私は1956年生まれで、高度経済成長、バブルの崩壊、そしてコロナ禍という大きな社会の転換を経験してきました。現在69歳になり、格差社会のただ中で、都心の教育現場に単身赴任しながら常勤として働いています。任期も残り少なくなり、人生の最終章をどのように迎えるかを考えながら日々を過ごす段階に入っています。
この年齢になって、年老いたからと"老害"として扱われることがあるとすれば、それはやはり悲しいものです。だからこそ、今あらためて「自分の人生はどうだったのか」「残された時間をどう生きるのか」を問い直し、スピノザやカントの哲学を学んだり、NHKの教養番組を見たりしています。こうした習慣を自分自身で楽しめていることもあり、ついでに今考えていることを、ホームページ「ぼうぼうどりの生物教室」に書き留めていこうと思っています。人に読まれないかもしれませんが、爺の独り言として、自分が楽しむために綴っていきたいと思います。
「一億総中流社会」が生まれた背景
日本では1960年代後半から1980年代にかけて、国民の多くが「自分は中流だ」と感じるようになり、「一億総中流社会」という言葉が広く使われました。その背景には次のような要因があります。
〇高度経済成長(1950年代後半〜1973年)
実質GDPが年平均10%近い成長を続け、所得と雇用が急増しました。都市化と教育水準の上昇により、人々の生活は急速に豊かになりました。
〇安定した雇用制度(終身雇用・年功序列)
大企業を中心に、正社員として入社すれば定年まで勤められるという前提が成り立ち、生活の安定が保証され、「中流的」生活(マイホーム、家電の普及、子どもの進学)が実現しました。
〇格差の小ささ
所得格差は国際的に見ても小さく、多くの人が「平均的な生活」を送れる社会だと感じていました。
なぜ「一億総中流社会」が「就職氷河期」を招いたのか
一見すると、次の時代に訪れた「就職氷河期」は豊かな時代とは正反対の現象のように思えます。しかし、実は深く関連しています。
〇高度成長が生んだ硬直した雇用制度
中流社会の成功モデルである「終身雇用」「年功序列」「新卒一括採用」は、経済が成長し続けることを前提に成立していました。しかし1973年のオイルショック以降、成長率が鈍化しても制度は維持され、「正社員=会社が一生面倒を見る」仕組みが硬直化しました。これが後の採用抑制につながります。
〇バブル経済での一時的な"豊かさのピーク"(1980年代後半)
不動産や株価の高騰で企業は積極採用を続け、新卒は非常に就職しやすい時期になりました。この時期は「中流社会」がさらに強化されたかのように見えました。
〇バブル崩壊による採用の急減(1991年〜)
企業は収益悪化に直面しましたが、終身雇用制度のため既存社員の解雇が容易ではなく、「新卒採用を大幅に削る」ことで対応しました。
この構造が 就職氷河期(1993〜2005年頃) を生む最大の要因となりました。
「一億総中流社会」という成功モデルは、やがて制度の硬直化を招き、その反動として「就職氷河期」を生み、結果的に日本社会を格差社会へと向かわせることになったとも言えます。














