• ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室

2006年、清心女子高等学校がスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けたとき、私は一つの問いを抱いていた。それは、「学校の中に、探究が日常になる文化をどう根づかせるか」という問いである。単に研究発表会で成果を出すことでも、進学実績を伸ばすことでもない。生徒が自ら問いを立て、仮説を考え、観察し、記録し、議論し、また問い直す。その循環が学校の呼吸のように自然に行われる空間を、どう作るかであった。
同じ2006年度、生命科学コースを立ち上げた。女子が理系に進むことがまだ十分に自明ではなかった時代に、医学・生物学・農学などの「生命科学」へと向かう明確な学びの道筋を示す必要があった。知識の習得だけではない。飼育・観察・野外調査を通じて、生きた生命に触れ、そこから問いを生み出す学びを中心に据えた。イモリやサンショウウオの繁殖、生態、発生の観察は、教科書の図版を立体化し、時間の流れの中で生命を理解する体験へと変わった。
この実践を支えたのが、日々の記録である。やがてそれは「ぼうぼうどりの生物教室」という形で公開され、学校の内部にとどまらない探究のアーカイブとなった。授業の工夫、研究の試行錯誤、外部研究者との連携、合宿やフィールドワークの様子。成功も失敗も含めて公開することで、探究は個人の経験を超え、共有可能な知へと変わる。私はそこで初めて、教育実践が「文化」になり得ることを実感した。

2016年、大学へ移り理科教員養成に携わった。そこでは別の問いが生まれた。「探究の文化は、どのように継承されるのか」。一人の教師の情熱に依存する教育は長続きしない。理念と方法が言語化され、再現可能な形で伝えられてこそ、文化は継承される。高校で培った実践を理科教育法の授業に組み込み、未来の教員が探究を自校で実装できるように構造化する作業は、私自身の思想を鍛え直す時間でもあった。

260216_山脇有尾類_A4折パンフ_6P-1_1980.jpg

そして2023年、山脇学園に「有尾類研究所」を開設した。なぜ研究所なのか。それは、探究を一時的な事業ではなく、空間と制度を伴う持続的な営みにしたかったからである。研究所とは、問いが生まれ続ける場所である。机と水槽と顕微鏡が並び、データが蓄積され、議論が交わされる。高校生が大学や社会とつながり、自らの研究を世界へと開いていく。そのハブとなる拠点が必要だった。

清心女子でのSSH、生命科学コース、大学での教員養成、そして有尾類研究所。これらは別々の仕事ではない。一本の線でつながっている。それは、「生命に触れる経験を通して、人が自ら考える力を獲得する場をつくる」という思想である。イモリの繁殖を観察することは、小さな出来事に見えるかもしれない。しかしそこには、時間、環境、進化、倫理、そして他者との協働が折り重なっている。生命の営みを理解しようとする姿勢は、そのまま世界を理解しようとする姿勢へと通じる。

有尾類研究所という思想は、特定の生物種への愛着にとどまらない。それは、「問いを持ち続ける人間を育てる」という教育の根本に立ち返る試みである。研究所とは建物の名前ではない。問いが往還し、人が育ち、知が循環する構造そのものを指している。本書では、その構造がどのように生まれ、どのように展開し、どこへ向かおうとしているのかを辿っていく。
私にとって有尾類研究所とは、過去の実践の集積であり、未来への約束でもある。生命を前にして謙虚であり続けること。問いを手放さないこと。そしてその文化を次の世代へと手渡すこと。その思想の輪郭を、ここから描き始めたい。

  • 投稿者 akiyama : 08:45
A good life is the accumulation of days in which one's power to exist and act is enhanced.
Personhood is an intrinsic and inviolable value that each individual possesses. Every human being must be treated as an end in themselves, and never merely as a means. One must not measure one's life…続きを見る
科学技術人材育成におけるSSH事業の変遷と秋山繁治氏の教育モデル
以下は、友人が「秋山繁治の教育実践について」ネット上でAIに質問した結果です。 インターネット上には、生物学や教育に関する論文、助成金事業の報告書、雑誌原稿などが公開されているため、それらのデータを収集し、これまでの科学教育の取り組みを整理・要約したものだと理解しています。今後の科学教育の改革に、少しでも役立てていただければと考え、提供させていただきました。 今年70歳を迎え、現在は現役教員とし…続きを見る
「ダラムサラ」とは何か
ダラムサラは、インド北部ヒマーチャル・プラデーシュ州に位置する山岳都市で、1959年以降、ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府が拠点を置いている場所です。亡命したチベット人にとって、ここは「政治の都」であると同時に、「精神の避難所」でもあります。 ① 1959年に何が起きたのか 1950年代に入ると、中華人民共和国は「平和解放」を名目としてチベットへ軍事侵攻を行い、1951年にはいわゆる「十七か…続きを見る
アニメ・キングダムに登場する「羌瘣」という存在が投げかける教育論
『キングダム』に登場する羌瘣(きょうかい)は、単なる強い剣士ではありません。彼女は、教育とは何を育て、何を切り捨ててきたのかを象徴する存在として読むことができます。 羌瘣の出自である蚩尤(しゆう:伝説の暗殺者一族の称号)の文化は、「個体最強主義」を極限まで純化した社会です。そこでは、同世代の子ども同士を本気で殺し合わせ、生き残った一人だけが次代を継ぐ仕組みが取られています。感情は排除され、弱さは否…続きを見る
「蚩尤(しゆう)」という極端に歪んだ部族の文化
漫画『キングダム』(ヤングジャンプコミックス)を原作とするアニメ第23話「世語り」では、「蚩尤(しゆう)」と呼ばれる暗殺民族の存在が描かれます。 蚩尤とは、山奥に隔絶して暮らし、暗殺を生業とする一族で、国家や法に属さず、「技」と「血筋」だけを価値基準とする一族です。 その一族の老婆が、盗賊に襲われた場面で語る「剣とは元来人を斬るものにあらず。太古の世、神を祭る神器として生まれしものなり」という言葉…続きを見る
トリカブトは「悪」であると簡単に決めていいのか
トリカブト(鳥兜)は、キンポウゲ科トリカブト属の多年草で、日本の山地の林縁、沢沿い、湿った草地に分布してます。美しい花を咲かせる一方、植物界でも最強クラスの毒性をもつことで知られています。 名前の由来は、花の形が、昔の武将がかぶった「鳥兜(とりかぶと)」に似ていることからです。草丈は50~150cmほどで、葉は手のひら状に深く裂け、花は紫~青紫(種により白や黄も)、上側の大きな萼片があることが特…続きを見る
晩年の教育者として、有尾類の研究に向き合う
若い頃の教育者は、①制度を良くしようとする、②成果を出そうとする、③組織の中で影響力を持とうとするという方向に引き寄せられます。 しかし、晩年の教育者は、制度を回す人ではなく、制度の限界を知っている人の立場になります。 ①制度は万能ではない ②正しさは人を救うとは限らない ③成果は意味を保証しないということを体験として知っています。 有尾類――イモリやサンショウウオの研究は、決して効率のよい研究…続きを見る
「鉄の檻」から人は出られるのか
3.「鉄の檻」から人は出られるのか ウェーバーは、楽観的な脱出路をほとんど示しません。彼が見ていた未来は、官僚制の肥大・専門分化の加速・価値の多神教(価値が統合されない世界)でした。 しかし、彼は一つだけ希望の火種を残します。 4.それでも可能な「抵抗のかたち」がある ① 「価値に殉じる覚悟」を引き受ける個人 ウェーバーは、「神々の闘争の中で、どの神に仕えるかを選べ」と言います。つまり、すべてを…続きを見る
マックス・ウェーバーの「鉄の檻」の中に住むのは誰か
マックス・ウェーバーの言う「鉄の檻(stahlhartes Gehäuse)」とは、合理化が極限まで進んだ近代社会が、人間の生を目的合理性・制度・規則・効率で包囲し、逃げ場のない構造になってしまうことを指します。では、その檻の中に「住む」のは誰なのか、そして人はどうなっていくのか――この問いを段階的に考えてみます。 1.「鉄の檻」に住むのは誰か ① まず住むのは「近代人すべて」 ウェーバー自身が…続きを見る
1

このページの先頭へ