• ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室

おわりに

2025年12月18日

問いはこれからも続く

全9回にわたる回想録を書き終えたいま、私の中に残っているのは、達成感よりも、静かな確認のような感覚です。
――自分は、問いから逃げずに歩いてきただろうか。
その問いに対して、「少なくとも背を向け続けてはいなかった」とは言える気がしています。

教育者として、何を残せたのか。
この問いに、明確な答えはありません。

知識や制度、肩書きは、時間とともに更新され、忘れられていきます。
けれど、「考えてもよい」「迷ってもよい」「問いを持ってよい」という感覚は、人の中に長く残ります。

もし、この連載を読んだ誰かが、
・かつての自分の教室を思い出したり
・今、向き合っている生徒の姿を重ねたり
・自分自身の生き方を、少しだけ立ち止まって考えたり
したのだとしたら、それ以上の喜びはありません。

私はもう、教壇には立っていません。
しかし、問いは今も続いています。

教育とは、答えを与えることではなく、
問いを手渡し、その問いとともに生きる力を信じることなのだと、今は思っています。

この連載が、
あなた自身の「置かれた場所」を見つめ直す、ささやかなきっかけとなれば幸いです。

問いは、終わりません。
これからも、あなたのそばにあります。

  • 投稿者 akiyama : 09:40

最近の記事

おわりに

2025年12月18日

no image
問いはこれからも続く 全9回にわたる回想録を書き終えたいま、私の中に残っているのは、達成感よりも、静かな確認のような感覚です。 ――自分は、問いから逃げずに歩いてきただろうか。 その問いに対して、「少なくとも背を向け続けてはいなかった」とは言える気がしています。 教育者として、何を残せたのか。 この問いに、明確な答えはありません。 知識や制度、肩書きは、時間とともに更新され、忘れられていきます。 …続きを見る
no image
教育者として、何を残せたのか 2016年11月、私は1983年から勤務してきたカトリック系中高一貫女子校を退職した。 その翌月、長く学園を導いてこられた理事長、シスター渡辺和子が逝去された。 一つの時代が、静かに幕を閉じた。 そう感じた。 シスター渡辺の著書『置かれた場所で咲きなさい』は、多くの人に読まれた。その言葉に救われた人も少なくないだろう。だが、私はこの言葉を、単なる励ましとしてではなく、…続きを見る
no image
性教育からSSHへ、一本の線でつながった実践 生命科学コースやSSHの話をすると、しばしばこう言われる。 「ずいぶん先進的な取り組みですね」 しかし、私自身の感覚では、それは「新しいことを始めた」というよりも、「ここまで来てしまった」という表現の方が近い。 性教育、エイズ学習、翻訳という授業、授業「生命」――。 振り返れば、私の実践は常に、「生徒が自分の生き方を考えるための材料をどう用意するか」と…続きを見る
no image
リーダーシップが育つ場として 「今の時代に、女子校は必要なのでしょうか」 1990年代半ば以降、学校関係者の間で、何度となく耳にした問いである。少子化が進み、共学化や校名変更、コース制導入といった改革が次々に行われる中で、女子校は「時代遅れの存在」と見なされることも少なくなかった。 実際、岡山県内の私立高校24校のうち、女子校は2校のみとなった。全国的に見ても、女子校はもはや少数派である。男女共同…続きを見る
no image
答えを教えない授業の試み 「その授業では、何を教えるのですか」 授業「生命」を立ち上げたとき、何度もそう聞かれた。 そのたびに、私は少し言葉に詰まった。なぜなら、「これを教える」と一言で言える内容ではなかったからである。 1990年代、日本社会は大きな転換期にあった。リプロダクティブ・ヘルス/ライツが国際的に議論され、女性の生き方や人権をめぐる考え方が、ゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。学…続きを見る
no image
高校生と一緒に、性を語れる場をつくった日々 「授業」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、教室で教師が前に立ち、知識を説明する光景だろう。 しかし、私が最も強く「これは教育だった」と実感している時間の一つは、教科書も黒板も使わず、生徒と机を囲んで行った翻訳作業の中にある。 1990年代初め、私は担任していた生徒たちと一緒に、エイズに関する英語の書籍を翻訳するという取り組みを行った。大学受験を控えた…続きを見る

このページの先頭へ