⑫ ハブ型オープンラボの完成 ―学校が研究の拠点となるという転換―
1.生命科学コースとSSHの到達点 ―なぜ次の制度が必要になったのか―
山脇有尾類研究所は、私が清心女子高等学校でSSH主任として第1期・第2期の十年間にわたって進めてきた実践を、山脇学園という新たな学校において、学校内研究所という形に組み直す試みとして構想したものである。
清心女子SSHでは、生命科学コースを中心に、授業「生命」、自然探究、森林実習、海外研修、科学英語、課題研究、研究発表会が、一つの教育課程の中で結ばれていた。生徒は、授業で知識を学ぶだけでなく、森林や海、大学の研究室などで実際の自然や生命に触れ、そこで気づいたことを観察し、科学的に確かめる課題へ変えていった。得られた結果は研究発表会や学会で発表され、研究対象、飼育個体、実験方法、記録、未解決の問題は後輩へ渡された。学校の中で、生徒から生徒へ研究を継承する仕組みが、すでに動いていたのである。
生命科学コースは、SSH第1期から第4期まで二十年間継続し、最後まで清心女子SSHの根幹を担った。山脇有尾類研究所は、清心女子で形成されたこの研究文化を引き継ぎ、研究対象、設備、記録、倫理審査、外部研究者との連携を、学校内に常設する研究組織へ発展させようとしたものである。
清心女子における生命科学教育の構想は、一九九九年に始まった授業「生命」を基盤としている。学校改革アンケートを通して生徒、保護者、教員の声を聴き、生命や生き方、社会の問題を考える授業「生命」を教育課程に位置づけた。
その実践を踏まえ、二〇〇六年度からのSSH申請では、女子生徒の理系進学を支援する新しい教育課程として生命科学コースを構想した。申請書の段階で、教科の学習、自然体験、大学や研究者との連携、科学英語、課題研究、研究発表を三年間の中で結び、生徒が生命科学に触れながら自らの進路を選択できる構造を示していた。
SSH指定後は、この構想を実際の教育課程として動かしながら、森林実習、海外研修、研究発表会などを充実させた。さらに、女子生徒が学校を越えて研究を発表し、交流する場として、「集まれ!理系女子」を加えた。生命科学コースとSSHの教育構造は、申請時の構想を基礎とし、実践の中で新たな活動を加えながら発展していったのである。
授業「生命」で育てようとしたのは、生徒が生命や社会の問題を自分とは無関係なものとして受け流さず、自分自身の問題として考える姿勢であった。生命科学コースとSSHでは、その姿勢を、自然や生命に触れる体験、継続した観察、実験、調査、データに基づく科学研究へつないだ。
清心女子高等学校のSSH第1期が最終年度を迎えた二〇一〇年度の運営指導委員会では、課題研究の意味そのものが議論された。そこで示された重要な指摘は、研究とは、先に答えが用意された課題を解くことではなく、観察と実験を積み重ねながら答えに近づいていく営みであり、その過程を後輩が引き継げる形にすることが大切だということであった。
学会発表や受賞は、生徒に自信を与える。しかし、研究は学会発表や受賞のために行うものではない。生徒が対象を見つめ、方法を考え、結果を解釈し、そこで答えられなかった問題を次の生徒へ渡していく。その過程が学校の中に残されることに、課題研究の教育的な意味がある。
この認識が共有されたことによって、課題研究は、一年間で成果をまとめて発表するだけの活動ではなくなった。先輩の研究対象と記録を後輩が受け取り、その結果を読み直し、残された問題を新たな方法で確かめ、さらに次の世代へ渡していく。研究を年度ごとに区切らず、個体、記録、方法、未解決の問題を継承するという考えは、のちに山脇有尾類研究所へ引き継がれることになる。
この研究の継承を支えたのは、教育課程だけではなかった。課題研究を直接指導する教員に加えて、授業、実習、森林研修、海外研修、研究発表などに関わる複数の教員が、それぞれの役割を担った。担任は、研究方法を直接指導する立場ではなくても、生徒の日常の変化を見守り、研究が進まない時期にも生徒に伴走した。研究指導を行う教員と、生徒の学校生活を支える教員の働きが結びつくことによって、制度は生徒一人ひとりの成長を支える教育として動いた。
生命科学コースは、SSH第1期・第2期の十年間にわたって安定して生徒の科学研究を支え、その後も第3期・第4期へと継続した。それは、学校の内部に課題研究を成立させ、次の生徒へ継承する教育制度が、現実に機能したことを示す到達点であった。
研究を継承する仕組みが長く続いたことによって、新たな課題も現れた。二〇一六年度の第3期SSH運営指導委員会では、十年間の伝統が形成されたことによって、生徒が先輩の敷いたレールに乗るだけになり、興味や関心の幅が狭くならないようにする必要が指摘された。
「先輩が研究していた」という事実は、研究を始めるきっかけにはなる。しかし、それだけでは、自分がその問題を研究する理由にはならない。先輩が残した実験方法をそのまま繰り返し、同じ結果を確認するだけでは、研究を継承したことにはならない。先輩の記録を読み、まだ説明されていない現象を見つけ、自分が観察した事実と結びつけ、新しい方法で確かめる。研究の継承とは、研究題目を守ることではなく、残された問題を自分自身の研究として更新することである。
生命科学コースとSSHの成果は、受賞歴や理系進学実績だけで測れるものでもなかった。研究成果発表会をきっかけに、将来文系へ進む生徒も課題研究に関心を持つようになった。研究対象となった環境問題、医療、生命倫理、食料、感染症などは、理系の生徒だけに関係する問題ではない。SSHの直接の対象ではなかった生徒にも、科学を生活や社会と結びつけて考える姿勢が広がっていった。
生命科学コースとSSHの到達点は、優れた科学研究を生み出したことだけにあったのではない。科学を、自分とは関係のない専門家の領域としてではなく、生活、社会、進路、生き方に関わるものとして考える文化を、学校の中に形成したことにあった。
この到達点を踏まえたとき、研究を指導する教師に求められる力についても、改めて考える必要があった。
生徒の受験に向けた学習指導と、科学研究の指導とでは、教師に求められる働きが大きく異なる。受験指導では、すでに整理された知識を効率よく伝え、問題の解き方を理解させ、限られた時間の中で正答に到達できるようにすることが求められる。教師は、教えるべき内容と到達すべき答えをあらかじめ知っている。
科学研究では、教師も生徒も、最初から答えを知っているわけではない。何を調べればよいのかさえ、初めから明確であるとは限らない。飼育個体の行動が昨日までと違う。産卵の時期が予想とずれる。同じ条件で育てているはずの幼生に、成長の差が現れる。生徒がその変化を面白いと感じ、「なぜだろう」「確かめてみたい」と思うところから研究が始まる。
知識を多く覚えさせ、決められた問題を効率よく解かせることを中心とする教育だけでは、生徒の内面に生まれる「研究してみたい」という気持ちを育てることは難しい。教師が研究題目を決め、実験方法を指定し、予想される結果まで示せば、生徒は手順を正確に実行することはできる。しかし、それは、生徒自身が対象に引かれ、自分の研究を始めることとは異なる。
科学研究の指導では、生徒の内側に生まれた「取り組んでみたい」という気持ちを受け止め、その関心がどのような観察や実験へ発展する可能性を持つのかを、生徒とともに考える必要がある。生徒が自由に考え、それまでとは異なる見方を提案することが許され、予想どおりの結果が出なかったときにも、それを次の問題へ変えることのできる環境をつくらなければならない。
私がSSH主任を務めていた頃、他校のSSH担当教員が、「受験対策を指導するよりも、生徒の中に研究したいという気持ちを育て、その研究を導く方が、教師としての力を試される」と話したことがあった。私は、その言葉を聞いて、そのとおりだと思った。
知識を伝える授業では、教師が生徒より多くのことを知っていることによって、学習を進めることができる。しかし、研究では、生徒が教師の知らない現象に気づくことがある。教師が想定していなかった方法を提案することもある。そのとき教師に求められるのは、自分の考えへ生徒を従わせることではない。生徒の着想のどこに研究としての可能性があるのかを判断し、観察、実験、測定、記録によって確かめられる形へ導くことである。
生徒の提案をすべて無条件に認めることが、自由な研究指導ではない。実験として確かめられるのか、生命への負担は許容できるのか、必要な設備や時間を確保できるのか、先行研究との関係をどのように考えるのかを、生徒とともに検討しなければならない。生徒の好奇心を抑え込まず、同時に、科学研究として成立する方法へ導くところに、研究指導の難しさがある。
課題研究の指導には、研究対象についての専門知識だけでなく、生徒の好奇心を見逃さず、それを生徒自身の研究へ育てる力が必要になる。高度な課題研究は、意欲の高い生徒がいれば自然に成立するものでも、研究経験のある教師が題目と方法を与えれば成立するものでもない。研究対象に強く引かれた生徒と、その関心を奪わずに研究へ導くことのできる教師との間に、時間をかけた関係がつくられることによって成立する。
そのため、教員自身にも研究経験と専門的な力量が求められる。生徒の疑問を検証可能な問題へ変え、実験方法を設計し、得られた結果を解釈するには、教科書の内容を正確に教える力とは異なる判断が必要になる。
清心女子の生命科学コースでは、博士号取得者を含む大学院修了レベルの教員が研究指導に関わり、それぞれの専門性を生かして授業、実習、課題研究、研修、研究発表を支えた。複数の教員を配置するだけでは、研究指導の体制にはならない。学校が教員を採用し、配置するときに、生徒指導や教科授業の力とともに、科学研究を指導できる専門性をどのように位置づけるかは、課題研究を学校に根づかせるうえで重要な問題である。
生徒の研究と飼育個体の管理を、一人の教員の勤務時間外の献身に依存させないことも必要である。長期飼育や継続観察では、休日や長期休業中にも給餌、水の管理、温度の確認が必要になる。実験は、授業時間や勤務時間に合わせて進むとは限らない。産卵、孵化、変態、個体の異常が起これば、その時点で観察し、記録し、対応しなければならない。
研究へ伴走する教員が、生徒を指導し、飼育個体を管理し、研究記録を整理するための時間を、学校の正規の職務として保障する必要がある。課外の科学研究が、運動部活動の顧問と同じように、教員の長時間勤務によって支えられる構造になってはならない。生徒の自主性を重視することと、教員の無償の献身に依存することは別の問題である。
外部研究者による助言と技術支援も欠かせない。大学や研究機関の専門家は、高校内だけでは得られない専門知識や実験技術を提供する。一方、飼育個体の状態、実験の失敗、生徒の迷い、研究計画の変更を日常的に把握できるのは、学校内で生徒に伴走する教員である。
学校の教員は、生徒と日常をともにしながら、外部研究者の助言を実際の飼育、観察、実験へつなぐ。外部研究者が学校の教員に代わるのではなく、学校の教員と外部研究者が、それぞれの役割を担いながら生徒の研究を支える仕組みが必要であった。
清心女子には、私立学校として教員の転勤が少なく、同じ教員が長期にわたって研究指導に関われるという条件があった。生命科学コースとSSHでは、その条件を生かし、複数の教員が協力して、研究を生徒から生徒へ渡す文化を形成した。
その中心にあったのは教育課程と、そこに関わる教員の専門性であった。研究室と飼育室、研究材料、実験機器、記録、倫理審査、外部研究者との関係を、一つの常設研究組織の中に集めて維持する仕組みは、まだ設けられていなかった。また、生命科学コースは、基本的には清心女子に在籍する生徒を対象とする教育課程であり、自校に十分な研究設備や指導者を持たない他校の生徒を、継続して受け入れる制度ではなかった。
山脇有尾類研究所は、清心女子で形成された研究文化を引き継ぎながら、研究を支える場所、飼育個体、研究材料、実験機器、記録、倫理審査、外部研究者との関係を学校内に常設し、その研究環境を、山脇学園の生徒だけでなく、研究の場を持たない他校の生徒にも開くために構想した。
ハブ型オープンラボは、教員や生徒の熱意を制度に置き換えるものではない。研究対象に強く引かれ、長い時間をかけて観察と実験を続ける生徒と、その生徒に日常的に伴走できる専門性を持った教員が、研究の中心にいる。
制度が担うのは、その営みを、特定の教員の勤務時間外の献身や、意欲の高い生徒との偶然の出会いだけに終わらせないことである。研究設備、飼育個体、記録、倫理審査、研究材料、外部研究者の技術支援を学校内に結びつけ、さらに大学、研究機関、他校の生徒へ開く。清心女子で成立した課題研究の文化を、学校の境界と担当者の在職期間を越えて支えようとするところから、ハブ型オープンラボの構想が生まれたのである。
2 大学オープンラボという原型 ―高校生に研究室を開くという試み―
二〇一六年七月四日、私は宮崎県自然科学部門指導者講習会で、高校の理科教員を対象に、清心女子高等学校で十年間、SSH主任として事業を進めてきた経験を話す機会を得た。中心に置いたのは、生徒の科学研究をどのように指導し、その成果や指導方法を学校の中に蓄積して、次の生徒や教員へ継承する仕組みをどのようにつくるかという問題であった。清心女子で進めてきた生命科学コース、課題研究、研究発表会、外部研究者との連携を、一校だけの特色ある実践として紹介するのではなく、他の学校にも共有できる課題研究指導の方法として提示した。
この講習会を一つの契機として、私は二〇一六年十二月、南九州大学理科教育研究室の教授として着任した。宮崎を訪れたことは、清心女子で蓄積してきたSSHの経験を次の場所へ移す入口となった。同時に、後に宮崎北高等学校のSSH申請に関わり、運営指導委員として第Ⅳ期、第Ⅴ期にわたって助言し、さらにMSECへとつながっていく出発点にもなった。清心女子という一つの学校の中でつくってきた課題研究の仕組みを、宮崎では、大学、高校、地域をつなぐ形へ発展させることになったのである。
南九州大学で構想し、実際に動かした大学オープンラボは、このような経緯から生まれた。大学の研究室を地元の中高生に開き、放課後に科学課題研究へ継続して取り組める場をつくろうとしたのである。高校教育で「探究」が重視されるようになっても、すべての学校に十分な実験設備や研究指導体制が整っているわけではない。設備や指導者が確保されなければ、「探究」という言葉だけが先行し、学校現場では掛け声に終わるおそれがある。そこで、一般の中学校や高校にはない実験設備を備えた大学研究室を生徒に開き、大学教員の支援を受けながら科学課題研究に取り組める条件を整えようとした。
このオープンラボは、生徒の研究だけを支援する場として考えたものではなかった。課題研究を指導した経験の少ない理科教員が、生徒とともに大学研究室へ入り、大学教員とのやり取りや研究の過程に参加することによって、研究指導の方法を学ぶ場にすることも意図していた。生徒だけを大学へ預けるのではなく、高校教員も研究の過程に関わり、そこで得た経験を自校へ持ち帰り、次の課題研究指導へ生かす。研究設備の提供、大学教員による専門的支援、生徒と高校教員の育成を一つの場所で進めることが、この構想の中心にあった。
この大学オープンラボは、理念上の提案にとどまったものではない。大学近隣の宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校の生徒が日常的に大学研究室へ通い、放課後に研究へ取り組む体制を整えた。その研究活動については、高校長と大学長の承認を得て実施していた。
都城泉ヶ丘高等学校生物部は、宮崎県に生息する絶滅危惧種オオイタサンショウウオを対象に、繁殖、成長、変態と飼育環境との関係を継続して研究してきた。出発点にあったのは、都城市周辺の繁殖地で行ってきた生息地調査と保護活動である。水田や池で卵嚢や幼生を確認し、生息環境の変化を記録しながら、乾田化や水田の減少、水位の急激な低下が、幼生の生存にどのような影響を与えるのかを考えていた。
新型コロナウイルス感染症のため、研究発表や交流の多くがオンラインとなった二〇二〇年度にも、生徒たちはオオイタサンショウウオの生態と保全について発信し、翌年度以降の生息地調査と飼育実験へつないだ。生息地で卵嚢や幼生を調べ、必要に応じて一時的に保護して孵化や成長を見守り、その過程で生じた疑問を次の研究へ渡していった。
二〇二二年には、飼育下で水位を変化させ、その変化が幼生の変態に及ぼす影響を調べた研究を「オオイタサンショウウオの謎に迫る!」としてまとめ、第四六回全国高等学校総合文化祭「とうきょう総文2022」の自然科学部門に、宮崎県代表として出場した。
この研究では、水田や池など、水位が大きく変動する繁殖地に生息する幼生が、水位の低下にどのように応答して変態するのかを明らかにしようとした。生徒たちは、幼生を飼育する容器の水位を意図的に変化させ、外鰓が消失する時期、上陸に至るまでの日数、変態時の体長や体重を測定した。水位の低下によって変態の時期が早まるのか。その場合、早く上陸することと引き換えに、上陸時の体の大きさやその後の生存にどのような影響が現れるのか。野外調査で生じた疑問を、条件を設定した飼育実験によって確かめようとしたのである。
この研究で重要だったのは、大学の設備を使用したことだけではない。地域の生息地で水位が下がり、幼生が取り残される場面を見た生徒が、「水がなくなりそうになったとき、この幼生はどうなるのか」と考え、その疑問を測定可能な実験へ変えたことである。野外で起きている現象を大学の研究室へ持ち帰り、飼育条件を設定し、変態までの日数や体サイズを記録し、その結果を再び地域の生息環境の問題へ戻して考えた。それは、オオイタサンショウウオの生活史を理解するだけでなく、繁殖地の水環境と幼生の生存との関係を考え、生息地の保全につなげる研究でもあった。
同じ研究は、「バイオ甲子園2022」の発表校にも選ばれた。地域で継続してきた生息地調査から疑問を見いだし、その疑問を大学研究室で検証可能な実験へ変えた成果が、全国規模の二つの発表の場へつながったのである。
大学研究室を高校生に開くという考えは、都城泉ヶ丘高校の一つの研究を支援することだけにとどまらなかった。高校で生徒が自分の疑問を持ち、観察や実験を継続して研究へ発展させるためには、その前段階にある小学校・中学校の理科教育や、地域の理科教員が学び合う仕組みも必要であると考えたからである。
二〇一九年五月、私は、都城市と三股町の中学校理科教員を中心に、地域の理科教育について継続して考える場として、「都北の科学教育を考える会」を立ち上げた。会長には、当時、地元の中学校長であった木野田毅先生に就いていただき、南九州大学都城キャンパスの理科教育の講義室を会場として、理科の授業、観察や実験、生徒の探究、教員の指導力向上について学び合う場をつくろうとした。
この会で考えようとしたのは、高校の課題研究だけを、その前後の理科教育から切り離さないことであった。高校へ進学した生徒に、突然「自分で問いを立てなさい」と求めても、それまでに自然や生物を自分の目で見て、わずかな変化に気づき、自分で確かめたいと思う経験がなければ、探究は容易には始まらない。小学校や中学校で自然に触れ、観察し、実験し、理科の面白さを身体で知る経験が、高校での科学研究につながっていく。
また、大学研究室で高校生がどのように疑問を持ち、どの段階で研究方法につまずき、どのような助言によって次の実験へ進んだのかを地域の理科教員と共有することによって、大学オープンラボで得た経験を、それぞれの学校の授業や観察・実験へ戻すことも考えていた。大学の研究室を高校生に開くことと、地域の教員が互いの実践を持ち寄ることを結びつけ、地域全体で子どもたちの科学への関心と研究を支える仕組みをつくろうとしたのである。
南九州大学での大学オープンラボには、二つの方向があった。一つは、都城泉ヶ丘高校の生徒が大学研究室へ継続して通い、野外で生まれた疑問を飼育実験へ変え、年度を越えて研究を続けることであった。もう一つは、そこで得られた研究指導の経験を地域の理科教員と共有し、小学校・中学校から高校までの科学教育へ戻していくことであった。
高校生が大学の設備をかりて一度だけ実験を体験するのではない。継続して研究室へ通い、自分たちの疑問に元かも、大学オープンラボを通して都城泉ヶ丘高校へ渡されたものは、研究室や実験機器を利用する機会だけではなかった。清心女子で長年にわたって蓄積してきた有尾類の飼育技術、観察と記録の方法、失敗から次の疑問を見つける研究の進め方も、生徒と顧問へ引き継がれていった。
3 研究題目ではなく、研究の方法を渡す ―オオイタサンショウウオ研究の継承
南九州大学のオープンラボで、私が宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校生物部の生徒に指導したオオイタサンショウウオ研究は、大学に着任してから新たに考えた研究ではなかった。その出発点は、清心女子高等学校で、生徒たちと長年取り組んできた一連の有尾類研究にある。
清心女子高校では、一九八九年にカスミサンショウウオの卵嚢が生物教室へ持ち込まれたことをきっかけに、野外での繁殖地調査、繁殖環境の復元、飼育下での発生や繁殖に取り組んできた。その飼育経験を基礎として、私は九州の両生類調査と保全に関わる中で出会ったオオイタサンショウウオを、生徒の新たな研究対象に選んだ。
オオイタサンショウウオは、絶滅危惧Ⅱ類に位置づけられる希少種であり、開発によって繁殖地を失えば、生息できる場所そのものが失われてしまう。私は、生息地が失われ、残された個体を別の場所へ移す以外に保護する手段がない状況を目の当たりにし、生息地の保全とともに、絶滅の危機に備えて飼育下での繁殖方法を確立しておく必要があると考えた。
一方で、オオイタサンショウウオは卵が大きく、発生を観察しやすいうえ、幼生から成体まで比較的飼育しやすい。保全上重要な希少種であると同時に、生徒が発生、成長、変態、繁殖を長期にわたって追跡できる研究対象でもあった。
清心女子高校の生徒たちは、オオイタサンショウウオを卵から性成熟まで育て、人工授精、水槽内での自然産卵、発生段階、幼生の飼育密度、餌の与え方、共食い、四肢欠損、性成熟までに要する年数などを研究した。二〇一〇年には、雌雄を殺すことなく精子と卵を採取して人工授精を行い、受精卵を得ることに成功したことが新聞でも報じられた。
その後の研究では、排卵後の卵が低温条件で長時間受精能を保持すること、水槽内で二十五分間にわたる産卵行動を観察できたこと、幼生の飼育密度と餌条件が生存率や共食いに影響すること、飼育下では二年で性成熟する個体が現れることなどを明らかにした。受精卵から育てた個体を再び繁殖させる完全な飼育下繁殖を長期目標とし、その過程で生じた疑問を、その時々の生徒が課題研究として引き継いでいった。
この研究は、一つの学年だけで完結したものではない。発生段階を記録する生徒、幼生の飼育条件を調べる生徒、人工授精を試みる生徒、生殖器官が成熟していく過程を組織標本によって観察する生徒が、先輩の残した飼育個体、記録、実験方法を受け継ぎながら研究を進めた。
研究発表が終わっても、飼育している生物は生き続ける。生徒が卒業しても、翌日の給餌と水の管理は必要である。毎日飼育を続けていると、前年の研究では答えられなかった新たな疑問が生まれる。オオイタサンショウウオ研究は、生徒が毎年ゼロから題目を探す課題研究ではなく、生きた研究対象を介して、個体、記録、技術、未解決の問題を次の世代へ渡す研究として、清心女子高校で形成されたのである。二〇一五年の読売教育賞応募論文でも、私は、この有尾類研究を清心女子高校SSHの出発点として位置づけていた。
二〇一六年に清心女子高校を退職して南九州大学へ移った後も、私はこの研究を終わらせなかった。大学の研究室を地域の高校生に開くオープンラボを構想し、清心女子高校で蓄積したオオイタサンショウウオの飼育技術、研究方法、研究課題を、都城泉ヶ丘高校生物部の生徒と顧問へ伝えた。
都城泉ヶ丘高校には、それまでサンショウウオを継続して飼育し、発生や繁殖を研究した経験はなかった。したがって、生徒に大学の設備や機器を提供するだけでは、研究を始めることはできなかった。卵や幼生をどのように扱うのか。どの時期に何を記録するのか。飼育中に起きた死亡や共食いを、単なる失敗として終わらせず、どのように研究上の問題へ変えるのか。前年の記録をどのように読み、次の実験条件を組み立てるのか。生徒と顧問には、こうしたところから伝える必要があった。
野外の成体の移動を追跡するため、小型のマイクロチップをサンショウウオの体腔に導入して個体を識別する方法も伝えた。方法を知れば単純に見える技術であっても、一般の高校では知られておらず、チップの情報を読み取るリーダーも備えられていない。研究を始めるためには、技術を教えるだけでなく、当初は機器そのものも提供する必要があった。
都城泉ヶ丘高校の研究は、清心女子高校で二十年以上かけて蓄積した有尾類研究の一部を学校の外へ持ち出し、大学の研究室を経由して、宮崎県の高校生と教員へ渡そうとする試みであった。オープンラボを通して移したのは、オオイタサンショウウオという研究材料だけではない。生きた個体を毎日飼育しながら変化を観察すること、そこで生じた疑問を記録すること、先輩の研究を読み直して次の実験条件を考えること、思い通りにならなかった結果から次の問題を見つけることを含む、科学研究の方法そのものであった。
都城泉ヶ丘高校の生徒たちは、二〇一七年から二〇二二年三月まで、私の指導のもとで研究を続けた。清心女子高校で課題となっていた幼生の共食いをさらに分析するとともに、小型マイクロチップによる個体識別と野外での追跡、水位の低下が幼生の変態時期や上陸時の体サイズに及ぼす影響などへ研究を発展させた。
これらは、都城泉ヶ丘高校で突然生まれた研究ではない。清心女子高校で観察されていた共食い、飼育密度、変態、個体の成長という問題を、宮崎の生息環境の中で捉え直し、大学の研究設備を利用して、新たな方法によって調べたものであった。
重要なのは、清心女子高校で行われた研究を、都城泉ヶ丘高校がそのまま繰り返したのではないことである。清心女子で残された問題と方法を受け取りながら、宮崎の生息地で観察した現象を加えることによって、研究の方向を変えていった。研究の継承とは、同じ題目を繰り返すことではなく、先行する研究を自分たちの環境と経験の中で読み直し、新たな問題へ発展させることであった。
また、それまでサンショウウオ研究の経験を持たなかった顧問が、生徒とともに飼育と研究に関わったことにも意味があった。生徒だけを大学研究室へ通わせるのではなく、顧問も卵や幼生の扱い方を学び、実験の経過を見守り、研究発表後も学校で飼育を継続する。その経験を学校の内部に蓄積することも、大学オープンラボの重要な目的であった。
私が南九州大学を離れた後も、都城泉ヶ丘高校ではオオイタサンショウウオ研究が継続された。私が直接指導する立場を離れた後にも研究が続いたことは、大学の設備を一時的に利用しただけでなく、飼育と研究の方法が、生徒と顧問を通して学校の中に残ったことを示している。
そして二〇二二年、私が山脇学園へ移った後、この研究は再び場所を変えた。二〇二三年九月に開設した山脇有尾類研究所では、オオイタサンショウウオを研究対象の一つに位置づけ、幼生、幼体、成体を継続して飼育し、発生、成長、繁殖、飼育環境について研究している。
清心女子高校で始めた研究が、南九州大学のオープンラボを通して都城泉ヶ丘高校へ渡り、さらに山脇学園へ移ったのである。ただし、移動した先で同じ研究を繰り返しているのではない。清心女子高校では、卵から成体までの飼育と繁殖方法の確立を中心に研究した。都城泉ヶ丘高校では、宮崎の野外環境と結びつけ、共食い、個体の移動、水位の低下と変態との関係へ発展させた。山脇学園では、飼育下での発生や繁殖の研究に加えて、サンショウウオが生きることのできる環境を、学校内にどのようにつくるかという問題に取り組んでいる。
この移行は、一つの学校で生まれた研究を、別の学校の生徒と教員が引き継ぎ、そこで生まれた問題と方法を、さらに別の学校へ渡すことができるかという、およそ三十五年にわたる試みでもあった。
清心女子高校では、学校の内部で、生徒から生徒へ研究を継承した。南九州大学では、大学の研究室を開き、飼育個体、研究技術、記録を学校の境界を越えて移すことを試みた。山脇学園では、その両方の経験をもとに、学校の内部に研究拠点を設け、そこを他校の生徒、教員、大学研究者へ開こうとしている。
山脇学園では、オオイタサンショウウオを孵化した幼生から育てるとともに、サンショウウオが生息できるビオトープの造成にも着手している。幼生が幼体となり、やがて性成熟した成体となって、都会の真ん中、東京・赤坂で繁殖することを夢見ている。それは、飼育容器の中で個体を育てるだけでなく、サンショウウオが世代を重ねて生き続けることのできる環境を、学校そのものの中につくる試みである。
私にとってオープンラボの役割は、研究所で蓄積された研究対象、飼育技術、記録、失敗、問いの立て方を、その学校の内部に閉じ込めないことである。それらを別の学校の生徒や教員へ渡し、渡された側が自分たちの環境の中で新たな問題を見つけ、研究を発展させていくための条件をつくる。オオイタサンショウウオ研究は、清心女子高校から都城泉ヶ丘高校へ、さらに山脇学園へと移動することによって、研究対象と方法が学校の境界を越えて継承され得ることを示した。
しかし、南九州大学で大学オープンラボを実際に動かす中で、その限界も見えてきた。大学の研究設備や人的資源を利用することによって、高校生の研究を高度化することはできる。けれども、高校生は大学研究室を利用する存在であって、大学そのものの中心的な構成員ではない。大学の研究室を開くことはできても、高校生の研究を毎日の学校生活の中で支え、その成果や方法を後輩へ渡し、学校文化として根づかせる仕組みは、高校の側につくらなければならなかった。
大学が高校生に研究室を開くだけでなく、高校そのものが研究の拠点となることはできないのか。生徒が研究の場所や設備を外部の大学へ借りに行くのではなく、日常を過ごす学校の内部に、研究を支える場所と設備、倫理審査の仕組み、外部研究者との接続、他校の生徒と交流する回路を置くことはできないのか。この問いが、山脇有尾類研究所という、学校を拠点としたハブ型オープンラボへ向かう転換点となった。
4 授業「生命」から、研究を継承する場所へ ―高校そのものを研究の拠点にする―
南九州大学で大学の研究室を地域の高校生に開く実践を経て、私は二〇二二年四月、東京の山脇学園に着任した。山脇学園には、SSH申請を支援する役割を担って招かれたが、私はそれと並行して、生徒が学校の中で継続して科学研究に取り組める場所をつくりたいと考えていた。そして二〇二三年九月、山脇有尾類研究所を開設した。翌二〇二四年度、山脇学園は文部科学省からSSHの指定を受けた。
清心女子高校では、学級通信から性教育、授業「生命」、生命科学コース、SSHへと実践を進めてきた。授業「生命」では、生徒が自分の身体や生き方、生命や社会の問題について考え、新聞記事や書籍を読み、現地を調べ、異なる立場の人の話を聞いた。生命科学コースでは、自然や生命に触れる体験、観察、実験、調査、データに基づく科学研究を、三年間の教育課程の中で結びつけた。さらに南九州大学では、大学の研究設備と研究者による支援を、地域の高校生と教員へ開いた。
しかし、高校生が大学の研究室へ通う方法だけでは、研究を毎日の学校生活の中に置くことはできない。生徒が飼育個体の状態を日常的に観察し、授業後にも実験を続け、前日の記録を読み、必要に応じて実験方法を修正するためには、生徒が日常を過ごす高校の内部に研究の場所が必要である。また、生徒が卒業した後も、飼育個体、研究記録、実験方法、外部研究者との関係を残し、次の生徒がそこから研究を始められる仕組みをつくらなければならない。南九州大学で大学オープンラボを動かす中で、私は、高校そのものを研究の拠点にする必要性を強く感じるようになった。
清心女子高校の生命科学コースは、SSH第1期から第4期まで、二十年間にわたって継続した。授業、実習、課題研究、研究発表、大学や研究者との連携を結び、生徒の科学研究を支える教育課程として、最後まで清心女子SSHの根幹を担った。生徒たちは研究成果を出し続け、全国規模の研究発表会や科学コンテストにも挑戦した。生命科学コースは、役割を終えて形式だけが残っていたコースではなかった。
私が清心女子高校を退職した二〇一六年十一月以降、学校ではコース編成の変更が進められた。二〇一九年度には、NDSU進学コース、生命科学コース、特別進学コースの三コースが置かれ、特別進学コースの内部には、文理総合系、国際系、国公立系、難関系の四系統が設けられた。難関大学への進学と、系列大学であるノートルダム清心女子大学への進学を、生徒募集の中でより明確に打ち出す編成であった。そのような学校全体の再編の中でも、生命科学コースは継続し、SSH事業の中心として研究成果を出し続けた。
一方、学校全体では、難関大学への進学実績や系列大学への進学を前面に出した募集戦略が強められていった。しかし、その再編は、生徒募集の回復には必ずしも結びつかなかった。さらに新型コロナウイルス感染症の流行も重なり、学校経営は厳しさを増していったと私は見ている。
二〇二五年十月、清心女子高等学校が男女共学化へ向かう方針を発表したことを知った。それに伴い、私が起案して開設した生命科学コースも廃止されることを、教員を通して知った。かつて多くの生徒が受講した授業「生命」は、それ以前にすでに教育課程から姿を消していた。二十年間にわたって成果を上げ、最後までSSH事業の根幹を担った生命科学コースが廃止されることに、起案者として強い残念さを感じた。
生命科学コースは、教育上の役割を終えたために廃止されるのではなかった。学校が、生徒募集と経営の立て直しのために別の方向を選択した結果として、その教育課程も終わることになったのである。この経過は、教育的な成果を上げ続けている実践であっても、学校経営の判断基準や生徒募集の方針が変われば、その存続が保障されるわけではないことを示している。
同時に、授業やコースが長く継続することと、そこで蓄積された研究資源が、その終了後にも残ることは同じではない。生命科学コースは二十年間にわたって、多くの生徒と教員による研究文化を形成した。しかし、そこで扱われた研究対象、飼育個体、実験方法、記録、教員が身につけた研究指導の経験、大学や研究者との関係を、コースの終了後にどのような形で残すのかは、別に考えなければならない問題であった。
山脇有尾類研究所は、これに先立つ二〇二三年九月に、清心女子と南九州大学での経験をもとに開設していた。研究対象、飼育個体、実験方法、記録、倫理審査、外部研究者との関係を、年度や学年を越えて蓄積し、次の生徒へ渡す研究組織を、学校の中につくろうとしたのである。二〇二五年に生命科学コースの廃止を知ったとき、教育課程として長く機能した実践の成果を、その制度の終了後にも残す場所が必要であるという意味が、私の中でいっそう明確になった。
山脇有尾類研究所は、学校法人が設置した、学校の授業やコースとは別の研究組織である。授業やコースに代わるものではない。授業や課題研究の中で生じた疑問を、年度や学年を越えて研究として続けるための場所として構想した。
研究所では、有尾類の飼育個体と系統を維持し、観察記録や実験手順を蓄積し、動物実験の倫理審査と安全管理の手続きを整え、大学や外部研究者との連携を継続する。生徒が卒業した後も、その生徒が残した記録や結果を後輩が読み、まだ確かめられていない問題を見つけ、自分の研究を始められるようにするためである。
この考えは、清心女子で行った学校飼育動物に関する全国調査ともつながっている。その調査を通して、研究は、成果を発表する一人の生徒だけによって成り立つものではないことを経験した。調査用紙を準備する人、回答を整理する人、数値を入力する人、入力結果を確認する人、データを分析する人が、それぞれの仕事を正確につなぐことで、一つの研究が成立した。
有尾類研究所でも、観察、飼育、記録、実験、データ整理、発表を一人の生徒がすべて担うわけではない。給餌をする生徒、個体の成長を測定する生徒、組織標本を作製する生徒、実験結果を整理する生徒が、それぞれの仕事を担う。その一つ一つの作業が正確につながり、記録として残されることで、研究は次の実験と次の生徒へ渡される。全員の作業をつなぎ、共同の記録として残すという考えは、清心女子での共同研究の経験から受け継いだものである。
授業は、一年間または数年間の教育課程として区切られる。課題研究も、担当した生徒の卒業によって途切れることがある。研究所も学校組織の中にある以上、永続することが保障されているわけではない。それでも、研究を次の年度へ渡すことを最初から目的とし、飼育個体、記録、方法、倫理審査、外部との連携を残す場所を設けることによって、研究が一人の教員や一人の生徒の中だけに閉じることを、少しでも避けることができる。
有尾類研究所の構想は、二〇二二年の中谷財団への助成申請において、すでに具体的に示されていた。そこでは、高校生が科学課題研究に取り組むための専用教室を学内に設置すること、生命を扱う研究を適切な手続きのもとで実施するために動物実験委員会を立ち上げること、大学や研究所の研究者が高校教員のメンターとなり、生徒の科学課題研究を支援する体制をつくることを掲げていた。研究環境、倫理審査、外部研究者による支援を、学校の内部に置こうとしていたのである。
その後に作成した設立趣意書には、研究所が担う二つの役割を示した。一つは、環境教育と希少種保全の拠点としての役割である。両生類は環境の変化に敏感に反応することから、環境問題における「炭鉱のカナリア」とも呼ばれている。中高生が有尾類を深く学び、その生息環境を調べ、保護活動や研究に取り組むことは、環境問題を自分たちの問題として考えることにつながる。
もう一つは、生命科学研究の拠点としての役割である。両生類は、発生、再生、生殖などを研究するモデル動物として世界的に重要である。中高生が有尾類の飼育、観察、実験に継続して取り組むことによって、科学的思考力と研究技術の基礎を身につける場にすることを目指した。研究所は、環境教育と生命科学研究を別々に扱うのではなく、有尾類という一つの研究対象を通して両者を結びつけるものとして構想されたのである。
しかも、その役割は山脇学園の生徒だけに限定されていなかった。他校の生徒にも研究機会を開き、中等教育における科学教育の中核拠点、情報発信拠点となることを、設立当初から目指していた。学校の内部に研究の場所を置きながら、その場所を他校の生徒、教員、大学研究者、地域へ開く。この二重の性格が、ハブ型オープンラボの基本となった。
このように、私の実践は、授業の中で、生徒が生命や生き方について考える場をつくる段階から、体験や観察によって生じた疑問を科学研究へ発展させる教育課程をつくる段階へ進んだ。さらに南九州大学では、大学の設備と研究者による支援を地域の高校生に開いた。そして山脇学園では、生徒が日常を過ごす学校の中に、研究対象、設備、記録、倫理審査、外部研究者との関係を継承する場所を置くことになった。
授業「生命」で育てようとしたのは、生徒が生命や社会の問題を、自分とは無関係なものとして受け流さず、自分自身の問題として考える姿勢であった。生命科学コースとSSHでは、その姿勢を、自然や生命に触れる体験と、観察、実験、調査、データに基づく科学研究へつないだ。山脇有尾類研究所は、その研究を一年度の授業や一人の生徒の活動で終わらせず、研究対象、方法、記録を次の生徒へ渡し、さらに学校の外へ開くための場所なのである。
5 ハブ型オープンラボを成立させる条件 ―設備・倫理審査・研究支援を結ぶ―
山脇学園は、二〇二四年度からSSH第Ⅰ期の指定を受けた。その研究開発課題は、「地球市民として行動し、科学・技術者へキャリア選択する女子生徒の育成拠点形成」である。その中で、「学内研究所を拠点とした教育プログラム」は、山脇学園の科学教育を特徴づける取り組みの一つとして位置づけられた。
有尾類研究所は、SSH指定を受けた後に、課題研究のための施設として付け加えたものではない。二〇二三年九月の開設時には、すでに、有尾両生類を対象とする生命科学研究だけでなく、発生学・再生学を基礎とした生命科学教育、生息環境と自然保護を扱う教育活動、動物実験委員会の整備、学会発表、高校生両生類サミット、海外研修までを、研究所の活動として構想していた。
研究所は、実験を行う一つの教室ではない。研究対象となる有尾類を継続して飼育し、観察と実験を行い、記録を残し、生命を扱う研究を倫理審査の手続きの中に置き、大学や研究機関から必要な技術を学ぶための拠点である。さらに、そこで得られた研究成果を学会や研究発表会で示し、他校の生徒や教員と共有し、野外の生息環境や保全活動へつなぐ役割も持っている。
二〇二五年度には、研究所の活動は山脇学園の外へも広がった。研究所運営委員会と動物実験委員会を運用し、研究設備を拡充するとともに、十三件の動物実験計画を審査した。外部研究者による実験技術指導を受け、山脇学園以外の生徒の研究も支援した。公開講座、高校生両生類サミット、蒜山での研修を実施し、海外研修の準備も進めた。研究室内で行う生命科学研究を、他校との研究交流、野外の生息環境、生物多様性と自然保護の問題へ開いていったのである。
このような研究所を実際に動かすためには、看板を掲げ、研究室を一室設けるだけでは足りない。生徒が継続して観察と実験を行う場所、研究対象となる個体を維持する飼育環境、研究に必要な機器、生命を扱う研究を審査する制度、研究材料を確保する仕組み、機器や材料を扱う技術、必要なときに助言を受けられる外部研究者との関係が必要である。山脇有尾類研究所では、それらを一つずつ整えていった。
5―1 研究設備を整える
最初に必要だったのは、生徒が継続して研究できる場所であった。二〇二二年度の段階から、研究室と動物飼育室を確保し、研究設備の整備を始めた。
南九州大学の理科教育研究室で使用していたカメラ付き顕微鏡、実体顕微鏡、低温で飼育するためのいんきゅべ二〇二三年九月に研究所の開設式を行い、生徒たちは、イモリやサンショウウオの飼育、組織標本の作製、顕微鏡による観察から研究を始めた。その後、SSH経費、理科教育振興法に基づく整備、その他の教育助成金を活用し、オートクレーブ、クリーンベンチ、遠心機、個体識別装置、位相差・微分干渉観察装置などを追加した。大学レベルの研究を高校生が行うための設備が、徐々に整っていったのである。
これは、部屋を整備し、実験機器を増やしたというだけの話ではない。有尾類研究という研究領域を定め、そのための研究室と飼育室を置き、必要な機器と記録を残す場所を一つの拠点に集めたことに意味があった。
飼育個体が学校の中にいれば、生徒は、決められた授業時間に一度だけ観察するのではなく、前日との変化を確かめ、必要に応じて給餌や水温などの条件を変え、その結果を再び記録することができる。産卵や孵化、四肢の形成、変態、性成熟といった、生物の時間に沿って進む現象を観察するためには、年度や授業時間の区切りを越えて研究できる場所が必要であった。
研究設備は、生徒の研究を、限られた授業時間内の活動から、日常的な飼育、観察、実験へ変えるための土台となった。
5―2 倫理審査体制を置く
動物を対象とする研究を高校段階で進めるとき、避けて通ることのできないのが、動物実験の倫理と安全である。
有尾類研究所では、二〇二三年度から動物実験規程の作成と外部委員の委嘱準備を進め、二〇二四年度に動物実験委員会を正式に設置した。川崎医科大学の教授を委員長とし、鳥取大学、麻布大学の研究者・専門家と学内委員によって構成する体制を整えた。
二〇二四年度には、私が提出した四件の動物実験計画を審査した。二〇二五年度には、四名の教員から十三件の計画が提出された。委員会では、研究目的、使用する動物の種類と個体数、実験方法、麻酔や安楽死の方法、動物に与える負担、飼育環境などを審議した。必要な計画については、委員から助言し、修正を求めたうえで承認した。さらに二〇二六年度には、遺伝子を扱う研究に備えて、組換えDNA実験安全委員会を組織することも検討している。
高校生が行う研究だから、大学や研究機関よりも手続きを簡略化してよいとは考えなかった。高校生の研究であっても、動物の生命を扱う以上、実験計画を提出し、審査を受け、必要な修正を行い、承認された範囲で研究を実施しなければならない。
この手続きを経験することによって、生徒は、科学研究が自由な発想と好奇心だけで進められるものではないことを学ぶ。どのような目的で動物を使うのか。その目的のために、その数の動物を用いる必要があるのか。動物の負担を軽減するために、どのような方法を選ぶのか。得られる知見と動物に与える負担との関係を、どのように説明するのか。研究者は、自分の「知りたい」という思いだけでなく、研究対象となる生命に対する責任を負わなければならない。
動物実験委員会は、研究を妨げるための組織ではない。生命を扱う研究を、個人の判断だけに委ねず、専門家を含む複数の人が検討し、社会に説明できる形で実施するための制度である。有尾類研究所では、倫理審査を研究の外側に置くのではなく、生徒が科学研究の責任を学ぶ過程として位置づけた。
5―3 研究材料と技術支援をつなぐ
研究を続けるためには、設備と倫理審査に加えて、研究材料を安定して確保し、それを扱う技術を継承する必要がある。
私は四十年近くにわたって有尾類を飼育し、清心女子高校でも、生徒とともに有尾類の研究を継続してきた。しかし、それらの飼育技術や研究方法を、一人の教員の経験だけに依存させていては、私が学校を離れた後に研究を続けられるかどうかは、後を担う教員の経験や判断に委ねられることになる。
山脇有尾類研究所では、研究材料の確保を個人的な採集や飼育だけに頼らないため、二〇二三年度から広島大学両生類研究センターとの連携を始めた。二〇二三年度には、イベリアトゲイモリの受精卵、幼生、成体の提供を受け、二〇二四年度にも成体を提供していただいた。
イベリアトゲイモリは、比較的短期間で性成熟する。提供された個体を動物飼育室で育てた結果、二〇二五年度には、研究所内で飼育してきた個体が性成熟し、安定して繁殖実験に取り組める段階に達した。外部機関から毎回研究材料を提供してもらうだけでなく、学校内で個体を育て、繁殖させ、次の研究に必要な卵や幼生を確保する循環が生まれ始めたのである。
しかし、研究材料があれば研究が進むわけではない。新たに導入した動物を適切に飼育し、人工授精、解剖、組織観察、発生実験などに用いるためには、それぞれの技術を学ばなければならない。
広島大学両生類研究センターには、動物実験に関する教育訓練を受けた山脇学園の生徒と教員を対象として、実験技術講習会を実施していただいた。大学の施設で、大学院生から、人工授精、解剖、胚や生殖器官の観察、マイクロインジェクターの使用方法などの指導を受けた。
また、群馬県立県民健康科学大学の研究者からは、組織の三次元再構築に必要なミクロトームの使用、切片の撮影、コンピューターソフトによる画像処理について指導を受けた。株式会社ナリシゲからは、プーラーやマイクロフォージを用いて、実験に必要なガラス針を作製する技術を学んだ。
実験機器をそろえれば、すぐに研究が始められると考えられがちである。しかし、機器の原理を理解し、適切に操作し、得られた結果を判断する技術がなければ、研究は進まない。風車をいくら並べても、風が吹かなければ回らないのと同じである。研究室と機器を学校内に置くことに加えて、それを動かす技術を持つ研究者とつながり、生徒と教員が実際に技術を学ぶ機会をつくらなければならない。
高校の研究室だけで、必要な研究技術のすべてを完結させることはできない。研究所の役割は、学校の内部だけですべてを行うことではなく、研究に必要な材料や技術を持つ大学、研究機関、企業と関係をつくり、その支援を生徒の研究へ結びつけることにある。
オオイタサンショウウオについても、飼育下での繁殖方法を確立し、研究材料として継続して維持することを進めている。将来、新たなモデル動物として研究機関へ提供できる体制を整えることも課題としている。また、学校内のビオトープに設けた予備実験区画では、厳密な管理のもとで試験的な放流を行うための個体を育てている。
ここでは、研究室内で行う発生、成長、繁殖の研究と、ビオトープや野外で行う生息環境の調査や保全活動を切り離していない。飼育下で得た知見を、生息環境の保全にどのように生かすのか。野外で観察した現象を、研究室内でどのように確かめるのか。生命科学研究と環境教育が、有尾類という研究対象を介して往復することを目指している。
研究所を支えているのは、一つの設備や一人の研究者ではない。研究室と飼育室があり、実験機器があり、飼育個体があり、記録が残され、倫理審査が行われ、外部研究者から技術支援を受ける。さらに、生徒と教員が飼育と研究を続ける時間が必要になる。これらが組み合わされることによって、生徒は、短期間で結果をまとめやすいテーマだけでなく、長期飼育、継続観察、発生実験、繁殖、保全活動のような、時間を必要とする研究に取り組むことができる。
設備や専門的な支援を十分に持たない学校では、生徒が興味深い現象に出会っても、実験方法や研究材料を確保できず、短期間で実施できる研究を選ばざるを得ない場合がある。山脇有尾類研究所で整えようとしたのは、生徒が未知の現象に向き合い、失敗を記録し、その理由を考え、次の方法を試すことのできる条件であった。
研究に必要な場所、設備、倫理審査、研究材料、技術支援を学校の中に結びつける。それによって、生徒の研究を一回限りの経験や発表のための活動にせず、研究の水準と継続性を支えようとしたのである。
6 ハブとして外部へ開く ―支配の中心ではなく、関係を生む拠点-
前節では、山脇有尾類研究所を学校の中で動かすために、研究室と動物飼育室を設け、実験機器を整え、動物実験委員会による倫理審査を行い、大学や研究機関から研究材料と技術の支援を受ける体制をつくった経緯を述べた。
しかし、有尾類研究所が研究拠点として成立したことは、校内の研究環境が整ったことだけでは説明できない。「ハブ型」という言葉が示すように、研究所の役割は、研究対象、設備、技術、人を研究所の内部に集めることだけではなく、そこから新たなつながりを生み出すことにある。
その開き方には、いくつかの方向がある。第一は、研究室と動物飼育室の中で行っていた研究を、校内の土壌、水、植物、小動物を含む生態系へ広げることである。第二は、山脇学園の外にいる生徒を研究所へ受け入れるとともに、研究所の側から研究対象の本来の生息地へ出向き、その地域で研究や保全に取り組む高校、住民、専門家と関係をつくることである。第三は、高校生両生類サミット、公開講座、森林研修、海外研修などを通して、有尾類研究を全国と海外の科学教育へ開いていくことである。
研究所がハブであるということは、山脇学園がすべての研究を指揮し、他校や大学をその下に置くことではない。大学は専門的な技術を提供し、地域の高校は生息地についての継続的な知識を持ち、山脇学園は飼育個体、研究設備、倫理審査の仕組みを持つ。それぞれが異なる役割を担いながら、単独ではできない研究を結びつけていく。その関係を具体的な活動としてつくることが、ハブ型オープンラボの目的である。
6―1 学校の中に生息地をつくる ―ビオトープというもう一つのオープンラボ―
有尾類研究所の活動は、研究室と動物飼育室における飼育、観察、実験から始まった。しかし、有尾類が生きるために必要なのは、飼育容器、水、餌だけではない。野外では、水辺と陸地を移動し、土や落ち葉の下に隠れ、周囲に生息する小動物を捕食し、季節による気温や湿度の変化の中で生活している。
飼育下で有尾類の発生、成長、繁殖を研究するだけでなく、その個体が長期にわたって生きることのできる環境そのものを研究できないか。そこから、学校内に研究用ビオトープを造成する構想が生まれた。
ビオトープは、生命や生物を意味するbiosと、場所を意味するtoposに由来し、生物が生息する空間を指す。学校ビオトープというと、池を設け、植物を植え、そこに集まる昆虫や鳥を観察する場所が思い浮かぶ。しかし、山脇学園で計画したビオトープは、鑑賞や一時的な自然観察のための池ではない。オオイタサンショウウオが生きるために必要な条件を一つずつ検討し、学校内にどこまで再構成できるかを確かめる研究の場である。
東京・赤坂は、オオイタサンショウウオの本来の生息地ではない。したがって、この取り組みは、希少種を学校内で野生化させたり、一般の環境へ放したりすることを目的とするものではない。外部への逸出を防ぎ、個体の状態を継続して確認できる管理下の区画を設け、その中で、水、土壌、湿度、日陰、隠れ場所、餌生物などの条件を調べようとするものである。
ビオトープ研究に取り組む生徒たちは、この研究用ビオトープを"Salamander World"と名づけ、二〇二四年度の設計段階から造成計画に関わった。
生徒たちは、まず室内でオオイタサンショウウオの幼体を飼育し、個体ごとに成長を記録した。飼育容器の中に石、コケ、落ち葉、泥などを入れ、どの場所に隠れるのか、湿度や床材の違いによって行動が変わるのかを観察した。また、市販の餌を与えるだけでなく、学校内に生息する土壌生物や水生生物にも目を向け、サンショウウオがどのような小動物を捕食するのかを調べた。
二〇二五年度には、造成予定地となる屋外実験場の生態系調査、敷地の広さと傾斜の測定、樹木の種類と位置の記録、掘削した井戸の水位調査、餌となる土壌生物の増殖条件の検討を進めた。さらに、造成予定地の一部に外部への逸出を防ぐ予備実験区画を設け、変態して上陸した幼体を用いた管理下での試験を始めた。
ビオトープを設計するためには、池をどこに置くかだけでなく、湿地、陸地、観察用通路、日陰、隠れ場所をどのように配置するかを決めなければならない。生徒たちは、予定地の測量結果をもとに模型や図面を作成し、造成を担当する業者へ渡す計画書へとまとめた。
水をどこから供給するのか。雨が降らない時期にも湿度を保てるのか。どの場所が乾きやすく、どこに水が残るのか。夏季に水温が上がりすぎないか。人が観察するための通路と、生き物が身を隠す場所をどのように分けるのか。こうした一つひとつの判断が、有尾類の生存に関わる。生徒たちは、自然環境は、植物を植え、水を張ればできあがるものではないことを、設計の過程で知っていった。
特に重要になったのが、餌となる土壌生物の研究である。成体や幼体を区画内に移すだけでは、生息環境をつくったことにはならない。サンショウウオが長期にわたって生き、成長し、繁殖するためには、発達段階に応じて捕食できる小動物が、継続して存在しなければならない。
そこで生徒たちは、ワラジムシ、ミミズ、ヤスデ、シロアリなどに着目し、それらがどのような湿度、温度、床材、餌条件のもとで増えるのかを調べた。必要な量の餌を人が毎回与えて個体を飼育するという発想から、餌生物を含む小さな生態系そのものを維持するという発想への転換であった。
しかし、計画した条件が、そのまま実現したわけではない。予備実験区画へ安定した温度の水を供給するために掘削した井戸は、水位が次第に下がり、冬季には十分な水を供給できなくなった。そのため、乾燥を防ぐために、水道水を定期的に補給しなければならなかった。
ワラジムシは、湿度が高すぎても低すぎても安定して増殖せず、飼育室内で適切な条件を維持することは容易ではなかった。ミミズの増殖には時間がかかった。シロアリは、屋外実験場の畑で自然に増えていたものを、予定地へ移すことになった。
予備実験区画に幼体を入れた後にも、思いどおりにならないことが起きた。個体がどこに隠れたのか分からなくなる。外傷を負った個体を一時的に保護しなければならない。死亡個体が出る。区画内で確認できる個体と、確認できなくなる個体がいる。冬季にも個体が移動している可能性が生じる。
ここで必要なのは、試験を「成功」か「失敗」かの二つに分けることではなかった。個体が見つからないことも、井戸水が減ることも、餌生物が増えないことも、次の設計と管理方法を考えるための記録となる。生命を扱う研究では、思いどおりにならなかった出来事を取り除いて、成功した結果だけを示すことはできない。起きたことを記録し、その原因を考え、環境の設計と管理を修正しなければならない。
ビオトープ班の生徒は、卵から孵化し、変態して上陸した幼体を数匹ずつ飼育している。一匹ずつ名前をつけて個体を識別し、体長を測定して成長の変化を記録する。名前をつけることは、測定の代わりではない。名前によって個体の違いを意識し、測定値によって成長を確認し、行動や摂餌の変化を記録する。個体への関心と科学的な記録を、対立するものとして扱わず、両方を持ちながら飼育している。
観察とは、生物を眺めることではない。昨日との違いに気づき、その変化を記録し、次に何を確かめるかを判断することである。学校ビオトープは、その観察を、飼育容器の中から、学校の土地、水、土壌、生物の関係へ広げた研究の場であった。
"Salamander World"という名称は、親しみやすく、夢のある言葉である。しかし、そこで取り組んでいるのは、絶滅危惧Ⅱ類に位置づけられる両生類が、都会の学校内で生き続けるための条件を調べる困難な研究である。
水を張ればよいわけではない。湿度、日陰、土壌、隠れ場所、餌となる小動物、水温、人の動線が組み合わさって初めて、生息環境は成り立つ。一つでも生命の維持を妨げる致命的な条件があれば、個体は生き続けることができない。学校ビオトープは、生命を守りたいという願いを、測定、記録、設計、管理へ変えていくもう一つのオープンラボなのである。
6―2 校内の生息地づくりから、本来の生息地と他校へ
学校内にオオイタサンショウウオが生きる環境をつくろうとすれば、やがて、本来の生息地を知らなければならなくなる。
飼育容器の中で、どのような床材や餌を好むのかを調べることはできる。予備実験区画の中で、湿度や隠れ場所と行動との関係を観察することもできる。しかし、野生の個体がどのような森林と水辺を利用し、どの時期に繁殖し、周囲の生物や地域の人々とどのような関係の中で生きているのかは、学校内の実験だけでは分からない。
そこで、有尾類研究所の活動は、研究対象の生息地と、そこで調査や保全活動を続けている高校、住民、専門家へ向かって開かれていく。
その展開の一つが、大分県立大分上野丘高等学校とのオオイタサンショウウオ生息地合同調査である。山脇有尾類研究所では、オオイタサンショウウオの幼生と幼体を飼育し、餌となる土壌生物を調べ、校内の予備実験区画で生存条件の検討を進めてきた。しかし、東京の学校内に再構成した環境だけを見ていては、野生個体が実際にどのような森と水辺に支えられているのかを理解することはできない。
そこで、山脇学園の生徒が大分県を訪れ、大分上野丘高校生物部の生徒とともに、オオイタサンショウウオの生息環境を調査する計画を立てた。調査には、両校の顧問教員に加えて、大分市の文化財保護に関わる専門家、地域の保全団体、上野丘高校生物部の卒業生などにも協力をお願いした。
霊山寺周辺や上野の森を歩き、水辺の状態、周囲の森林、土壌、落ち葉、日照、湿度、人の土地利用などを観察する。調査後には、上野丘高校の生物室で、両校の生徒がそれぞれの研究を発表し、校内飼育と野外調査から見えてきたことを共有することも計画した。
ここでは、山脇有尾類研究所が地域の研究を指導する立場に立つのではない。本来の生息地を継続して見てきた高校生、地域の保全活動に関わってきた人々から、山脇学園の生徒が学ぶ。山脇学園は、飼育下で得た発生、成長、餌、環境条件に関する記録を持ち寄る。異なる場所で蓄積した知識を持ち寄ることによって、一校だけでは見えなかった問題を確かめるのである。
飼育水槽の中で観察していた幼生や卵嚢が、どのような森、水田、湿地、水路によって支えられているのか。地域の人々は、繁殖地の水をどのように管理し、開発や乾燥から生息地をどのように守ってきたのか。絶滅危惧種を研究するということは、珍しい生物を学校内で飼育することではなく、その生物が地域の中で生き続ける条件を、そこで暮らす人々とともに考えることでもある。
この合同調査は、研究所が外部から生徒を受け入れるだけの施設ではないことを示している。必要なときには、研究所の側が外へ出ていき、生息地に根ざした研究と保全活動へ接続する。校内の実験と現地調査を往復し、そこで得た知見を再び飼育方法やビオトープの設計へ戻す。その往復によって、研究所は、東京の学校内に閉じた施設ではなくなる。
同時に、有尾類研究所は、研究の場所を持たない他校の生徒にも開かれている。研究所の構想段階から、学外研究生の受け入れ、学外生徒を対象とする説明会、研究所のホームページによる情報発信、教育関係者への広報を計画していた。
二〇二五年度には、学会や高校生両生類サミットなどを通して研究所を知り、研究支援を希望した生徒を、可能な範囲で受け入れる方針を明確にした。昭和女子大学附属昭和高等学校と広尾学園高等学校の生徒の個人研究についても、研究方法や実験技術に関する支援を行った。
他校の生徒を受け入れる目的は、研究能力の高い生徒を山脇学園へ集めることではない。所属する学校に研究設備や専門的な指導者がいないために、生徒が持った関心を研究へ発展させられない場合がある。その生徒が研究をあきらめなくてもよいように、必要な機器、材料、技術、研究者とのつながりを提供することが、研究所を外部へ開く意味である。
6―3 研究交流を全国と海外へ開く
研究所の外部への開きは、学外の生徒を受け入れることや、生息地で合同調査を行うことだけにとどまらない。有尾類を研究する高校生が学校を越えて集まり、互いの研究を発表し、専門家から助言を受け、次の研究へつなぐ場を継続することも、研究所の重要な役割である。
高校生両生類サミットは、清心女子高校で始まった両生類研究の交流を、山脇学園へ引き継いだ事業である。二〇二三年度以降、有尾類研究所の中核的な活動として位置づけ、山脇学園を会場として開催してきた。両生類を対象とする研究は、一校の中では少人数になりやすい。しかし、全国から生徒が集まれば、発生、繁殖、行動、生態、飼育、保全など、異なる研究が互いにつながる。
サミットでは、完成した研究成果だけを評価するのではない。まだ十分なデータが得られていない研究や、方法に迷っている段階の研究も持ち寄り、他校の生徒や研究者から質問を受ける。発表は研究の終点ではなく、次の観察や実験へ戻るための機会になる。
公開講座「生命」や、赤坂地区の区民センターで行う公開講演会も、研究所で進めている研究を学校外へ伝える場である。研究成果を専門的な発表会だけで示すのではなく、地域の人々に説明し、両生類の生態、生息地の減少、動物実験の倫理、学校で生命を研究する意味を共有する。
鳥取大学の「蒜山の森」で行う宿泊研修では、実験室で飼育している有尾類を、森林、水辺、土壌、生物多様性の中で捉え直す。生徒は、森林の中を歩き、土壌生物や植物を観察し、有尾類の生活を支える環境を自分の身体で知る。研究室の中で個体を詳しく調べることと、野外で生息環境全体を見ることを往復するための研修である。
さらに、フィリピン大学ロスバニョス校や、マレーシアの大学と連携した環境学習研修も進めている。異なる気候帯の森林や湿地、生物多様性、地域の保全活動に触れることによって、日本の有尾類とその生息地を、より広い環境の中で考え直す機会となる。
これらの活動は、一見すると別々に見える。学外研究生への支援、生息地での合同調査、高校生両生類サミット、公開講座、森林研修、海外研修では、参加者も場所も異なる。しかし、いずれも、学校内で蓄積した研究を外へ持ち出し、外部で得た知識と経験を再び学校内の研究へ戻す働きを持っている。
その意味で、山脇有尾類研究所は、すべての知識を集めて管理する中心ではない。大学、研究機関、企業、地域の高校、保全団体、生徒、教員が、それぞれ持っている知識、設備、経験を必要に応じて結びつける接点である。
そこでは、すべての主体が同じ役割を担うわけではない。専門家と高校生の知識や技術が同じであるともいえない。大学研究者には高度な技術と専門知識があり、地域の高校や保全団体には、生息地を長年見てきた経験がある。学校の教員には、生徒の日常に伴走し、研究を継続させる役割がある。生徒には、飼育や観察を続ける中で、これまで見過ごされてきた変化を発見する可能性がある。
役割と専門性は異なっていても、知識が大学から高校へ一方向に与えられるだけの関係にはしない。それぞれが持つ知識と経験を持ち寄り、研究方法を検討し、必要な役割を担う。ハブ型オープンラボとは、そのような関係を継続してつくるための仕組みである。
山脇有尾類研究所の現在地は、設備が整い、生徒が研究を始め、研究発表会に出られるようになったという段階だけでは捉えられない。学校内に研究拠点を置き、そこから校内の生態系、本来の生息地、他校の生徒、大学や研究機関、地域社会、国内外の環境学習へ接続する活動が、実際に動き始めている。
ここでいう「完成」とは、制度が固定され、これ以上変わらない状態になったことを意味しない。研究を継続し、次の生徒へ渡し、外部の人や場所と結び直す仕組みが、理念だけでなく、実際の活動として動き始めたという意味である。
ハブ型オープンラボは、研究を一つの学校に集めて所有する制度ではない。学校の内部に研究を継承する拠点を置きながら、その拠点を外部へ開き、異なる場所にいる人々の知識、技術、経験を結びつける制度である。山脇有尾類研究所は、その結び目の一つとして機能し始めている。
7 有尾類研究という媒介 ―生命・環境・倫理・社会をつなぐもの―
山脇有尾類研究所で、研究室、動物飼育室、学校ビオトープ、動物実験委員会、外部研究者との連携、高校生両生類サミットを一つにつないでいるのは、有尾類という共通の研究対象である。生徒は、研究室では発生や生殖を観察し、飼育室では毎日の給餌と個体管理を行い、ビオトープでは水、土壌、餌生物、生息環境の条件を調べる。動物を用いる実験を計画するときには、その必要性と個体への負担を考え、大学や研究機関から研究材料の提供や技術指導を受ける。さらに、研究成果を学会や高校生両生類サミットで発表し、他校の生徒や研究者と共有する。これらの活動は、有尾類を研究するという一つの営みから広がっている。
有尾類が研究所の中心となった背景には、私自身が長年にわたって蓄積してきた飼育と研究の経験がある。一九八九年、清心女子高校の生物教室へカスミサンショウウオの卵嚢が持ち込まれて以来、私は生徒たちとともに、孵化、幼生飼育、変態、性成熟、産卵、人工授精を追い続けてきた。その過程で、飼育方法、発生段階の記録、繁殖条件、組織標本の作製、個体の異常や死亡への対応について、具体的な技術と記録を蓄積してきた。山脇有尾類研究所は、有尾類が教育に適しているという一般的な判断だけから生まれたのではなく、清心女子と南九州大学で積み重ねてきた研究を、次の学校と生徒へ渡すところから始まったのである。
有尾類の研究では、一個体の一生を長い時間をかけて追うことができる。卵の中で胚の形が変わり、孵化した幼生に四肢が形成され、外鰓が失われて上陸し、数年を経て性成熟し、やがて配偶行動と産卵が始まる。その変化は、短時間の実験だけでは捉えられない。生徒は毎日個体を見て、餌を与え、水温や水質を確認し、体長や体重を測定し、行動の変化を記録する。その記録を前日の記録、前年の記録、先輩が残した記録と比較することによって、初めて研究すべき現象が見えてくる。
研究対象によって、生徒が向き合う問題も異なる。オオイタサンショウウオでは、卵から性成熟までの飼育、人工授精、水位の低下と変態、幼生の共食い、餌となる土壌生物、生息地の保全、学校ビオトープにおける生存条件が問題となった。イベリアトゲイモリでは、早い性成熟と安定した繁殖を利用して、人工授精、発生、生殖器官、組織標本、マイクロインジェクションなどの実験技術を学ぶことができる。アカハライモリとシリケンイモリの比較からは、配偶行動、繁殖期、温度への適応という問題が生まれた。
このように、有尾類という一つの動物群を対象にしながら、研究は発生学、生殖学、行動学、生態学、組織学、保全生物学へ広がっていく。分野を先に決めて生徒を当てはめるのではない。飼育中に起きた変化から疑問が生まれ、その疑問を確かめるために必要な学問と方法を学ぶのである。産卵が始まれば繁殖行動を記録し、幼生が死亡すれば水温、密度、餌、共食いの可能性を検討する。組織の内部構造を知る必要が生じれば、切片を作製し、顕微鏡で観察し、三次元的な再構築を試みる。野外で個体数が減少していれば、生息環境、水位、土地利用、保全活動へ研究を広げる。
有尾類を飼育することは、観察と責任を切り離すことができない研究でもある。給餌を忘れ、水質の悪化や外傷に気づかなければ、個体の状態は悪化する。実験が終わったからといって、飼育を終えることもできない。生徒が卒業した後も、翌日の給餌と水の管理は続く。研究対象は、必要なときだけ取り出して測定できる材料ではなく、研究する側に継続的な応答を求める生きた存在である。
そのため、観察は、対象を眺めて記録するだけの作業にはならない。昨日まで餌を食べていた個体が食べなくなったのはなぜか。外鰓の形が変わったのは変態が近づいたためか。傷を負った個体をそのまま実験に使ってよいのか。死亡個体が出たとき、飼育条件のどこに問題があったのか。変化に気づき、その意味を考え、飼育方法や実験計画を修正するところまでが観察に含まれる。
ここに、動物実験委員会による倫理審査が、研究とは別の手続きではなく、研究そのものに関わる理由がある。何を知るために動物を使うのか。その目的のために、その数の個体が必要なのか。個体にどのような負担を与えるのか。その負担を軽減する方法はないのか。生徒は、実験計画を作成し、審査と助言を受けることによって、自分の「知りたい」という思いだけでは生命を扱えないことを学ぶ。研究技術を身につけることと、研究対象への責任を引き受けることが、有尾類の飼育と実験の中で結びつくのである。
有尾類の研究は、個体の体内で起きる生命現象から、その個体が生きる環境へも広がっていく。オオイタサンショウウオの幼体を飼育すると、何を食べるのかという疑問が生まれる。餌となるワラジムシ、ミミズ、ヤスデ、シロアリを調べると、それらの小動物が増える土壌、湿度、落ち葉、温度の条件を考えなければならなくなる。学校ビオトープに幼体が生きられる環境をつくろうとすれば、水、日陰、隠れ場所、人の動線、井戸水の変化を調べる必要が生じる。さらに、その環境を本来の生息地と比較するために、大分県の高校生や地域の保全関係者とともに現地を調査することになる。
一匹のサンショウウオを飼育することから始まった研究が、餌生物、土壌、水環境、森林、土地利用、地域の保全活動へと広がっていく。生命科学研究と環境教育は、別々に準備された二つの教育プログラムではない。有尾類が生き続ける条件を確かめようとすることによって、個体の発生や生殖を調べる研究と、生息環境を守る研究がつながるのである。
二〇二三年度以降、山脇有尾類研究所では、イベリアトゲイモリ、オオイタサンショウウオ、アカハライモリ、シリケンイモリを対象として、飼育、発生、繁殖、行動、生殖器官、環境適応、保全に関する研究を進めてきた。その研究は、学校ビオトープの造成、餌となる土壌生物の研究、管理下での試験、学会発表、他校生徒への研究支援、高校生両生類サミット、森林研修、海外研修へと広がっている。
研究成果も、学校内にとどまらなかった。日本産イモリ属の繁殖生態に関する研究は、二〇二四年のJSECで科学技術政策担当大臣賞を受賞した。二〇二五年のAPPW高校生発表では、イベリアトゲイモリの研究と、アカハライモリ・シリケンイモリの研究が最優秀賞を受賞し、学外研究生によるオオイタサンショウウオの研究も優秀賞を受賞した。研究所内で続けてきた飼育と観察が、専門家による審査と議論の場へ接続されたのである。
受賞の意味は、研究所の成果を飾ることだけにあるのではない。生徒が学校内で見つけた変化を、先行研究と比較し、実験方法を整え、データによって説明することで、学術的な検討に耐える研究へ発展させたことにある。発表の場で研究者から質問を受ければ、方法の不足や解釈の問題が明らかになり、生徒は再び飼育室と実験室へ戻る。研究発表は、学校内の研究を外部へ開くと同時に、外部からの批判と助言を学校内の研究へ戻す回路となる。
有尾類は、山脇有尾類研究所の活動に名前を与えているだけではない。毎日の飼育から観察を生み、観察から科学研究を生み、研究から倫理的な判断を求め、生息環境の保全へ視野を広げ、大学、他校、地域、学会との関係をつくってきた。
教育と研究、生命科学と環境保全、個人の関心と社会の課題は、理念を掲げるだけでは結びつかない。それらを実際の活動の中で結びつける共通の対象が必要である。山脇有尾類研究所では、その役割を有尾類が担っている。
ハブ型オープンラボを成立させるのは、施設や機器だけではない。異なる研究分野、学校、研究者、地域、生徒を結びつけ、それぞれが持つ知識と経験を持ち寄ることのできる共通の研究対象が必要である。有尾類研究所にとって、有尾類は、その結び目を生み出す具体的な媒介なのである。
8 現時点での達成と残された課題 ―開かれた完成としてのハブ型オープンラボ―
山脇有尾類研究所は、二〇二三年九月の開設から数年を経て、学校の中で研究を継続し、その成果と方法を次の生徒へ渡し、さらに他校や大学、地域へ開く研究拠点として動き始めている。
研究室と動物飼育室には、有尾類を継続して飼育し、発生、成長、生殖、行動、生態を調べるための機器が整えられた。広島大学両生類研究センターなどから研究材料の提供を受け、生徒と教員が大学や研究機関で実験技術を学ぶ関係もつくられた。動物実験規程を制定し、外部の専門家を含む動物実験委員会を設置することによって、生命を扱う研究を、個々の教員や生徒の判断だけに委ねず、審査、助言、承認の手続きを経て実施する体制も動いている。
研究所の活動は、研究室と飼育室の内部にとどまらない。学外研究生を受け入れ、他校の生徒が持った研究課題を支援する。大学や研究機関の研究者から技術的な助言を受ける。高校生両生類サミットや学会発表を通して、研究成果と未解決の問題を他校の生徒や専門家と共有する。公開講座、蒜山での森林研修、海外研修を通して、有尾類の研究を、森林、生物多様性、地域の保全活動、異なる気候帯の環境へ広げる。学校内に設けた研究拠点から、異なる場所と人へ向かう複数の接続が生まれている。
さらに、学校ビオトープの造成によって、有尾類研究は、飼育容器の中から校内の水、土壌、植物、餌生物、気温、湿度へ広がった。オオイタサンショウウオの幼体が生きるための条件を調べるには、個体だけでなく、その個体を支える小さな生態系を考えなければならない。井戸水が安定して供給されないこと、餌生物が思うように増えないこと、予備実験区画に入れた幼体が確認できなくなることも、環境の設計と管理を見直すための記録となった。生命科学研究と生息環境の保全を、同じ研究対象を通して往復する試みが始まっている。
これらの活動は、その都度思いついた企画を並べたものではない。研究所運営委員会、動物実験委員会、年度ごとの事業計画、助成申請、研究計画書、飼育記録、研究所ガイドブック、ホームページなどによって、研究を継続するための手続きと記録が整えられてきた。研究設備、飼育個体、倫理審査、外部研究者との連携、他校生徒の受け入れ、研究発表、環境学習が、研究所を拠点として結びつき始めている。
この仕組みは、すでに具体的な研究成果を生み出している。日本産イモリ属の繁殖生態に関する研究は、JSECにおける科学技術政策担当大臣賞をはじめ、全国規模の研究発表会や学会で評価を受けた。イベリアトゲイモリ、オオイタサンショウウオを対象とする研究も、それぞれの発表の場へ進んだ。
ここで重要なのは、受賞数を研究所の成果として数えることではない。飼育室での毎日の観察から生じた疑問が、先行研究の検討、実験方法の設計、倫理審査、測定と記録、外部研究者からの助言を経て、学校の外で検討される研究へ育っていることである。発表の場で受けた質問や批判は、再び研究室へ持ち帰られ、次の観察や実験に反映される。研究所の内部と外部との往復が、現実の研究活動として成立し始めている。
私は、この段階を「開かれた完成」と捉えている。
ここでいう完成は、研究所の制度と活動が固定され、これ以上変化しない状態を意味しない。学校の中に研究を継続する場所があり、飼育個体と記録が残され、生命を扱うための審査制度があり、外部から技術と助言を受け、他校の生徒や地域へ研究を開く基本的な仕組みが、相互につながって動き始めたという意味である。
清心女子高校では、生命科学コースとSSHの教育課程の中に、知識、体験、研究を結びつけた。南九州大学では、大学研究室を地域の高校生と教員に開いた。山脇学園では、その二つの経験をもとに、高校の内部に常設の研究拠点を置き、そこから学校の外へ研究を開く仕組みをつくった。個別に行ってきた教育実践の主要な要素が、研究所を中心として一つにつながったという点に、現時点での到達がある。
しかし、この到達を、他校がそのまま模倣できる完成品と考えることはできない。有尾類研究所と同じ名称の施設をつくり、同じ機器をそろえれば、同じ教育が実現するわけではない。それぞれの学校には、異なる歴史、教員、生徒、地域、研究対象がある。移すことができるのは、研究所の外形ではなく、研究を継続するために必要な条件を見定め、それを学校の中に組み合わせていく考え方である。
生徒が日常的に研究できる場所を確保すること。研究対象と記録を年度を越えて残すこと。生命を扱う研究を審査すること。教員が研究指導と飼育管理を行う時間を、勤務時間外の献身だけに依存させないこと。学校内で得られない技術を外部研究者から学ぶこと。自校だけでは研究環境を持てない生徒にも研究の入口を開くこと。これらの条件を、それぞれの学校の実情に即して制度にすることは、他校でも考えることができる。
その一方で、山脇有尾類研究所自身にも、解決していない課題が残されている。
最も大きいのは、研究を日常的に支える人と時間の問題である。飼育個体は、休日や長期休業中にも給餌、水の管理、温度の確認を必要とする。生徒の実験は、授業時間だけで完結するとは限らない。個体の状態、実験の失敗、生徒の迷いを継続して把握するには、研究経験を持った教員が日常的に伴走しなければならない。研究指導と飼育管理を、特定の教員の長時間労働や善意だけに依存させず、学校の正式な職務としてどのように位置づけ、人員と時間を確保するかは、まだ十分に解決されていない。
次に、研究を担う教員の専門性を、どのように継承するかという問題がある。機器を操作する技術、有尾類を飼育する技術、組織標本を作製する技術、動物実験計画を審査に耐える形へ整える力は、文書を残すだけでは完全には伝わらない。経験のある教員が、新たに研究へ関わる教員と実際に作業をともにし、判断の基準を渡していく必要がある。研究所が一人の教員の退職とともに弱体化しないためには、複数の教員が研究経験を積み、それぞれの専門性を高める仕組みが必要になる。
記録の継承も課題である。生徒が残した実験ノート、飼育記録、画像、測定データ、標本、研究発表資料を、後輩が読み直せる形で整理しなければならない。記録を残しても、その所在や意味が分からなければ、次の研究にはつながらない。どの個体を、誰が、どの条件で飼育し、どの実験に用い、何が分からないまま残っているのかを、年度を越えて確認できる管理方法を整える必要がある。
研究材料を維持するためには、遺伝的な管理、感染症対策、外部への逸出防止も欠かせない。外部から受け入れた動物をどのように隔離し、系統をどのように管理するのか。野外由来の個体と飼育個体をどのように区別するのか。飼育下の個体や病原体を自然環境へ持ち出さないために、どのような手続きを置くのか。組換えDNAを扱う研究へ進む場合には、新たな安全委員会と管理体制も必要になる。
学校ビオトープについても、造成した時点で完成するわけではない。水位、土壌、植生、餌生物、気温、湿度は季節とともに変化する。管理下での試験に用いる個体の安全をどのように確認し、得られた知見を本来の生息地の保全へどのようにつなぐのか。東京の学校内につくった環境と、大分県などの本来の生息地との違いを継続して検討しなければならない。ビオトープは、保護活動の成果を示す展示ではなく、長期的な観察と修正を必要とする研究の場である。
研究所を他校の生徒へ開く場合には、受け入れの責任も生じる。誰が研究計画を確認し、安全を管理するのか。使用する機器や動物について、どこまで教育訓練を行うのか。所属校の顧問と山脇学園の教員は、どのように役割を分担するのか。研究成果やデータの帰属、発表者の決定、研究倫理上の責任も明確にしなければならない。開放性は、受け入れる人数を増やすことではなく、異なる学校の生徒が安心して研究を続けられる条件を整えることによって初めて成り立つ。
研究所運営を支える財源も、長期的な課題である。SSH経費や各種助成金によって機器を整備することはできても、機器の修理、消耗品、飼育費、外部研究者の招聘、研修への参加、他校生徒の受け入れには、継続した予算が必要になる。指定期間や助成期間が終了した後にも研究を続けるために、学校法人が研究所をどのように位置づけ、どの程度の人員と予算を継続して保障するのかが問われる。
「開かれた完成」とは、これらの課題が解決されたことを意味しない。むしろ、研究所を動かしたことによって、それまで見えなかった問題が具体的に見えるようになった段階である。設備を設置すれば、管理と技術継承の問題が現れる。他校の生徒を受け入れれば、安全と責任の問題が現れる。ビオトープをつくれば、水、餌、季節変化、個体管理の問題が現れる。制度が実際に動くことによって、次に整えるべき条件が明らかになる。
研究所は、完成した形を守り続けることによって存続するのではない。生徒が入れ替わり、研究課題が変わり、飼育個体が成長し、外部研究者や他校との関係が変化する中で、記録し、検討し、修正し、次の人へ手渡すことによって存続する。開かれた完成とは、変化を止めないことを、研究所の仕組みそのものに含めることである。
山脇有尾類研究所は、学校の中に研究が生まれ、生徒が生命を扱う責任を引き受け、先輩の研究を受け継ぎ、大学、他校、地域とつながりながら、自分の研究を外部へ開いていく場所となった。有尾類を媒介として、教育、科学研究、生命倫理、環境保全、社会との関係が、具体的な活動の中で結びつき始めている。そこに、ハブ型オープンラボの現在の到達がある。
しかし、制度が動き始めたことによって、もう一つの問題も見えてくる。制度は、それを運営する人間から独立して働くものではない。生徒に伴走する教師の熱意は、研究を支える力になる一方で、生徒を教師自身の期待する成果へ向かわせる力にもなり得る。研究発表や受賞への願いには、嫉妬、競争心、承認されたいという欲求が入り込むこともある。生徒を守ろうとする思いが、過剰な管理へ変わる場合もある。
研究設備、倫理審査、外部連携を整えるだけでは、生徒の自由は保障されない。その制度を動かす教師が、自分の内面に生じる不安、支配欲、嫉妬、承認欲求をどのように自覚するかが問われる。制度として研究を支える仕組みを考えた後に、次に向き合わなければならないのは、その制度を動かす教師自身の情念である。














