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エイズを学ぶ海外研修旅行

2006年4月 1日

■海外研修をただの観光旅行にしたくなかった
最近では、生徒も教師も海外へ出かける機会が多くなった。その原因は、国外への修学旅行や海外研修、海外視察などが増えたこともあるが、家族で海外へ行くことが多くなったこともあると思う。また、学校でも、いろいろな国からの留学生や教師に接する機会も増えた。現在本校にも、外国人の英会話教師が三人いる。十数年前、本校に勤め始めたとき、アメリカ人教師にとまどっていた自分が、いまでは彼らとスポーツを楽しんだり、英語の表現でわからないところを尋ねたりするようになり、自分自身の感覚も変わっている。

 また、夏期海外研修が一九八二年から始まり、毎年三〇~五〇人の生徒が参加している。今年はハワイ州マウイとネプラスカ州オマハの柿妹校で、三〇人の生徒が参加した。海外研修は、英語教師だけでなく、いろいろな教科の教師が引率している。今年で一三年になる。
 高校で生物を教える私だが、九四年八月上旬に、ハワイのマウイ島の姉妹校、セント・アンソニー校へ行く仕事ができた。海外研修に参加する生徒一五人を、添乗員と二人で引率するのである。生徒は姉妹校の生徒の家庭に一人ずつ振り分けられて、二週間のホーム・ステイの形で生活体験をした。実施された計画は、姉妹校の先生が考えたもので、その目的は、生徒に海外での生活体験をさせることと、英語による授業を体験させることである。自分自身も二週間、姉妹校の先生のお宅に滞在させていただきながら、そのプログラムに参加した。
 このプログラムについては、事前の指導や姉妹校との相談は引率教師に任されている面があるので、参加する側からも課題を持って行こうと考えた。生徒がこの海外研修を、観光地めぐりと買い物が中心の旅と思ったり、お客さんとして英語の授業だけ受けて、大切にされてよかったと思うようなものにしたくなかった。
 生徒には、事前に課題の本(『日米学校事情・男女交際ってなんだろう』池上千寿子著)と、銃社会・人種差別・エイズについての資料冊子を与えた。英文のエイズ・パンフレット (マウイ・エイズ基金で昨年提供していただいたもの)の翻訳も、出発までの課題として与えた。それから、事前に送られてきたプログラムを見て、エイズについての講義を企画してもらえないか、ということを依頼しておいた。与えた材料をきっかけにして、生徒自身が課題を持って現地で生活してくれることを期待した。

■ハワイとアメリカ本土では日本の扱いが違う
 ホノルル空港に私たちが入国した日、七月三〇日に、日本から約一万人が入国した。ワイキキのエイズ・ホットラインの一九九〇年のデータによれば、ハワイ大学だけで毎年約六〇〇名の日本人が留学してくるという。日本人観光客への対応は慣れている。ワイキキには、日本人の一時滞在者にも日本語で対応してくれるエイズ・ホットラインが、一九九二年から用意されている。
 海に囲まれたハワイ州はいくつかの島からなっていて、ほとんどの観光客は人口の一番多いオアフ島に滞在する。私たちが滞在したのは、サトウキビ畑とパイナップル畑が広がるマウイ島である。マウイ島は、大きさではハワイ州で二番目で、火山活動が活発で人の住める地域の少ないハワイ島に次ぐ。人口では、ホノルルのあるオアフ島に続いて二番目である。マウイにもホテル街はあるが、オアフ島滞在の観光客がオプショナル・ツアーでやってくることが多い。観光地であるラハイナの商店街やハエヤカラ火山では日本人に会うことが多いが、ホーム・ステイで生活している限り、日常生活で日本人に会うことは少ない。
 ハワイ州だけ訪れると、日本とアメリカの関係はかなり相互に深いことがわかる。また、日本の情報も十分に得ることができる。しかしながら、アメリカ全体としては、日本とどのような関係にあるのだろうか。朝日新聞が九四年三月八日に報道した、日米テレビ報道記録がある。その記事によると、日本側ニュースのうち、アメリカまたは日米関係について伝えたものは一一二一項目、三四時間五四分三六秒。逆にアメリカでは、九二項目、三時間五分。日本の報道量は項目数にして、アメリカの報道量の約一二倍になる。日本がアメリカを重視している面が浮き彫りになってくる。逆に、アメリカは日本を極東の一つの国として報道していることがわかる。ハワイ州はどうだろう。ケーブルテレビでは日本語放送もあり、日本のドラマが放送されている。日本の情報は非常に多い。日系人も日本人も多い。ハワイ州はアメリカの一部だが、日本人の思いのなかで「最も近いアメリカ」として存在するかもしれない。

授業で感じた日本のエイズ教育の問題点
 姉妹校でもエイズについての授業経験があるということで、今回の研修のなかでもエイズの授業をしていただくことを依頼した。以前には、エイズで子どもを亡くした人を招いての授業をされたこともあるそうだ。今回は、ワイキキ・ヘルスセンターに勤める馬場めぐみさんに講義していただくことになった。
 アメリカでは、サンフランシスコなどの日本語を使う人の多い地域では、日本語によるエイズ・ホットラインが用意されている。ワイキキでも、一九九二年の夏から日本語によるエイズ・ホットラインが開設された。そのサービスで、日本語による講義も受けられるということで、姉妹校をとおして交渉していただき、講義が実現した。
彼女は、数日後に日本での国際エイズ会議に出席する予定であったにもかかわらず、二時間の講義と、昼食の時間に情報提供をしてくださった。生徒に質問しながらエイズの基礎知識や感染予防の説明をし、自分がボランティアで日常的に接しているエイズ患者の気持ちも含めて教えてくださった。ハワイ州は人口約一二〇万人そのうちHIV感染者は推定七〇〇〇~一万人と言われ、生徒はその多さに驚いていた。エイズに直面した場所で、最前線で働いている方に指導していただけたのは、生徒にとっても私自身にとっても幸運だった。
 講義のなかで、感染予防の話になったとき、実際にコンドームを持ってこられて、生徒はびっくりしながらも積極的に聞き入っていた。日本とは違った雰囲気のなかでの授業は新鮮だった。感染予防の避妊具や性器の模型まで使ってのストレートな授業のなかで、時折混ぜる感染者についての話に、感染者の立場が大切にされていることが感じられた。
 確かに、共存しかあり得ない状況と、比較的患者・感染者の少ない日本とでは、状況は異なっている。そして、それを支える文化そのものも異なっているが、日本でのエイズ教育が一般的に、あまりにも「公衆衛生的」、つまり「感染予防」中心のもので、感染者・患者の立場が抜けているのを感じた。しかも、日本では予防が重視されているように見えながら、コンドームを見せるかどうかさえ問題になるわけで、予防に必要な初歩的な知識教育すらなされていないという、絶望的な状況である。

■『イエロー・キャプ』の女性たちに見る日本文化
 講義後の話のなかで、家田荘子の『イエロー・キャプ』の話になった。この本には、自由奔放に性の快楽を求める若い女性の姿が措かれている。馬場さんは、日本女性が自分から求めて行動しているのではなく、異文化のなかで、文化の違いを理解することなく、異文化に流されて行動している結果ではないかという。
例えば、何事にも結果をあいまいにする日本の文化が、いろいろな問題の原因をつくっていると言われた。日本の学校では、授業中にはもの静かに黙っていて、恥ずかしそうに話すことはそんなに問題にならない。私自身の経験では、むしろ日本では、陽気ですぐに意見を言う生徒のはうが、問題のある生徒ととらえられやすい。異文化で育った帰国子女や交換留学生の抱える問題は、文化の相違から生まれたものであることが多い。教師の社会も、研修会で指導講師に対して意見があったりはない。「沈黙が承認を意味する」社会である。ところがアメリカでは、「沈黙は金なり」にはならない。自分の意見をきちんと表現することが重要視される社会である。
馬場さんは、日本の女性は男性に誘われたとき、つきあいたくなくても「あなたは私のタイプじゃない」とはっきりと拒否できない場合が多いのではないか、と言う。アメリカでは、男性は女性がはっきりと拒否しないことで「嫌われていない」と判断し、何回か声をかける。そのうちに、日本人女性の場合は何回も断っては悪いということで、「一回のドライブならいい」と一人で出かける。結果として、「性的な被害」に遭ったり、「奔放な行動」になったりするというのだ。
その話を聞いたとき、今回彼女の授業を受けたときの、最初の生徒の様子が思い浮かんだ。馬場さんから質問されても、知っているのか知らないのかはっきり返事をしない状態があった。心のなかで、「習ったことは習ったと積極的に言えば、もっと多くの、いましか聞くことのできない話を聞けるのに」「主張し、反応しない限り、講師のほうは通りいっペんの基礎知識の話しかできないのに」と叫んだ。講義が終わったあとで、「もっと話を聞きたいから昼食を一緒に取ってもいいか」と言う生徒がいた。いろいろな話をしたあと、馬場さんが「それだけ事前に知っているなら、実際にエイズ患者の人にきてもらえば、もっとよく理解できたのにね」と言われた。

■実名報道には差別と戦うという視点もある
 エイズについての報道の状況も、ハワイと日本ではまったく違う。地方新聞「THE MAUI NEWS」には、私の滞在した二週間に、二件のエイズによる死亡記事が掲載されていた。実名での報道である。記事には、遺族や友人の名前も掲載されていた。日本でエイズが原因で死亡した場合、それが報道されたのは、いままで何件あっただろうか。最近の数少ない報告のなかに、九四年五月二九日に亡くなった平田豊さんがいる。彼の名前は実名ではなかった。日本の場合、なぜ実名ではないのだろうか。
 時代や背景は異なるが、感染性の病気による差別という点から見ると、エイズと同じような問題点を持った病気にらい病(ハンセン病)がある。らい病をめぐる差別の状況は『砂の器』という映画に描かれている。殺人事件の解決に向け、刑事が推理し、調査していく形で物語は進んでゆく。最後に、らい病に罹ったがゆえに故郷を捨てた親子の姿が、テーマ曲「宿命」に乗せられて描かれる。テレビで松本清張の追悼番組として放映されたとき、「この作品は差別があった時代の作品です」 というテロップが流れたのを思い出す。

もう差別される状況はなくなったのであろうか。私は、九二年一二月二日に岡山市邑久郡の「ブルー・ハイウェー」で起きた、ワゴン車とトラックの正面衝突事故を思い出す(この事故がきっかけとなり、「ハイウェー」という名称が高速道路との誤解を生むということで、「ブルー・ライン」という名称に変わった)。大型トラックが追い越しをしていて、対抗してきたワゴン車に衝突した事故だった。ワゴン車の運転手は、国立療養所のらい病患者だった。同乗のらい病患者五人とともに全員死亡した。翌日の新聞には、六人もの死亡者が出たのに、具体的な名前は報じられなかった。名前が語られない死であった。
 新聞やテレビ局のような報道機関には、公共性を持った情報を伝える義務がある。しかしその反面、プライバシーを侵さない責任もある。「お悔やみ欄」や死亡事故の記事では毎日のように「個人の名前」が報道され、それを当然のように受けとめることができるのは、そのことによってプライバシーが侵されたり、不利益を被ったりする危険を感じないからである。らい病患者の「名前のない死亡記事」は、やはりまれなのである。名前を隠したほうがよいということは、名前を出すことによって不利益を被る場合があるということを意味する。
 死んだときでさえ、名前を出すことがプライバシーを侵すことになりかねない。それはどんな状況であることを意味するのだろうか。その人が個人として名前を持たなくてよい、ということを意味するのではないか。国立療養所のなかで、本名とは別の名前を語り、死亡しても身内に引き取られない。そのような現実が、現在もまだあるのだ。
 報道の姿勢は、その国の文化をもっともよく現すと思う。日米の死亡報告記事には、明らかに差がある。確かに、エイズについての差別があること、そして、差別しないようにと呼びかけていることは共通している。しかしながら、いまの時点で、アメリカのように公表し、説明することによって差別を克服しょうとする社会と、対応のしかたが依然としてらい病への場合と変わらない状況の社会では、まったく異なる。
 話は少しそれるが、最近テレビの犯罪報道で、詳細に犯人の情報を得るために、事件の起こった地域社会の人や個人の家庭まで踏み込むことが問題になっている。犯罪報道は、危険を知らせるためや、犯罪を犯すことに対する警告の意味での公共性を持っている。しかし、その報道のために、一般市民までがプライバシーを侵されるかもしれない危険を感じ始めたことで、問題になり始めたのだ。エイズであることを公表することによって、まわりの人も危険を感じる社会は、やはりおかしな社会だ。海外研修で学べるのは語学だけではないはずだ。

■海外研修で学べるのは語学研修だけではないはずだ
 ハワイに行くことになったとき、一般の会社に勤める友人に「ハワイに行けるの。いいな-」と言われた。彼は観光地としてのイメージを、すぐに思い浮かべたのだと思う。確かにそれが、ほとんどの日本人が持つハワイのイメージだと思う。行き先が沖縄であったらどうだろうか。会社の旅行の場合はマリンスポーツや観光を想像するかもしれないが、学校で行く場合は、沖縄のイメージは平和学習の対象としての広島のイメージと重なる部分がある。つまり、戦争による被災地という共通項を持つということがある。だから、生徒にとっての学習目的の旅行先となる。
 しかしながら、海外研修の場合、学校の研修旅行であっても観光や語学研修のイメージが強い。本校でのハワイ州マウイ島への海外研修についても、観光と語学研修という色彩が強く、また希望して参加する生徒のはうもそのように理解している。
 今回の海外研修では、引率者の裁量の部分で、課題を持って挑むスタイルを実施してみようと試みたが、実際のところ、生徒に気持ちが伝わったかどうかは疑問である。しかしながら、何らかの文化の違いを語り合える課題を持つことによってこそ、本当の意味での交流がはかられるのではないかと思う。参加した生徒のなかに、教室での英語の授業について不満を言う生徒がいた。その意見は、「日本でもアメリカ人教師の英会話の授業がある。その場所でないと経験できないものでないと意味がない」というものであった。
 本校の海外研修では、生徒全員が和服を持参することが恒例となっていた。しかし、今回は自分で判断して、持っていきたい者だけが持っていくということにした。それは、生徒各自が心のなかに自分なりの課題を持って研修に挑んでほしい、と思ったからだ。海外研修や国際交流では、観光地を案内され、民族衣装とダンスを拝見し、こちらからは日常的に飲まないお茶とあまり着ることのない和服を紹介するという形から、一歩進んだものが必要である。
 最後に、今回の研修に参加できてよかったというのが、私の意見である。それは、「観光地でゆっくりできてよかった」という意味ではなく、「いままで感じたことのない文化の違いを意識できた」からだ。まだまだ多くの魅力がハワイにあると思う。多くの日本人が滞在し、日本人によく応対してくれるからこそ触れることのできる文化があると思う。ハワイを観光地としてだけでなく、いろいろな角度から検証してみてはどうだろうか。世界にはいろいろな国がある。とらえる視点によって、無数の課題を見つけることができる。
 ある英語教師の一言を思い出す。「英語を学ぶことによって、日本語を考え直すことが重要なのだ」という言葉だ。いまでは、英語は日本語を考え直すための材料としてだけではなく、実際に必要とするようになってきた。しかしながら、いまでも、英語が日本語を考え直すための材料になっていることは変わらない。海外研修で外国の文化に接し、違いを感じることによって、いまの日本文化を考えてみる材料にしてもいいのではないか。
 現地で手に入れたエイズのパンフレットに、次のような個所がある。
 「ハワイというところは、たびたび大陸にある合衆国から取り残されて、忘れられています。本土からわれわれ (ハワイ)を、ときには本当にたやすく分離しよす(特に、エイズやHlVのように、むしろ伝えたくない問題 を扱うときには)。 HIV(もしくはエイズ)について、今日公に明らかにされていることのはとんどは、本土に住む人たちに用意されたものです。それゆえに、ハワイの人々への HIVやエイズの影響は、とても軽んじられています(特に、アジア系の人や太平洋の島の地域社会では)。 
 私たちは、自分の近くにいてよく知っている顔を、病気で私たちの助けを必要としている人々だとはわからないでしょう。だから、私たちは自分自身にとってこの病気は、『自分』には影響のない(彼らだけのものだ)と考えるのです。不幸にも、ハワイの人々の間で、エイズの報告数は増え続けています。そして、私たちの愛する人にふりかかるこの病気に、私たちもまさに直面しようとしているのです。
 ハワイには、HIV感染しながら生きながらえている『隠れた人々』も多くいます。『恥』という文化的な見方によって、多くの人々の態度や行動、ふるまい、助力が規制されています。知らずに感染した人も多くいます。それは、検査を受けたことがなかったり、ウイルスに対する抗体が見つけられるはど増えていなかったためです。差別されたり、『エイズになった人』としてレッテルを貼られたり、家族や友人から避けられたりするのを恐れて、自分が感染しているのをだれにも言わない人たちもいます。
エイズのような難病を経験している家族や友人、そして、われわれの同胞を擁護することは大切です。いま、これはど助けを必要としているときはないのです。本当に恥ずべきことは、私たちがその助けを与えることを怠ることです」

 この文章から、あなたは何を感じるだろうか。ハワイという地の、観光地として以外の側面が感じられたのではないだろうか。


  • 投稿者 akiyama : 17:15

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