岡潔のいう「情緒」は、現代でいう「感情」や「気分」とはかなり異なります。
情緒とは、人間が世界の価値を感じ取り、創造へ向かう根源的な働きです。岡潔は、情緒を心理学的な感情ではなく、人間存在の最も深い基盤として考えていました。情緒は「感じる力」である。岡潔は、子どもが花を見て、「きれいだ」と思うことを大切にします。そのとき子どもは、「花弁は五枚である」という知識を見ているのではありません。「美しい」、「不思議だ」、「何だろう」という心の動きを経験しています。この世界との最初の出会いが情緒です。つまり、情緒とは、世界を価値あるものとして受け止める力なのです。情緒は知識より先にある
岡潔は、知識があれば創造できるとは考えませんでした。逆に、情緒が豊かだから知識が生きると考えました。例えば、ある子どもが川へ行って、イモリを見つけます。「珍しいな」、「かわいい」、「どうしてここにいるのだろう」と思う。そのあとで、図鑑を調べる。論文を読む。実験する。つまり、情緒が知識を呼び寄せるのであって、知識が情緒を生むのではないのです。情緒は直観を生む。岡潔は数学の発見について、何年も考え続けたあと、突然、「これだ。」と分かる瞬間があると言います。これは論理ではありません。論理以前の働きです。その後になって証明を書きます。つまり、情緒、直観から論理、証明へという順番です。情緒は人格全体の働きである岡潔は、情緒を道徳、美、自然、他者への思いやり、すべてを含む人格の中心として考えています。だから、知識だけ増えても、情緒が育たなければ、人間は創造的にならないと言います。岡潔は情緒を「育てるもの」と考えた。ここが教育では最も重要です。情緒は、教えるものではありません。育つものです。だから岡潔は、自然、家庭、芸術、文学、遊びを非常に重視しました。それらが情緒を育てるからです。
『有尾類研究所という思想』との関係
先生がここ数日考えられていることを拝見していて、一つ気づいたことがあります。先生はこれまで「問い」を教育の中心に据えてこられました。しかし、岡潔を読むことで、その一歩前にあるものが見えてきました。それは、情緒 → 問い → 科学という流れです。例えば、有尾類の飼育では、毎日観察する。小さな変化に気づく。生命を心配する。「今日は元気がない。」、「昨日より泳ぎ方が違う。」、そうした生命への感受性が育ちます。その感受性があるから、「なぜだろう。」という問いが生まれる。そして、実験が始まり、研究になっていく。つまりこれまで私が長年実践してきた観察から科学へという教育は、情緒が育つ条件や制度を学校の中に構築したと説明できます。岡潔が「創造性の源泉」を語ったのに対し、私は「その源泉が育つ場をどう設計するか」を学校で考えてきたということになります。














