映画アニメ『ひゃくえむ』は2025年公開されたドラマで、100m走に取り組む選手の生きざまとして、その「才能」「努力」そして「何のために生きるのか」という根源的な問いが扱われていました。
物語の主人公は、生まれつき足が速く、100m走で常に1位を走り続けてきたトガシ。彼にとって「速さ」はアイデンティティそのものであり、周囲を見下す唯一の根拠でした。しかし、理論派で執念深い小宮という男との出会い、そして成長と共に訪れる「才能の限界」が、彼の世界を一変させます。
「たった10秒で終わる競技に、人生の何十年を懸ける意味はあるのか?」という問いと、それでも走らずにはいられない人間の生きざまを描いた、哲学的なドラマになっていりると思います。
このドラマをテーマに日本の学校教育への現場が抱える問題を考えてみました。
1.「評価」:学校では足が速い、テストの点がいいといった「数値化できる指標」で生徒はランク付けされます。トガシは足が速いことで優越感を持ち、小宮は劣等感を抱きました。こうした「単一の価値観による選別」が、子どもの心を孤独にし、歪ませるかを考えて欲しい。
2.「期待」:教師や親が期待をかけるのは応援に見えますが、子どもにとっては「その期待に応えられなければ捨てられる」という不安に繋がります。「結果がでなくても、ここにいていい」という安全が重要です。
3.「好き」:才能はなくてもその競技を深く愛し、研究する者がいます。一方で、勝敗至上主義の部活では、情熱が「勝てないなら意味がない」とされがちで、勝利を目的とするのではなく、生徒の「自分自身の探究」を支援すきです。
このアニメは、観った後で「自分にとっての100m(=人生を懸けて執着できるもの)は何だろうか?」と考えずにはいられない作品で、日常生活での「何のために頑張っているんだろう」という空虚さにつながってきます。以下は、考えるヒントになるセリフです。
小宮の「メンタルケアは?不安への対処法は?」という質問に財津が答えて「結論から言うと不安は対処すべきでない。人生は常に失う可能性に満ちている。そこに命の醍醐味があります。恐怖は不快ではない。安全は愉快ではない。不安とは君自身が君を試すだけの感情だ。栄光を前に対価を差し出さなければたなければならないとき、ちっぽけな細胞の寄せ集めの人生なんてくれてやればいい。君がやりたいことは何ですか。」「日本記録を塗り替えることです。」という。
海棠がトガシに向かって、「いつも最後の最後で負け続ける現実で溢れている。でも当の俺は次こそは自分が勝つと信じ切れている。何故だかわかるか?現実は逃避できるからだ。俺の勝利が非現実的なら、俺は全力で現実から逃避する。現実逃避は俺自身への期待だ。俺が俺を諦めていないという姿勢だ。たとえ回りがどんな正論、洞察、真理、啓蒙を振りかざそうと、俺は俺を認める。それこそが俺の使命、仕事、生きる意味、走る理由、いいか、トガシ、何のために走っていりるかわかっていりゃあ、現実なんていくいらでも逃避できる。」と言う。さらに「だが俺はこうも考える。現実が何かわかってなきゃと、現実からは逃げられなねえ。現実に目を塞いで立ち止まるのと 目を見開いて逃げるのとは大きく違う。現実を直視するのは恐ろしい。とてつもなく、認めたくねえことを認めなきゃいけねえ。だが本当に現実を変えたいなら、否定するなら、向き合ったうえでやらなねえと駄目だ。目を閉じたらどこへも逃げられねえ。ずっと立ち尽くすことになる。気をつけろよ、トガシ」
小宮がトガシに「僕らはいったい何のために走っているんだ」と問う。トガシは語る「そんなの当然、ガチになるため、それ以外いらない、俺も思い返してみると、なんだかてんぱっている人生だった。負けることや孤立を恐れたり、負けないって、開き直ったり、そのせいで敗北から目を逸らしたり、誰かが見てくれているなんて妙な信仰にはしったり、でもそのかげでようやくたどり着いた。人間は自分心以外は理解できないし、誰にもどこにも居場所なんてない。 連帯も共感もすべてこっちの思い込みだ。この世のあらゆることが俺らを不安にさせる。そして極めつきはみんな死ぬ。平静に考えたら、こんなやばい話ってないよ。でもそんなものには、俺たちが本気で本気でいることの幸福感を一ミリも奪えない。今思えば、俺はそんなのを何度も見てきたし、何度も味わってきた。」、小宮は「生憎、こちらはそんな景色見たことはない。味わった覚えもない。この虚しさの解決策はない。」、トガシが言う「小宮君、忘れているみただけど、この世にはシンプルなルールがあったはずだ、それによると100mを誰よりも早く走れば全部解決する。君が見つけて、君が目指して、そして、君が磨いてきたその速さを君は空しいと思うのか。本気で走ればすべて吹き飛ぶ。研ぎ澄まされた景色はすべて煌めく。そういう景色を観てきてないなら、この100mだけはそういう景色を観ようぜ。」















