野外彫刻調査レポート |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物 | 女性 | 着衣 | 少女 | 東粟倉村 | 公園 | 不明 | 踊り子 | 西平孝史 | 不明 |
設置環境 |
| ベルビール自然公園にある。この公園は標高1047mの日名倉山中腹にあり、日本一大きな愛の鐘リュバン・ベール(「緑のリボン」の意味)があります。この鐘は直径約2m、高さ約1.8m、重さ約6トンで、高さ18.2mの凱旋門に似た鐘楼に収容されています。鐘楼の横のロンポアンダムール広場には、母子像、少女像、老人像などの彫刻があります |
作品の説明及び分析 |
| 大きく後ろに反り、体全体で踊っている女の子。本当に今にも動き出して踊りそうなきがする。この女の子は、何の曲に合わせて踊っているのだろうか…。なんとなく見た目には、明るい曲に合わせて踊っているような気がする。この女の子も、この場所にたたされた時からずっと、観光に来た人たちに向かって、踊り続けていると思う。夜中になると、この女の子は台を降り月明かりをうけながら、どこからともなく聞こえてくる曲に合わせて踊っているのかもしれない…。(女の子の顔が見えなかったのが少し残念デシタ・・・) |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物 | 混性 | 着物 | 母子 | 岡山市 | 道路沿い | 不明 | 不明 | 千代木昭平 | 1977 |
設置環境 |
| 西川緑道公園には多くの像が建てられています。この像は西川アイプラザ前にあります。自動車の往来は多いのですが、この像の周りには人通りは少ないです。 |
作品の説明及び分析 |
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この像は特に目立つわけではないのですが、私はこの像に一番良い評価を付けたいと思います。この像には、一人の母親とも思える女性と、その女性の子供とも感じ取れる幼い子供、そして小鳥がいます。表情まではハッキリわからないのですか、女性は優しく微笑んでいることが作品の雰囲気からわかります。子供は甘えているのかどうかわかりませんが、とてもその女性が好きで好きでたまらないということが切に伝わってきます。小さな小鳥は、その女性の掌の中で気持ち良くなって眠ってしまったのか、それとも美しい歌声でさえずっているのか?考えるだけで一つの世界が広がっていきます。しかし何故女性の片方の胸が見えているのでしょうか?大体の像は、裸体であることは、私にとっては不思議な事デス…。 |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物 | 女性 | 着衣 | 成人 | 岡山市 | 公園 | 岡山県 | 郷土が生んだ陸の女王 | 不明 | 不明 |
設置環境 |
| 岡山県運動公園の陸上競技場前に設置されている.この公園内には野球場やテニスコートなどのスポーツ施設もあり、特に土日、祭日は人が多い。 |
作品の説明及び分析 |
| 人見絹枝は、岡山県が生んだメダリストでありその名の通り陸の女王である。陸上競技場前にうれしそうな顔で走る彼女が、太陽の光で輝やいて見える。その他にも、陸上競技場には、たくさんの銅像があり、どれも素晴らしい作品ばかりである。また、陸上競技場では、さまざまなスポーツが行われ、休日は観客や、家族連れでにぎわっている。また、Jリーグの試合も行われたことがある。子供から大人まで楽しめるナイスな場所である。 |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
人物 | 女性 | 裸 | 成人 | 福山 | 美術館 | 福山市 | 水欲の女 −大・第7− | 陶山定人 | 1968 |
設置環境 |
| 福山美術館西側の彫刻エリアに設置されている。 |
作品の説明及び分析 |
| いつも、美術館の中ばっかり見ているから、こんな作品があるなんて気付きませんでした。この作品の作者、エミリオ・グレコは、1913年、イタリアのシチリア島カタ−ニャに 生まれました。1956年第28回ヴェネツィア・ビエンナ−レ展において、「水浴の女NO.1」で彫刻大賞を受賞。以後 1968年までにこの作品をもとに7種類を 制作しました。この作品は7番目のものです。優美さと独特の曲線を秘めたグレコの代表作の一つといわれています |
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分類1 | 分類2 | 分類3 | 注 | 市町村 | 場所 | 設置者 | タイトル | 作者 | 設置年 |
動物 | 哺乳類 | 犀 | 岡山市 | 支所前 | 岡山市 | 犀 | 義棟光 | 1974 |
設置環境 |
| 岡山市民会館西大寺分館の前の広場にある犀は |
作品の説明及び分析 |
| 24年前からあり、いつの時代も子供たちに親しまれています。この犀の由来は金陵山西大寺に伝えられる寺記によると宝亀八年(777年)紀伊の安隆上人が大和長谷観音のお告げによって当地に観音堂建立のため諸国で資材を集め来航の途中、児島の南の裏槌戸で急に海が干潟となり、犀の角を持った龍神が現れ「この角を持って地をかため本堂を建立せよ」と上人に授けられました。これにちなんで出来上がった寺を犀載寺となずけられたがその後,承久三年(1222年)後鳥羽上皇が北条氏調伏の祈願分に西大寺と書かれたため以後、現在の寺名,西大寺にあらためられるようになりました。このたび〔社〕日本青年会議所中国地区岡山ブロック協議会創立十周年会員大会が西大寺で開かれるにあたり、その故事を思いだし犀の望像を建立して記念事業としたそうです。 |