① この本を書き残す理由(教育は人間を自由にするか)
1 SSHに関わった二十年
私は一九五六年に生まれ、高度経済成長の時代に幼少期を過ごし、一九七九年に大学を卒業して、学校教育の現場に身を置くことになった。高等学校の理科教員として約四十年間勤務し、そのうち二〇〇六年度以降の二十年間は、文部科学省スーパーサイエンスハイスクール事業(SSH)に関わってきた。最初の十年間は清心女子高等学校でSSH主任を務め、その後は、運営指導委員やSSH推進室室長として、複数の学校の科学教育に関わることになった。
この二十年間に積み重ねてきた経験を伝えることが、後に続く理科教員や学校改革に取り組む人たちへの、ささやかな社会貢献になるのではないかと考え、この本の執筆に着手した。
しかし、最初から科学教育改革を担っていたわけではない。SSHに関わる以前の私は、地方の女子校に勤める一人の理科教員として、生物の授業を担当し、クラスを担任し、テニス部や生徒会で生徒と一緒に活動しながら、生徒指導や性教育にも取り組んできた。
SSHは、文部科学省が科学技術者養成のための教育プログラム開発を目的として進めている事業である。そのため、理数の力を伸ばす優秀な生徒を育てることを念頭に置くべきだと思われるかもしれない。しかし、私が目指したのは、科学研究を楽しみ、探究活動に取り組んでいく経験が将来に役立つ教育であった。だから、二〇〇六年に普通科の中に開設した「生命科学コース」は、特別進学、すなわち難関校を目指すコースではなく、科学研究を中心にすえた教育プログラムで動かすコースとして立ち上げた。
2 一つの対象に長く向き合う教育
『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』(伊藤氏貴著)という、一人の国語教師、橋本武先生の授業を紹介した本がある。この本の中心にあるのは、灘中学校で行われていた中勘助の小説『銀の匙』の授業である。橋本先生は、この一つの作品を中学三年間かけて読み、言葉、季節、食べ物、生活習慣、感覚、登場人物の心の動きにまで、興味によって横道に入りながら、生徒とともに読み進めていった。
彼の授業が「奇跡」と呼ばれた理由は、東大合格者数日本一という進学実績だけにあるのではない。受験技術として国語を教えたのではなく、一冊の本を徹底的に読むことによって、生徒が自分の感じ方や考え方を確かめ、社会への関心を広げていったことにある。この教育の核心は、「速く、たくさん教える」ことではなく、一つの対象に長く付き合い、そこから枝分かれしていく問いを大切にすることであった。
私は性教育の係になり、性教育委員会でジェンダーの問題に対峙する中で、改めて「理系に進む女子はなぜ少ないのか」という問いに向き合うようになった。女子生徒が前向きに理系へ進むことを選べるようになるためには、本人の努力だけでなく、学校としての配慮と制度的な支援が必要であると考えた。そのことを進めるために、私は校長に、「科学教育についての私の考えが正しいかどうかを、SSH申請を通して文部科学省に問うてよいか」と直談判した。
こうして、研究課題を「生命科学コース開設から始める女子の理系進学支援の教育プログラムの構築」と定め、文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール事業に申請することになった。文部科学省でのヒアリングには、当時の清心学園理事長であった渡邊和子先生にも同伴していただいた。
面接では、冒頭に管理職から挨拶があっただけで、その後は、私が起案した教育プログラムについて説明させていただいた。当時は、SSHの採択校も現在のように多くはなく、多くの進学校が申請に集まっていた。私立女子校のSSH指定校はまだなく、清心女子高等学校の申請は、場違いに見えたに違いない。渡邊理事長も、帰りのエレベーターの中で「これだけ批判されたら駄目でしょうね」と辛口の感想を述べられた。その言葉を、私は今でもよく覚えている。しかし、面接から二か月後の三月、採択通知の電話がかかってきた。こうして、清心女子高等学校は二〇〇六年度からSSH事業に着手することになった。
それ以降、私はSSH主任、運営指導委員、SSH推進室室長として、二十年間にわたりSSH事業に関わっていくことになった。
橋本先生が『銀の匙』を通して実現したのは、一つの対象に長く向き合い、そこから生まれる問いを急がずに育てていく教育であった。私はその構造を、女子校における科学教育の中で、日常的に取り組める課題研究として制度化しようとしたのである。『銀の匙』が橋本先生の教室で生徒の思考を広げる対象であったように、私にとって長年研究してきた有尾類は、生徒が観察し、問いを持ち、自分の進路を考え、理系へ進む自信を獲得していくための対象となった。
3 問いを持つことと自由
学校教育の現場に身を置く中で、一人の人間として私に見えてきたのは、教育が人間を自由にする営みでありながら、同時に、制度や評価や社会の要請によって、人間の問いを狭めてしまうこともあるという事実であった。
教育は人を育てる。しかし、人を型にはめることもある。教育は可能性を開く。しかし、その可能性を測定可能な成果の中に閉じ込めてしまうこともある。私が学校教育の中で感じ続けてきた違和感は、ここに根を持っている。
教育は、成長する社会のための人材育成だけでよいのか。学力や進学や成果を問う前に、一人の人間が自らの問いを持ち、自らの生を意味づける場でなければならないのではないか。この問いは、私自身の教育実践の奥に、長く流れ続けていたものであった。
このように見れば、日本の教育は、知識の体系的習得と、経験を通した学びのあいだを揺れ動いてきたと言える。生活から出発する教育は、子どもの現実に根ざす強さを持っていた。しかし、それだけでは、学問の体系や科学的思考に届かない脆さもあった。一方、基礎学力や系統性を重視する教育は、知識を確実に身につけさせる力を持っていた。しかし、それが行き過ぎると、子ども自身の問いを置き去りにしてしまう危うさがあった。
私が取り組んだ科学課題研究は、この二つを対立させるものではなかった。知識と経験を、問いによって結びつける試みであった。知識は必要である。しかし、知識だけでは人は学ばない。体験は重要である。しかし、体験だけでは科学にはならない。知識と体験が問いによって結びついたとき、学びは初めて研究になる。このことを、私は生徒たちとともに学んできた。
この本で紹介する女子校における生命科学教育、授業「生命」、女子生徒による科学研究発表交流会、SSH、大学のオープンラボ、そして有尾類研究所は、一見すると別々の実践に見える。しかし、私の中では一つの線でつながっている。それは、生徒が自ら問いを持ち、その問いを他者との関係の中で深めていく場をつくるということである。
4 有尾類から始まる理由
本書は、有尾類研究所の活動報告ではない。教育という営みを通して、人間がどのように問いを持ち、どのように自由へ向かうのかを考える試みである。制度を整えることによって、人は育つのか。知識を与えることによって、人は変わるのか。評価を行うことによって、人は自由になるのか。これらの問いに対して、私は単純な答えを持っていない。ただ、長い実践ののちに、一つだけ確かに思うことがある。
人は、問いを持つときに、自らの生を引き受け始める。教育がすべきことは、その問いを奪わないことであり、問いが他者との関係の中で育っていく場を守ることである。この本の中心にある問いは、一つである。人はどのようにして自由になるのか。
自由とは、何でもできることではない。外部の制約がなくなることでもない。人は、制度の中で生き、関係の中で生き、評価の中で生きている。そのすべてから逃れることはできない。しかし、その中でなお、自らの問いを持つことはできる。問いを持ち、その問いに従って行動し、その行動の意味を引き受けることはできる。私は、それを自由と呼びたい。有尾類研究所という思想は、この自由を支えるための教育思想である。
その出発点は、教室でも制度でもなかった。それは、有尾類という小さな生命を見つめる経験であった。イモリやサンショウウオは、静かに生きている。彼らは人間の期待に応じて変化するわけではない。観察者の都合に合わせて、好都合な結果を示すわけでもない。だからこそ、観察する者は待たなければならない。見続けなければならない。わからなさに耐えなければならない。この経験は、教育の営みと深く重なっている。
生徒もまた、すぐには変わらない。教師の期待どおりには動かない。教師が用意した計画どおりに成長するわけでもない。だが、その中に確かに変化の芽がある。教師にできることは、その芽を無理に引き出すことではない。芽が出る条件を整え、待ち、必要なときに支えることである。
だから本書は、有尾類から始まる。観察から出発し、科学へ向かい、倫理へ進み、体験を通して問いを深め、発表によって関係をつくり、SSHやオープンラボという制度へと展開し、最後に人間の内面と自由を問う。それは一見、長い迂回である。しかし、私にとって教育とは、いつもそのような迂回を必要とする営みであった。
すぐに答えを与えないこと。すぐに成果を求めないこと。すぐに評価に還元しないこと。問いが生まれるまで待つこと。その問いを支える関係をつくること。そして、問いを持った人間が、自らの生を引き受けていく姿を信じること。
本書は、その実践の記録である。同時に、私自身の問いの軌跡でもある。私はなぜ有尾類を研究してきたのか。なぜ女子校で科学教育に取り組んだのか。なぜ高校生に研究を開こうとしたのか。なぜ学校の中に研究所をつくろうとしたのか。
これらの問いは、別々のものではない。すべては、人がどのように問いを持ち、どのように自由になるのかという問いへと収束していく。次章では、その原点として、私がなぜ有尾類との対話を重ねてきたのかをたどることにしたい。















