⑪ MSECからオープンラボへ ―学校を越えて問いを支える制度の形成―
1 清心女子の研究発表交流会からMSECへ
清心女子高等学校で私が取り組んだ科学教育の一つに、「集まれ!理系女子 女子生徒による科学研究発表交流会」があった。これは、研究成果を競うだけの発表会ではなく、研究を始めたばかりの生徒が、同じように実験や観察を続けている他校の女子生徒と出会い、自分の研究を説明し、相手の研究に質問し、大学や研究機関で研究を続ける女性研究者から助言を受ける場として始めたものである。生徒にとって、その女性研究者たちは、将来の自分を考えるためのロールモデルでもあった。
研究を発表すると、それまで自分たちには明確だと思っていた研究の目的や方法が、相手には十分に伝わらないことがある。質問を受けて、比較すべき条件が不足していたことや、結果の解釈に別の可能性があることに気づくこともある。発表は、完成した成果を披露する終点ではなく、研究方法や考察を見直し、次の観察や実験へ戻る機会であった。また、校内では少数であった理系志望の女子生徒が、学校の外には同じように研究を続ける仲間がいることを知り、自分も科学の道へ進んでよいと考えられる場でもあった。
私が清心女子で「集まれ!理系女子」を運営した経験は、後に南九州大学の理科教育研究室に在職し、宮崎北高等学校の第Ⅳ期SSH申請に関わった際、MSECの構想を考える基盤の一つになった。MSECとは、Miyazaki SDGs Education Consortium、すなわち「みやざきSDGs教育コンソーシアム」のことである。
宮崎北高校には、二〇〇三年度の第Ⅰ期SSH指定以来、サイエンス科の課題研究、高大連携、学校設定科目、国際交流を進めてきた蓄積があった。また、県内の大学、行政、高校との関係も築かれていた。MSECは、その宮崎北高校の蓄積に、清心女子で経験した学校を越える研究交流の考え方を結びつけ、県内の探究活動を、生徒の発表と教員の指導の双方から支える仕組みとして構想された。
MSECは、宮崎県内の高校を中心に、探究型学習を県全体で支えるための仕組みとして、第Ⅳ期SSHの科学技術人材育成重点枠に位置づけられた。その開発課題は、「探究型学習の全県普及を加速させる持続的なコンソーシアムの構築」であり、合同発表会、指導者ワークショップ、理数系生徒探究活動講座などを通して、各校で蓄積された探究指導の方法や課題を共有することが目指された。
県内の高校生たちは、MSECを通して、学校の枠を越えて自然科学や地域社会の課題解決に向けた探究活動の成果を発表し、互いの研究から学び合う。生徒は他校の研究に触れ、自分の研究を問い直す。教員は、テーマ設定の支援、研究計画の立て方、データの扱い、発表後の指導などについて、各校で抱えている困難と実践上の工夫を共有する。さらに、県内の高校、大学、行政、企業、地域の関係者が、それぞれの立場から探究活動に関わることも構想された。
清心女子の「集まれ!理系女子」は、女子生徒同士の研究交流と女性研究者との出会いを全国規模でつくった場であった。MSECは、その経験を、宮崎北高校が長年のSSHで築いてきた実践と結びつけ、生徒の発表、教員の研修、学校間の協議、行政や大学との連携を含む県域の仕組みへ広げたものであった。私が清心女子で学んだ、研究を学校の中に閉じ込めず、発表と対話によって次の研究へ進ませるという考えは、宮崎北高校の蓄積と結びつき、MSECという県全体の制度の中で新たな形を得たのである。
2 宮崎北高校第Ⅳ期SSHとMSECの成立
前節で述べたMSECの構想が、宮崎北高校の第Ⅳ期SSHに位置づけられるまでには、宮崎北高校自身のSSHの歩みと、再申請に至る経過があった。
宮崎北高校のSSHは、二〇〇三年度の第Ⅰ期指定から始まった。第Ⅰ期は三年間、第Ⅱ期と第Ⅲ期はそれぞれ五年間の指定を受け、サイエンス科を中心に、科学探究、高大連携、学校設定科目、国際交流などを進めてきた。地元大学の研究者が指導する一部の課題研究は、科学研究として高い水準に達していた。一方で、新しい指定期が始まるたびに中心となる教員が異動し、個々の教員や外部研究者に支えられてきた研究指導を、学校全体の教育課程と組織の中にどのように残すかが課題になっていた。
第Ⅲ期の終了後、宮崎北高校の継続申請は採択されず、二〇一七年度と二〇一八年度は経過措置期間に入った。長くSSH指定を受けてきた学校であっても再指定されなかったことから、校内では、SSHを今後継続しない方向へ舵を切ろうとする動きも生まれた。しかし、管理機関から再申請を求められたことを受け、この二年間は、教育課程、校内組織、課題研究の指導法、大学や地域との連携を見直す期間になった。サイエンス科と一部の教員を中心に進めてきたSSHを、普通科を含む学校全体へ広げ、さらに宮崎県内の高校の探究活動を支える事業へ組み替える準備が進められたのである。
私は、清心女子高等学校でSSHを担当していた時期から、先進校視察などで宮崎北高校を訪れていた。そのときから、宮崎北高校には高い水準の課題研究がある一方で、その成果を学校全体へ広げ、中心となる教員が替わっても継続できる仕組みに課題があるように見えた。長い指定歴を持つ学校であっても、研究指導が外部研究者や特定の教員の力量に依存したままでは、学校の教育課程と組織の中に残りにくい。この問題は、清心女子でSSHを進めながら、私自身も直面してきた問題であった。
宮崎北高校の申請に直接関わったのは、南九州大学で理科教育研究室を担当していた時期である。二〇一九年度から始まる第Ⅳ期の申請について協力を求められ、清心女子で行ってきた課題研究指導や「集まれ!理系女子」の運営経験をもとに、県内の高校生が研究を発表する場をつくることに加えて、教員が探究指導の方法を共有し、大学、行政、企業、地域が高校生の探究を支える仕組みを、申請の中に位置づけることを提案した。
宮崎北高校には、第Ⅰ期以来、サイエンス科の科学探究、高大連携、学校設定科目、国際交流を進め、県内の大学や行政と関係をつくってきた蓄積があった。第Ⅳ期SSHでは、その蓄積を基盤に、サイエンス科で得られた研究指導の経験を普通科へ広げ、さらに県内の高校や教員が共有できる仕組みへ組み替えることが課題となった。MSECは、この課題に応えるために構想された。自校の発表会を大きくするのではなく、宮崎県内の学校が探究活動の成果と指導方法を持ち寄り、生徒と教員の双方を支える県域の仕組みをつくることが目指されたのである。
宮崎北高校は、二〇一九年度に第Ⅳ期SSHとして再指定され、同時に科学技術人材育成重点枠にも採択された。基礎枠では「地域創生に携わる科学技術人材を育成する教育プログラムの研究開発」を掲げ、重点枠では、MSECによる県域への普及に取り組んだ。普通科には地域や社会の課題を扱うACT-LI、サイエンス科には科学研究を進めるACT-SIを置き、それまでサイエンス科を中心に進めてきた探究活動を、普通科を含む全校の教育課程へ広げた。
ここで宮崎北高校は、自校の生徒の研究を支えるSSH校であると同時に、宮崎県全体の探究活動を支える主幹事校としての役割を担うようになった。私の宮崎北高校への関わりは、清心女子や山脇学園で行ってきたように、生徒一人ひとりの研究を日常的に直接指導するものではなかった。南九州大学の理科教育担当教員として第Ⅳ期の申請に関わり、その後は運営指導委員として、教育課程、研究指導、MSECの運営、県域への普及がどのように進むかを継続して見てきた。
二〇二四年度から始まる第Ⅴ期、すなわち先導的改革型Ⅰ期の申請には、山脇有尾類研究所所長の立場で助言し、指定後も運営指導委員を務めている。第Ⅴ期では、生徒の探究活動の高度化、普通科を含む全校の探究、教師の伴走力の育成、MSECによる県域連携、国内外の高校と専門家による共同研究が、一つの研究開発の中に置かれた。第Ⅳ期で整えた県域の探究支援を、第Ⅴ期では、教師を育てる制度や、学校を越えた共同研究へ広げようとしているのである。
宮崎北高校のSSHの歴史は、二〇〇三年度から同じ事業を途切れなく拡大してきた歴史ではない。第Ⅲ期後の継続申請が採択されず、校内がSSHを今後継続しない方向へ傾く局面を経験した後、二年間の経過措置の中で、サイエンス科を中心に蓄積してきたものの何を残し、普通科を含む全校へ何を広げ、県内の学校、大学、行政とどのような関係をつくるのかを問い直した。第Ⅳ期には、自校の科学探究を県全体の探究活動を支える制度へ組み替え、第Ⅴ期には、そのネットワークを教師の育成や国内外の共同研究へ広げようとしている。この転換の過程の中に、MSECが成立した理由と、現在の宮崎北高校の役割がある。
3 ACT-LI・ACT-SIによる探究活動の制度化
宮崎北高校の第Ⅳ期SSHでは、サイエンス科にACT-SI、普通科にACT-LIを置いた。二つは対象とする生徒や研究内容を異にしていたが、いずれも、生徒が自分たちで問題を設定し、調査や実験によって確かめ、他者からの質問を受けて方法や考察を修正していく教育課程として構成された。サイエンス科では自然科学の研究を深め、普通科では地域や社会の課題を扱う。対象は異なっていても、探究を学校の教育課程の中に置き、生徒が問題設定から発表までを経験する仕組みをつくろうとした点では共通していた。
サイエンス科のACT-SIでは、一年次に研究対象と出会い、研究テーマと計画を考え、二年次に観察や実験を進め、三年次に成果を発表し、論文としてまとめる流れがつくられた。生徒は、研究計画書を作成し、予備実験を行い、外部研究者の前で研究計画や途中経過を発表した。そこで指摘された問題を受けて、研究方法や仮説を見直し、再び観察や実験へ戻った。研究計画、予備実験、外部からの助言、方法の修正、発表、論文作成という過程が、サイエンス科の三年間の中に組み込まれていた。
第Ⅴ期の先導的改革型Ⅰ期では、この研究の進め方が、PPDACサイクルとして明確に位置づけられた。PPDACとは、Problem、Plan、Data、Analysis、Conclusionの五段階で研究の過程を捉える考え方である。問題を立て、計画をつくり、データを集め、分析し、結論を導く。しかし、研究は一方向に進むわけではない。データを集めた後に問題設定へ戻り、分析の結果から計画を修正し、発表で受けた質問から次の問題を立てる。第Ⅴ期では、そのような循環を、生徒と教師が共有できるようにした。
PPDACは、生徒を決められた手順に従わせるための管理表ではない。生徒が、自分たちの研究がいまどこで立ち止まっているのかを確認するためのものである。問題が広すぎるのか、必要なデータが集まっていないのか、分析の方法が適切でないのか、得られた結果から結論を導けるのかを確かめる。教師も、生徒に答えを示すのではなく、研究のどの段階に戻る必要があるのかを、生徒と一緒に考えることができる。PPDACは、探究を形式的な発表で終わらせず、研究の途中で戻る場所を見えるようにするための枠組みであった。
一方、普通科の探究活動は、ACT-LI、すなわちリベラル・イノベーションとして構成された。ACT-LIは、普通科の生徒が地域や社会の課題を対象に、自分たちで問題を設定し、調査し、データに基づいて考え、提案するための探究活動である。一年次のACT-LI1では、デザイン思考や合意形成の方法を学び、探究に入るための基礎を身につける。二年次のACT-LI2では、領域選択とチーム編成を行い、アイデア出しからテーマ設定、先行研究調査、研究計画の作成へ進む。三年次には、それまで進めてきた探究の成果をMSECフォーラムなどで発表する流れが整えられた。
ACT-LIが対象としたのは、地域企業、文化、観光、スポーツ、生活上の問題などであった。生徒は、地域の人から話を聞き、実態を調査し、得られた情報をデータとして整理し、根拠を示して提案する。宮崎北高校が育成しようとした科学技術人材は、専門的な科学実験を行う生徒だけを指していたのではない。地域や社会の問題を発見し、調査やデータに基づいて考え、他者へ伝え、解決へ向けて提案する生徒も含んでいた。
とくにACT-LIでは、PPDACの最初のProblem、すなわち何を問題として取り上げるかが重視された。地域について調べるだけなら、すでに知られている事実を集めて発表するところで終わってしまう。探究にするためには、地域の人が何に困っているのか、現在の方法にはどのような問題があるのか、どの資料や調査によって確かめられるのかを考え、扱う問題を具体化しなければならない。地域を題材にすることと、地域を研究対象として問い直すことは同じではない。ACT-LIでは、その最初の段階に時間をかけようとしていた。
先導的改革型Ⅰ期では、一年次のプレ探究でデザイン思考を学び、二年次のACT-LI2でチームによる探究を行い、三年次にMSECフォーラムで発表する流れが整えられた。ACT-LI2の年間計画では、四月に分野の希望調査とチーム編成を行い、五月には、付箋やワークシートを用いて考えを出し合い、複数の案を比較しながらテーマの方向性を絞り込んだ。六月からは、図書館を使った実態調査と先行研究調査を行い、七月にテーマ、仮説、研究計画を決めた。九月の探究活動見本市では、完成した研究成果ではなく、研究計画を説明し、外部から助言を受けて計画を修正した。さらに一月の合同発表会で途中経過を示し、再び研究内容を見直した。
この年間計画が示しているのは、普通科の生徒に、いきなり完成した研究成果を求めていないということである。興味を言葉にすること、漠然とした関心を調査できる問題へ変えること、先行研究を読んで自分たちの考えを見直すこと、方法の不十分さに気づいて計画をつくり直すことも、探究活動の一部として授業時間の中に置かれていた。担任、副担任、図書館、探究サポーター、探究活動見本市や合同発表会が、その過程を支えた。
ACT-SIでは、サイエンス科の生徒が自然現象を対象に長期の科学研究を進め、ACT-LIでは、普通科の生徒が地域や社会の問題を調査とデータによって考えた。二つの教育課程が並行して進み、その成果と途中経過がMSECに持ち寄られることで、探究活動は宮崎北高校の教育課程だけにとどまらず、県内の学校、教員、大学、地域の人々と共有されるようになった。MSECは、サイエンス科と普通科の探究を学校内で並べるだけでなく、その過程を県域へ開いていくための場にもなっていった。
4 発表するMSECから、研究を支えるMSECへ
SSHには、自校で開発した教育課程や研究指導の方法を、自校の中だけにとどめず、周囲の学校へ伝え、地域の科学教育を牽引していく役割がある。宮崎北高校のMSECは、その役割を宮崎県全体に広げるために構想された取り組みであった。宮崎北高校が第Ⅰ期以来蓄積してきたサイエンス科の課題研究、高大連携、学校設定科目、国際交流の成果を、宮崎北高校の中に閉じ込めず、県内の高校生と教員が共有できる仕組みにすることが、第Ⅳ期SSHにおけるMSECの出発点であった。
そのためにまず置かれたのが、県内の高校生が研究成果を持ち寄るMSECフォーラムと、探究学習を担当する教員が指導方法を共有する研修会であった。生徒は、自分たちの研究を発表し、他校の研究に触れ、質問を通して研究方法や考察を見直す。教員は、テーマ設定、研究計画、データの扱い、発表後の指導について、各校で抱えている困難と工夫を共有する。MSECは、宮崎北高校がSSHで培ってきた研究指導の成果を、県内の学校へ開く仕組みとして始まった。
コロナ禍には、対面で生徒が集まることができず、MSECフォーラムでもオンラインによるポスター発表や動画発表を取り入れた。研究内容をどのように伝え、発表者と参加者の間にどのように質疑を成立させるかを試行しながら、県内の研究交流を途切れさせない方法を探った。発表の形式は変わっても、生徒が自分の研究を他者へ説明し、質問を受けて研究を見直すというMSECの目的は維持された。
対面での発表が再開されると、MSECフォーラムは、県内各校の生徒が集まる発表交流会へ成長した。第Ⅳ期の終盤には、対面型日本語部門だけで十七校から四二五作品が出され、一二八七名が参加した。オンライン部門を含めると、MSECの全加盟校が関わる規模になった。これだけの生徒と研究が一つの場に集まったことは、宮崎北高校が開発してきた探究活動の成果が、県内各校の実践と結びつき、宮崎県全体の研究交流として定着し始めたことを示している。
この継続を支えたのは、発表会当日の運営だけではなかった。MSECでは、管理職も参加するMSEC協議会を年二回開き、各校の担当者が指導方法や実践上の課題を扱うMSEC研修会を学期ごとに設定した。宮崎北高校を主幹事校とし、宮崎大宮、五ヶ瀬、飯野、延岡、宮崎海洋、延岡星雲、高校教育課などが加わる幹事会で事業案を作成し、加盟校へ共有した後、協議会で提案、審議、決定する手続きも整えた。
MSECが県域の事業として続くためには、発表会当日の熱意に加えて、学校間で合意をつくる仕組みが必要であった。県内の複数校が毎年参加し、教員が指導方法を共有し、管理職が学校の教育活動として認め、次年度の計画へ引き継ぐためには、協議会、幹事会、研修会、共有資料、年間計画が必要になる。MSECが継続できた背景には、研究発表という表に出る活動だけでなく、その背後で事業を支える運営の仕組みがあった。
第Ⅴ期の先導的改革型Ⅰ期に入ると、MSECは、完成した研究を発表する場に加えて、研究が完成する前の段階から生徒を支える仕組みを整え始めた。発表会で研究の不十分さを指摘されても、研究期間が終わっていれば、生徒は実験や調査へ戻ることができない。テーマを決める段階、研究計画を立てる段階、データの収集や分析に迷う段階で、学校外の人から問い返され、方法を見直せる機会を置く必要があった。
そこで、MSEC研修会やMSECフォーラムに加え、探究サポーター制度、MSEC探究活動見本市、MSEC探究活動中間発表会が配置された。探究サポーター制度では、地域の大人が高校生との対話に加わり、生徒が漠然とした関心を研究可能な問題へ変えていく過程を支える。見本市では、生徒が完成前の研究テーマや計画を学校内外の人に説明し、助言を受けて計画を練り直す。中間発表会では、調査や実験の途中で得られた結果を示し、方法、データの不足、考察の問題について質問を受け、研究を修正する。
この変化によって、MSECフォーラムは、最終発表の場であると同時に、研究途中で他者から問い返される一連の仕組みの中に位置づけられるようになった。生徒は、テーマ設定、研究計画、中間発表、最終発表という複数の段階で他者に研究を説明し、自分たちだけでは気づかなかった問題を指摘される。必要であれば、データを取り直し、仮説や方法を修正することもできる。MSECは、第Ⅳ期に県内の研究を持ち寄る発表交流の場をつくり、第Ⅴ期には、研究が完成するまでの過程を、教員、他校の生徒、地域の大人、大学や専門機関が支える仕組みへ進んだのである。
この取り組みには、さらに広げるべき範囲も見えている。普通科高校やSSH指定校に限らず、商業高校、工業高校、農業高校、水産高校などの職業系高校、私立学校、小中学校をどのように結ぶかという課題である。職業系高校では、地域産業や生活上の課題と結びついた探究が行われている。小中学校で子どもたちがどのような探究を経験しているかを知ることも、高校での指導を考えるうえで必要になる。
大学、博物館、県の試験研究機関、企業がMSECの支援機関として継続的に関われば、発表会で助言するだけでなく、各校が研究テーマ、実験方法、調査対象、データ分析について困ったときの相談先になることができる。参加校や発表件数の拡大に加えて、それぞれの学校だけでは支えきれない生徒の研究を、どの学校種、どの専門家、どの地域資源へつなぐのかを明確にし、その関係を一年度限りで終わらせずに維持することが、MSECの次の課題になっている。
5 第Ⅴ期SSHにおける国際共同観測 ―学校が研究ネットワークのハブになる
前節で見たように、MSECは、宮崎北高校がSSHで培ってきた課題研究指導や探究活動の成果を、県内の高校へ開く仕組みとして進んできた。第Ⅴ期SSHで始まった星食観測は、その学校間連携を、国内外の高校、天文学の専門家、国際的な観測組織を結ぶ共同研究へ広げた実践である。宮崎北高校が単独で観測成果を求めるのではなく、国内外の高校に参加を呼びかけ、専門的な観測組織の支援を受けながら、高校生の観測記録を科学的に報告できるデータへ高めていったところに、この実践の特徴がある。
二〇二四年度、宮崎北高校は、愛知県立一宮高等学校、兵庫県立三田祥雲館高等学校、兵庫県立小野高等学校と連携し、小惑星による恒星食の広域同時観測に取り組んだ。恒星食とは、小惑星が恒星の前を通過し、星の光を一時的に隠す現象である。観測対象は、小惑星(3200)Phaethonによる恒星食であった。複数の高校が異なる地点で同じ現象を観測し、IOTA/EA(International Occultation Timing Association - East Asia)に関わる専門家の支援を受けながら、観測機材の設定、対象星の導入、正確な時刻の記録、光度変化の解析を学んだ。
実際の観測は天候に阻まれ、目的とした恒星食を捉えることはできなかった。それでも、生徒たちは、満月に近い厳しい条件の下で、十二等級の対象星を導入できるところまで観測技術を高めた。観測後の研究発表会では、参加した各校が、それぞれ取り組んでいる天文学研究を持ち寄り、使用した機材、観測方法、解析上の問題を共有した。目的の現象を記録できなかった経験は、失敗として終わったのではなく、次の観測に必要な技術を確認し、学校を越えて共同研究を行う関係を残すものになった。
この経験は、二〇二五年度のタイとの国際共同観測へつながった。宮崎北高校は、姉妹校であるカセサート大学附属高等学校へ観測機材を貸与し、日本とタイの高校生がオンラインで観測方法を学びながら、同じ天文現象を複数地点から観測する体制を整えた。タイ天文協会、タイ国立天文台、IOTA/EA、日本国内の連携校も、この観測に関わった。
この取り組みでは、観測機材を現地へ送り、対象星の導入や時刻の記録について事前に学び、それぞれの地点で得た結果を集めて検討した。姉妹校交流の中に、実際の観測データを得るための共同研究が組み込まれたのである。タイ側では百名を超える生徒が参加し、日本側では、宮崎北高校の生徒が保護者の協力も得ながら、観測準備と当日の作業を担った。ここでは、国際交流が、互いの学校を訪問する交流にとどまらず、同じ天文現象を観測し、得られた記録を共有する共同研究へ進んでいた。
星食観測では、恒星の減光を捉えた記録だけが重要なのではない。予測された時刻に減光が確認されなかった地点の記録も、小惑星の影が通過した範囲を限定するために必要になる。観測に成功した地点と、減光が確認されなかった地点の記録を合わせることで、小惑星の影がどの範囲を通過したのかを推定できる。二〇二五年度の共同観測では、日本とタイを合わせた十三地点で観測が行われ、そのうち七地点で、解析に用いることのできる観測記録が得られた。
さらに宮崎北高校は、その後、小惑星(471)Papagenaによる恒星食の観測で、実際の減光を捉え、科学的に報告できるデータの取得に到達した。二〇二四年度には天候によって目的の現象を記録できなかった生徒たちが、観測機材の扱いと解析方法を学び、国内外の学校との共同観測を経て、恒星食の検出に至ったのである。最初の観測で得られた課題を、次の観測計画と技術の改善へつないだ点に、この研究の継続性が表れている。
宮崎北高校のSSHでは、MSECを通して、県内の学校が探究活動の方法を共有し、生徒の発表と教員の研修を支える関係をつくってきた。星食観測では、その関係が、県内の探究活動の普及にとどまらず、国内の高校、海外の姉妹校、天文学の専門家、国際的な観測組織を結ぶ共同研究へ広がった。宮崎北高校は、主幹校として、機材、技術、専門家との関係、観測方法を他校へ開き、それぞれの学校の生徒が観測者として参加できる条件をつくった。その意味で、星食観測は、宮崎北高校のSSH教育プログラム開発が、MSECで培った学校間連携を土台にして、実際の国内外共同研究へ展開した事例であった。
6 生徒を支える制度から、教師を育てる制度へ
MSECは、生徒が研究を発表する機会を県内に広げると同時に、探究活動を指導する教師が学び合う仕組みをつくった。探究活動は、生徒に「自由に考えなさい」と任せるだけでは成立しない。生徒が持ち込む関心は、最初から研究可能な問いになっているとは限らない。地域のことを調べたい、環境問題を扱いたい、観光を活性化したい、身近な不便を解決したいという思いがあっても、そのままでは、何を調べ、どの資料を使い、どのような方法で確かめるのかが見えにくい。調査や実験の方法、データの集め方、分析の仕方も、最初から十分に分かっているわけではない。
教師が答えや方法を先回りして与えれば、生徒の探究は教師が組み立てた研究へ変わってしまう。しかし、教師が生徒の自主性を尊重するという理由で関与しなければ、漠然とした関心のまま止まり、研究として進まないこともある。探究活動を支える教師には、この二つのあいだで、生徒の問いをつぶさず、同時に研究として進む道筋を見失わせない関わり方が求められる。
運営指導委員として宮崎北高校の実践を見てきた中で、私は、教師がどこで問い返し、どこまで方法を示し、いつ外部の専門家や地域の人へつなぐかという判断が、探究活動の成否を左右することを感じてきた。サイエンス科の一部の教員だけでなく、普通科の担任、副担任を含む多くの教員がACT-LIに関わるようになれば、個々の教員の経験だけに指導を任せることはできない。教師が互いの指導上の困難と工夫を共有し、探究の過程で生徒にどう関わるかを学ぶ仕組みが必要になった。
二〇二四年度からの先導的改革型Ⅰ期では、探究活動を支援する教員に必要な力として、三つの能力が設定された。第一は、生徒との対話を通して思考を導く伴走者としての能力である。第二は、研究の可能性と問題点を見分け、より質の高い成果へ導く鑑識眼である。第三は、探究的な学びを目指して、自らの授業を改善し続ける能力である。ここで育てようとされたのは、探究活動を担当する一部の教員だけの力ではなかった。普通科の担任や副担任も含めて、生徒の問いに日常的に向き合う教師の力であった。
これらの方針を具体化するために、探究活動指導法講座、指導実践共有会、クラウドを利用した指導教材の共有、探究の質を見取る力を育てる鑑識眼特別養成講座、経験のある教員が校内で助言役となるOJTトレーナー制度、研究会、相互参観授業などが計画の中に置かれた。OJTとは、On-the-Job Training、すなわち実際の職務の中で学ぶ研修である。探究指導に経験のある教員が、実際の指導事例や教材を他の教員へ渡し、授業を互いに見合いながら、生徒の探究がどこで止まっているのか、どのような支援が必要なのかを学校全体で考える仕組みであった。
ACT-LI2の教員向け伴走マニュアルは、その考えを一時間ごとの授業に具体化している。各クラスでは、Classroomに配信された解説動画や資料を用いて、テーマ設定、先行研究調査、仮説、研究計画、調査や実験、分析、発表へと進む。担任や副担任に求められているのは、研究の答えを教えることではない。生徒との対話によって考えを整理し、生徒が自分で次の作業を選べるよう、必要な段階で問いやヒントを返すことである。
マニュアルでは、この関わり方を「ガードレール型のファシリテーション」と表現している。教師が進む道を細部まで決めれば、生徒は指示された作業を行うだけになる。一方、何の支援もなければ、生徒は何を調べ、どのような方法で確かめればよいのか分からないまま立ち止まる。ガードレール型のファシリテーションでは、教師が安全上、倫理上、研究方法上の限界を確認しながら、生徒が自分でテーマや方法を選べる範囲を支える。教師は道を代わりに歩くのではなく、生徒が道を外れて危険なところへ進まないように見守り、必要なところで問い返し、次の判断を促すのである。
この伴走マニュアルでは、評定と評価も区別されている。評定は、学習活動の到達状況を一定の基準に照らして示すものである。それに対して評価は、完成した成果を判定する場面だけで行われるものではない。生徒がいま何を考え、どこで迷い、何を次に行う必要があるのかを明らかにし、教師の指導と生徒の学習を改善するために行われる。授業中の対話、研究計画への問い返し、中間発表での助言も、探究を前へ進めるための評価に含まれる。
研究の途中で得られた結果が予想と異なっていたとき、それを「失敗した研究」と判定して終わらせるのか、問題設定、計画、データ、分析のどこを見直す必要があるのかを考える材料として扱うのかによって、その後の研究は変わる。教師の役割は、失敗を消して発表できる形に整えることではない。生徒が失敗の理由を検討し、必要であれば前の段階へ戻り、次の調査や実験を自分で選べるように支えることである。探究活動における評価は、生徒を序列化するためだけではなく、研究を続けるための判断を支える働きを持っていた。
MSECが教師の研修、教材の共有、授業の相互参観、OJTを事業の中に置いたのは、生徒の探究を、特定の経験豊かな教員だけに任せないためであった。生徒の問いを県全体で支えるには、発表会や外部人材の制度だけでなく、日常の授業で生徒に向き合う教師が、互いの実践を検討し、指導方法を更新できる仕組みが必要だった。MSECは、生徒の研究を県内に開く制度であると同時に、教師が探究指導を学び続ける制度にもなっていったのである。
7 MSECから宮北サイエンスセンター構想へ ―県域ネットワークを支える研究拠点
MSECは、県内の高校を結び、生徒の研究発表、教員の研修、研究計画への助言、大学や地域との連携を進めてきた。生徒は他校の研究に触れ、教員は探究指導の方法を共有し、地域の大人や専門家も高校生の探究に関わるようになった。宮崎北高校が主幹校としてつくってきたこの県域ネットワークは、宮崎県内で生徒の問いを孤立させないための重要な土台になった。
それでも、学校間のネットワークが整えば、それぞれの学校で研究がすぐに継続できるようになるわけではない。生徒が観察や実験を続けるには、場所がいる。必要な機材がいる。試料や記録を保存する場所がいる。研究方法を相談できる専門家も必要になる。校内に設備がない、指導できる教員がいない、実験材料を保管できない、データを次年度へ引き継ぐ仕組みがない。そのような理由で、生徒が持った問いが、研究として前へ進まない場合もある。
MSECによって結ばれた生徒と教員が、発表会や研修会の日だけでなく、日常的に利用できる研究・教育拠点をどのようにつくるか。その課題の先に構想されたのが、仮称「宮北サイエンスセンター」である。
この構想の背景には、宮崎北高校がこれまでに蓄積してきた三つの実践がある。第一は、二〇〇三年度の第Ⅰ期指定以来、SSHを通して蓄積してきた課題研究の指導経験と実験施設である。第二は、小中学生を対象とした科学教室や、地域の科学イベントへの協力である。第三は、MSECの主幹事校として、県内の高校、大学、行政、企業、地域の人々を探究活動へ結びつけてきた経験である。宮北サイエンスセンター構想は、この三つをばらばらに置くのではなく、県内の子どもたちと教員が継続して利用できる研究・教育拠点へまとめようとするものであった。
宮北サイエンスセンターは、県内の小中学生、高校生、教員、大学生、卒業生、研究者、地域の人々が利用できる研究・教育拠点として構想されている。県立高校である宮崎北高校と、市町村立の小中学校が連携し、探究授業の支援、実験施設の開放、高校生による小中学生の自由研究指導などを行うことが想定されている。また、「探究塾」「科学教室」「研究所」という三つの機能を置き、科学に関心を持った子どもが、一日の体験で終わらず、自分の疑問を継続して調べられる仕組みも考えられている。
この構想の基礎となる活動は、すでに始まっている。「わくわくサイエンス教室」では、小学五年生から中学三年生を対象に、マニュファクチャリングや科学実験を行い、宮崎北高校サイエンス科の生徒が、企画、準備、運営、指導を担当してきた。これまでの参加者全体の二六%、中学三年時に参加した生徒の四〇%が、その後、宮崎北高校サイエンス科へ入学している。この数字は、科学教室が一日限りの体験にとどまらず、参加した子どもたちの進路選択にもつながっていたことを示している。
普通科のACT-LIでは、地域企業探究に三十四社が協力している。ACT-LI2の探究サポーターには約九十名が登録し、地域の企業や住民が、高校生がテーマを決め、調査方法を考える段階から対話に加わっている。MSECフォーラムには、生徒一一六八名、三九七作品、教員一〇三名、外部参加者約一〇〇名が集まり、ポスター発表と生徒交流が行われた。これらの数字は、宮崎北高校の探究活動が、校内のサイエンス科だけに閉じたものではなく、普通科、地域企業、県内高校、教員、外部参加者を巻き込む広がりを持っていることを示している。宮北サイエンスセンター構想は、宮崎北高校とMSECの中に形成されてきた人、施設、活動を、一年度ごとの事業で終わらない研究拠点へ結び直そうとするものである。
この構想では、センターの機能だけでなく、それを運営するための人員についても検討されている。センター長、専属職員、博士号を持つ人材の活用、指導者の後継者育成などである。「部活動の地域移行の科学版」という考え方も示されており、放課後や休日の研究指導を、特定の高校教員の献身だけに依存させず、大学、企業、卒業生、地域の専門人材も担える体制が想定されている。研究を支えるには、熱心な教員がいるだけでは足りない。子どもが来る日、実験室を開ける人がいること。機材を管理する人がいること。安全を確認する人がいること。専門的な相談に応じる人がいること。そのような日常の運営を担う人員が必要になる。
さらに、実験棟の設置、高度な科学教育を行うための教員や専門人材の加配、SSH指定終了後の活動を支えるフォローアップ事業、MSECを含む県内の探究活動を継続するための基金、学校と外部機関を結ぶSSHコーディネーターの復活も提案されている。研究拠点を維持するには、施設や機器に加えて、人件費、活動費、機器の保守、安全管理、学校間の調整を継続して担う仕組みが必要になるからである。宮北サイエンスセンター構想は、単に新しい施設を求めるものではなく、研究を続けるために必要な人、予算、管理、連携を一体として考えようとする提案であった。
公立高校を拠点とする構想では、制度上の検討も欠かせない。県立高校である宮崎北高校と、市町村立の小中学校が、どのような役割分担のもとで連携するのか。実験施設を誰が管理し、事故が起きた場合の責任を誰が負うのか。勤務時間外の指導をどのように位置づけ、専門人材をどの制度によって確保するのか。県教育委員会、市町村教育委員会、学校、大学、企業が、運営責任と費用をどのように分担するのか。構想を継続的な制度にするためには、公教育の仕組みに即した検討が必要になる。
宮北サイエンスセンターに求められるのは、宮崎北高校の特色を示す施設にとどまることではない。県内の生徒や教員が、研究テーマ、実験方法、調査対象、データの分析について困ったときに相談でき、必要な機材を利用し、研究記録を残し、専門家の助言を受け、学校を越えて研究を継続できる場所となることである。そのためには、施設、専門人材、運営組織、予算、安全管理、学校間連携を、一つの運営体制として組み合わせなければならない。
現段階で、宮北サイエンスセンターは、設置や運営が決定した制度ではなく、宮崎北高校のSSHとMSECの実践をもとに示された構想である。ただし、その構想の中には、二〇〇三年度以来の課題研究指導、小中学生への科学教室、ACT-LIにおける地域連携、MSECによる県域ネットワークを、継続して利用できる場所、人材、設備、予算へ結びつけようとする具体的な提案が含まれている。一つのSSH指定校に蓄積された経験を、指定終了後も宮崎県の科学教育に残すには何が必要なのか。宮北サイエンスセンター構想は、その問いに対する制度的な応答として示されている。
ここでいう「オープンラボ」は、宮北サイエンスセンターの公式な施設名称ではない。MSECによって結ばれた県内の生徒や教員が、学校の違いを越えて研究設備を利用し、専門家に相談し、研究を継続できる拠点という意味で、本章ではこの言葉を用いている。
8 問いを孤立させない制度――SSH指定期間後にも残る仕組みへ
宮崎北高校のMSECは、長くSSH指定を受けてきた学校が、第Ⅲ期後に継続申請の不採択を経験し、その後の経過措置期間の中で、研究指導をどのように継承するかを問い直したところから生まれた。サイエンス科と一部の教員を中心に進めてきた科学探究を、普通科を含む学校全体の教育課程へ広げること。さらに、その成果を宮崎北高校の中にとどめず、県内の高校、大学、行政、企業、地域の人々と共有すること。その二つの課題が、MSECの構想につながっていった。
第Ⅳ期のMSECでは、県内の高校生が研究成果を持ち寄る場と、教員が探究指導の方法を共有する場が整えられた。生徒は、自分の研究を他校の生徒に説明し、質問を受けて方法や考察を見直す。教員は、テーマ設定、研究計画、データの扱い、発表後の指導について、各校で抱えている困難と工夫を持ち寄る。MSECは、宮崎北高校がSSHで蓄積してきた課題研究の方法を、県内の学校へ開く制度として動き始めたのである。
第Ⅴ期に入ると、その制度は、完成した研究を発表する場から、研究が完成する前の段階を支える仕組みへ広がった。生徒が漠然とした関心を研究可能な問題へ変える段階、研究計画を立てる段階、途中結果を示して方法や考察を見直す段階に、学校外の人が関わるようになった。発表会で指摘を受けるだけでは、研究期間が終わってしまえば実験や調査へ戻ることができない。だからこそ、研究の途中で問い返され、修正できる仕組みが必要であった。
この流れの中で重要になったのは、生徒の問いを、一人の教師、一つの学校、一年度の事業の中で終わらせないことであった。研究を続けるには、指導方法を共有する仕組み、研究を相談できる人、継続して利用できる場所、必要な機材、記録を残す方法、施設を管理する組織、活動を支える予算が必要になる。MSECは、そのうち、学校間の関係、教員の研修、生徒の発表と助言の場を整えてきた。生徒の問いを県内の学校や地域の人々へ開き、教師が一人で抱え込まなくてもよい関係をつくってきたのである。
宮北サイエンスセンター構想は、その先にある課題を引き受けようとしている。MSECによって学校間の関係が生まれても、観察や実験を続ける場所、試料や記録を保存する仕組み、機材を管理する人、専門的な助言を行う人、活動を支える予算、安全管理、学校間の調整がなければ、研究は日常的には続かない。宮北サイエンスセンター構想は、MSECで結ばれた関係を、発表会や研修会の日だけで終わらせず、日常的に研究を継続できる拠点へ進めようとするものであった。
清心女子の「集まれ!理系女子」では、研究を始めた女子生徒が、他校の生徒と出会い、女性研究者から助言を受け、自分の研究を続けてもよいと思える関係をつくろうとした。宮崎北高校のMSECでは、その問題意識が、県内の高校生、教員、大学、行政、企業、地域の人々を結ぶ制度へ広がった。さらに宮北サイエンスセンター構想は、その制度を、発表や研修の場から、継続して研究を支える場所、人材、設備、予算の問題へ進めようとしている。
問いを孤立させないためには、問いを持った生徒の周囲に、教師、他校の生徒、地域の人、大学や専門機関、研究設備、運営組織を結びつける必要がある。生徒が問いを持っても、校内に設備がなければ研究は止まる。相談できる人がいなければ、方法を見つけられない。発表の場だけがあっても、途中で立ち止まった研究を支えることはできない。宮崎北高校のSSHとMSECは、そうした条件を宮崎県の公教育の中に置こうとしてきた。MSECから宮北サイエンスセンター構想へ向かう流れは、SSHで開発した教育実践を、指定期間中の成果に終わらせず、学校を越えて残る仕組みへ変えようとする試みなのである。














