発展科目レポート
野外彫刻について



<はじめに>
 このレポートを書くきっかけは、発展科目に時間に出された課題だ。もしこの課題が出されなかったら、私は彫刻を調べるなんて事はしなっかっただろう。
私が調べたのは、倉敷駅南口の花時計の上にある「鶴の親子順風の像」、三越にある「ライオンの像」、倉敷市役所にある、「大山茂樹の像」である。

1,倉敷駅南口「鶴の親子順風の像」>
 これは倉敷鶴形ライオンズクラブ十周年記念(昭和56年)に作られたものだ。製作者は平野富山、材質はブロンズ、設置年は昭和56年である。設置場所は倉敷駅南口花時計の上だ。
 また、この像は人間と鶴が繋がっている。そして、子供からは翼が生えており、斜め前の方に傾いている。高い位置から降りて来ているように思える。この彫刻は、ただ単に遠くから見ただけではよく分からない像だと思う。現に、私も実を言うと、今までよく見ていたはずなのに、この課題が出る前までは、この像がなんと言う名なのか分からなかった。しかし、調べる事によって、なんと言うものなのか、そして、考えることを学んだように思える。



<2,製作者、平野富山>
 出身地:静岡県清水市江尻
 作品 :塑像や色彩木彫に多くの優れた作品を残した。  
      市内各所にあるブロンズ像は人々の目を楽しませている。

<3,倉敷三越ライオンの像>
 このライオンの像は、東京・日本橋三越店にあるフロントの像が母型になっている。
本店のライオンの像1914年(大正3年)日本における近代百貨店の始祖日比翁助がロンドンのトラファルガー広場のライオンの像を見て、かねがね構想をねっていた三越のシンボルと決め、模して作らせたものだ。
 人に見られないで三越のライオンの像にまたがると、「大学、就職試験に合格する」という言い伝えがある。
 今までよく見ていたライオンの像なのに、製作者はもちろんのこと、こんな言い伝えがあるなんて、知りもしなかった。調べれば、今まで知らなかったいろいろなことが分かって面白い。



<4,倉敷市役所「大山茂樹の像」>
 大山茂樹は、明治36年倉敷市沖で誕生。  この像になった人物は、上記したように大山茂樹である。この人は、元倉敷市長で、自分の私有地だった土地を市民の為に道路にし、また、退職金の4割も市に寄付したことで周囲に知られている。 この像の設置場所は倉敷市役所、入ってすぐ右手に見える。



<5,感想>
 このレポートの課題が出て、3つの彫刻を調べた。今までよく見ていたものな筈なのに、製作者はもちろんの事、題名さえ知らなかった。まして、製作者の意図など、考えもしなかっただろう。というより、街角の彫刻などには正直、興味が無かった。また、置いてある場所にも問題があるように思えた。私が調べた彫刻は、あまり目立っていないような気がする。目立つような所へ置け、とは言わないが、配置する人は製作者の気持ちも考え、もう少し配慮しても良いのではないだろうか。私はそう考える。