野外彫刻レポート |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物 | 男 | 着衣 | 桃太郎・犬・猿・きじ | 岡山市 | 岡山駅前 | 不明 | 桃太郎 | 岡本 錦朋 | 不明 |
設置環境 |
| 岡山駅前の噴水広場にあります。この広場は、最近美しく整備されて、待ち合わせ場所にはもってこいの場所です。その目印として、岡山のシンボルと言える「桃太郎像」建てられています。 |
作品の説明及び分析 |
| この像の前で、何度も待ち合わせをしたことがありますが、正面からまじまじと、「桃太郎」と向き合ったのは初めてでした。そして、大変な衝撃を受けました。桃太郎のいかついことといったら・・・。妙にリアリティのある巨大な桃太郎は、昔、絵本で見たような、かわいらしい桃太郎とは、まるで別人でした。少し夢が壊れてしまったような気がします。しかし鬼退治をやってのけてしまったくらいだから、これくらいの迫力が必要なのでしょ う・・・。 |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物 | 女 | 裸体 | 女神 | 岡山市 | 岡山駅内 | 不明 | 不明 | 不明 | 1977 |
設置環境 |
| この像は、JR岡山駅の新幹線乗り場の近くにある女神の広場にあります。今回初めて、この女神像の存在に気がつきました。そして初めてこの広場の名称に納得しました。ひっそりと立っているこの女神の存在にまだ気がついていない人も少なくはないのでは・・・? |
作品の説明及び分析 |
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この像は、私が写真を撮った中で、唯一裸体であったものです。初めてこの像を見たのですが、なんだか寂しげな印象を受けました。女神と言ったら温かくて優しいイメージがあるのですが、この女神は、なぜか悲しそうに見えました。暗い照明で照らされているせいなのでしょうか・・・。 |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物・動物 | 男 | 着衣 | 少年・イルカ | 岡山市 | 岡山駅内 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 |
設置環境 |
| この像はJR岡山駅の一番外にあるイルカの広場にたてられています。この広場ではいろいろな催しが日替わりで行われていて、いつも人がいます。この像の前で一休みする人も多いです。 |
作品の説明及び分析 |
| イルカの広場にこのような像があるのを、実は初めて知りました。しかし私はこの像が今回見た中で、一番気に入りました。その一番の理由は、とにかくかわいいこと!イルカに乗った少年が水しぶきを立てながら宙に飛んでいるような光景は、まるでギリシャ神話の一ページの様です。なんだか神秘的な雰囲気のあるこの像。もしかしたらこの少年は天使をイメージしているのでは・・・?(というのは、私の勝手な解釈ですけど。) |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物 | 女 | 着衣 | 成人 | 岡山市 | 福浜小学校 | 不明 | 人見絹枝 | 石黒 孫七 | 不明 |
設置環境 |
| この像は、私の母校である福浜小学校に建てられたものです。なんと、人見絹枝さんは、福浜小学校の卒業生!つまり私は彼女の後輩だったりするのです。この像は小学校の中庭に建てられています。 |
作品の説明及び分析 |
| この人見絹枝像は、小学校の中庭にあるため、休み時間には、周りでたくさんの小学生が集まってきます。マラソン選手である彼女の像は、ダイナミックに走っている姿のもので、とても力強く、堂々としています。この像を見ると、このような偉大な方がこの小学校にいたのだなあ・・・となんだか得意げになってしまうのです(笑) |
分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
動物 | 哺乳類 | 犀 | 岡山市 | 支所前 | 岡山市 | 犀 | 義棟光 | 1974 |
設置環境 |
| 岡山市民会館西大寺分館の前の広場にある犀は |
作品の説明及び分析 |
| 24年前からあり、いつの時代も子供たちに親しまれています。この犀の由来は金陵山西大寺に伝えられる寺記によると宝亀八年(777年)紀伊の安隆上人が大和長谷観音のお告げによって当地に観音堂建立のため諸国で資材を集め来航の途中、児島の南の裏槌戸で急に海が干潟となり、犀の角を持った龍神が現れ「この角を持って地をかため本堂を建立せよ」と上人に授けられました。これにちなんで出来上がった寺を犀載寺となずけられたがその後,承久三年(1222年)後鳥羽上皇が北条氏調伏の祈願分に西大寺と書かれたため以後、現在の寺名,西大寺にあらためられるようになりました。このたび〔社〕日本青年会議所中国地区岡山ブロック協議会創立十周年会員大会が西大寺で開かれるにあたり、その故事を思いだし犀の望像を建立して記念事業としたそうです。 |