協議会:性に関するアンケート 集計.平成7年度研究集録.p47-50(1995) 2) 東京都幼稚園・章・中・高等学校性教育研究会 : 1993年調査 児童・生徒の性.学校図書(1993) 3) 浅田高世:「AIDS教育」の授業実践報告.日本 生物教育会第50回全国大会千葉大会要項.p120-12 1(1995) 4) 草伏村生:血液製剤で感染した私からの訴え. 月刊高校生1月号.p10-19(1993) 5) 広河隆一:薬害エイズ(岩波ブックレットNO. 373).岩波書店(1995) 6) 菊池治:エイズを生きる子どもたち(10代の感 染者から学ぶ).かもがわ出版(1994) 7) 秋山繁治:高等学校での性教育の実践と課題 (HRと教科での指導).全国性教育連絡協議会 第23回全国教育研究大会要項.p48-49(1993) 8) 秋山繁治:高等学校の性教育の実践と課題(日 常的な教育活動の延長としての実践).第1回 中国・四国・九州ブロック性教育研究大会香 川大会要項.p26-27(1995) 9) 秋山繁治:高等学校での性教育の実践と問題 点(ホームルーム担任として).日本性教育学会 第17回全国大会要項.p39-40(1986) 10) 秋山繁治:"SAFER SEX"の翻訳によるエイズ 学習.月刊高校生3月号.p38-45(1994) 11) 山陽新聞:感染者手記を利用し教育・清心女 高 秋山教諭・エイズ予防に取り組む.(1993. 1.22) 12) 秋山繁治:エイズを学ぶ海外研修旅行.月刊 高校生6月号.p62-69(1995) 13) EARVIN "MAGIC" JOHNSON:SAFER SEX (WHAT YOU CAN DO TO AVOID AIDS).(1992) 14) STUDENTS AND HIV() 15) 秋山繁治:学校の性教育はどこに向かってい くのか.第10回岡山県性教育研究大会要項.p5 -9 (1995) 16) 山陽新聞:丸刈り校則・全公立中で廃止に・最 後の2校も中国5県では初.(1995.12.23) |