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 バーバラ・マクリントックは1992年9月2日に亡くなりました。バーバラ・マクリントックは、早くから細胞遺伝学に関わり、若くして当時の女性研究者として考えられないような名声を獲得した。そんな彼女が40代半ばの頃、実験中に生じた疑問を解決しようと追求する過程で、遺伝子が染色体上を移動するという仮説を思いついた。自信を持って発表したにも関わらず、彼女の着想があまりに斬新で急進的であったことから研究者の間で孤立してしまった。当時の常識では、遺伝子は染色体上に固定され順番が決まっていると信じられており、遺伝子が染色体上を勝手気ままに動き回るというのは受け入れがたい考えだったのだ。それ以後のマクリントックは、女性への偏見も加わって、助手も弟子もなく、たった一人で遺伝子研究に孤独に取り組んでいったのである。彼女の先見性が認められるまでに実に30年という長い年月を要したのであるが、その間彼女を突き動かし続けたのは内的な“知的な感動”としか考えようがない。学問には正解もなければ範囲などというものはない。新しい発見は、むしろ既存の正解と既存の範囲から逸脱するところから生まれる。学校で真面目に勉強すれば不可避的に生ずる疑問や興味は、追求していくと教科書の範囲から逸脱することは避けられない。しかしながら、現在の入試による進学システムでは教科書の範囲を超えて勉強することは、不利になることはあっても有利になることはない。受験生は胸に抱えた疑問や興味を押し殺して、一定の範囲内の知識だけを完全に覚えることを要求されることになる。十代の最も頭の柔軟な時に、重箱の隅をつつくようなことをしなければならないのは辛いことである。だからといって「勉強なんてつまらない」と学問から離れていくのはあまりにももったいない。バーバラ・マクリントックが、その人生を“知的な感動”で支えたように、皆さんにもにもそれぞれの“知的な感動”を大切にして前向きに学び続けて欲しいと思う。

  • 投稿者 akiyama : 22:20
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