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「生命科学コース」の開設からの学校改革を目指した背景に、卒業生が勤めていた鷗友学園の取り組みがある。その取り組みが『中央公論』の記事に紹介されていた(卒業生が、鷗友学園の実験書などの資料ととも記事を送ってくれた)。

[中央公論 113(13), 90-101, 1998-12]
教育改革現場ルポ--鴎友学園はなぜ立ち上がったか 中井 浩一 p96-99引用

 私学においては建学の理念こそが問われている、とはよく言われることである。しかしそれは私学に限ったことだろうか。私学・公立の区別なく、およそ学校において一番重要なのは理念、すなわち何を教育目的とするかであろう。なぜだろうか。学校とは組織の一つであり、
すべての組織と同じくある目的を達成するために存在しているからである。
 では組織が改革されなければならないのはなぜなのだろうか。本来の目的が組織内外の事情で果たせなくなったからであろう。組織が硬直したり、組織防衛に専念するうちに本来の目的が忘れられてしまった場合などである。しかしより根本的な改革が求められる場合がある。時代の変化によって、求められる目的自体が変わってしまった場合である。このときは従来の組織を根本から否定し、異なる理念による異なる組織を作りださなければならない。
 いま問題になっている学校改革の場合がまさにそうである。社会の高度情報化と国際化によって、求められる人材が変化してしまったのである・それは、従来の「学校」、つまり明治以来の国家主導 の教育体制がその使命を終えたことを意味する。「学校」は低コストで均質の 知性を大量生産することに成功し、日本の近代化、敗戦後の高度経済成長に貢献した。しかし高度情報化社会に求められているのは創造的で多様な知性、つまり以前よりはるかに高い能力である。
 従来は「個性的教育」と「画一的教育」の違いを「良い・悪い」「正しい・間違い」「真・偽」で議論してきた。しかし本質的には能力の違いとしてとらえるべきではないだろうか。社会の成熟・発展の異なる段階で、求められる能力に高低の違いがあることは当然であり、それを善悪、正邪、真偽の範疇でとらえることには無理があるのではないか。
変化したのは社会の要請だけではない。教育の対象である子どもがすっかり変わってしまった。家庭や地域の教育機能が低下し、子どもをとりまく環境が激変したからである。こうした変化に従来の「学校」は対応できないでいる。
 いま世間で私学・私塾が注目されているのは「学校」という概念自体が無意味になりつつあり、国家管理の公教育が根底から問い直されているからである。私教育は自主独立を旨とし、教育目的には「自由」「個性」を標榜してきた。事実、学校改革においては私学は公立より十年は進んでいる。私学においては少子化は弱小校の死に直結し、いち早い対応を迫られたからである。中・高六年一貫教育はその切り札であるが、その内実が問われている。
 新時代のために行われはじめた教育内容を見ると大きく三つに分けられるようだ。英語教育やコンピューター教育などの実学的なもの〈(これをAとする)。従来の「与えられた問題を解く」教育に反対し、「問題発見・解決能力」を目的とする教育(これをBとする)。自我の発達、進路・進学を決める能力を目的とする教育(これをCとする)。この三者はいずれも新たな取り組みであり、模索が続いている段階である。理論的にも三者が相互にどう関係し、それが高度情報化と国際化の動きや子どもを取り巻く環境の変化にどう対応しているかが問題として残されている。
 では鷗友学園の教育内容はどうだろうか。そこではCを中心としABを行っているといえよう。Cとはすでに紹介した「アイデンティティの確立をめざす」ホームルーム活動のことである。Cが中心になることは、思春期を生きている生徒を対象とする中学・高校では当然だろう。彼らは自分の生き方、将来を決めるために、「自己とは何か」、「人間とは何か」という根源的な問いに直面する。親や教師への依存から抜け出し、友人関係を見つめ直し、孤独の中で自己と向き合う。そこから生まれてくる固有の関心、問題意識が進路や進学先を決める。これは各人のアイデンティティを確立すること、と言い換えてもよい。
 中学・高校教育では、生徒の問題意識の形成のために学校の全教科が有機的に組織されるべきであり、そのために全教師が協力できることが理想である。鷗友学園のホームルーム活動は、そのための大きな一歩であろう。、
 このプログーフムが時代の要請に応えるものであることは、鷗友学園の有名大学進学者の増加からも推察される。大学の入試改革、すなわち論文入試・推薦入試などを取り入れた多様化の要請に合ったものだったのである。例えば小論文入試であるが、鷗友学園では個別の添削指導の他には特別な指導は行っていない。しかし、「アイデンティティの確立」のカ
リキュラムが何よりも有効な小論文対策になっている。これは偶然ではない。大学改革も中学・高校の改革も、同じ危機への対応策だったことからの必然的結果である。
 しかし鷗友学園の改革は単に時代の要請に応えようとしただけではない。それは同時に鷗友学園の内的発展でもあった。伊藤が「自由と表出」として目標をとらえたことは、学園のそもそもの初心へとかえり、そこから現在の自己をとらえ直そうとしたのである。つまり改革は鷗友学園のアイデンティティ確立の試みでもあったのである。ここで学校改革にも二つのレベルがあることがわかる。単に学校の置かれた問題を解決しようとする外的なレベルと、それを内的発展にまで深化しようとするレベルと。そして後者こそ学校の個性化、特色化の真の意味ではないだろうか。これは「問題発見・解決能力」(つまりB)にも外的レベルと内的レベルの区別があることを意味するだろう。
 伊藤はよく他校の校長から言われたらしい。「自分のところでも鷗友学園と同じようなことをしているのに、なぜ私のところではうまくいかないのだろう」と。これは改革の二つのレベルの違いに関係するのではないか。生徒のアイデンティティ確立(つまりC)を教育するには、学校改革のレベルが自らのアイデンティティを問うまでに深化していなければならないのではないか。なぜだろうか。改革の成否は、教師自身が改革の中で「教育とは何か」「われわれの学校の理念とは何だったのか」「教師とは、私自身とは何なのか」という根源的な問いにまでたちかえったかどうかによって決まるからだろう。自らの改革にたち向かえない人間が、他者のそれを理解し見守ることができるだろうか。ここからBとCの関係においては、Cこそが根源的であり、CがBの前提であることがわかる。CをふまえたBと、それなしのBでは違ってくるのではないか。
 こうした教師の姿勢の問題は、同時に教師の能力の問題としてもとらえなければならない。「個性的教育」、つまり生徒により高い能力を養成しようとするためには、それを指導する教員自身に以前よりはるかに高い能力が求められるのである。これが教育改革を困難にしている最大の理由ではないのか。大半の教師はそうした能力を持たないのだから、どのように教師が教育されるべきかが大問題になるだろう。しかしわれわれはすでに答えを手にしている。「学校改革の中で」「学校と教師自身の内的深化の過程で」であろう。「教育は本来自己教育である」という真理がいやがうえにも光り輝いてくる。
 「自由と表出は生徒に対して示されたものではなく、教師自らに対しての目標でした・この十年間が楽しかったのはそれをひたすら実現するべく努力してきたからでしょう。変わったのは私自身なのです」。鷗友学園の川辺道雄の回想である。
 学校改革の困難な原因をその教育目標の高さから説明してきたが、学校の特殊性も大きな障害になっている。学校は教育というきわめて特殊な目的を持ち、それゆえに政治や社会からの独立性を必要とした。それは個々の教師の自立性を保証することにもなった。授業においては、教師は各自が一国一城の主である。授業が公開されること仕例外であり、保護者や校長だけでなく他教師すら口を挟みにくい。それには肯定面もあるが、授業や学校が聖域にされ、世間常識の通用しない場になってきた面もある。組合と文部省との対立が、肝心の生徒や市民を置き去りにして続いてきた背景にも、こうした閉鎖性の問題があろう。

自らが2006年度から2015年度まで文部科学省SSH事業の助成を受けて教育内容の改革に取り組んだ「生命科学コース」の教育は、どのように評価されるのだろうか。「生命科学コース」で学んだ清心女子高等学校の卒業生が大学院博士課程を卒業する今になって、答えがでているかもしれない。

  • 投稿者 akiyama : 10:57
一人の人間が、調和のとれた状態を常に保ちつつ、成長できるものであろうか。
湯川秀樹『旅人(湯川秀樹自伝)』角川文庫p150-151より引用  一人の人間が、調和のとれた状態を常に保ちつつ、成長できるものであろうか。いつの時代でも、あとから見ると、大きなアンバランスがあったと判定され得るのではないか。  第二次世界大戦後、日本の経済状態が険悪になり、幼児の中にさえ、世間の荒波をまともにかぶらねばならなかった者が少なくなかった。少年が、青年が、社会的関心を抱くようになったの…続きを見る
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