2026年8月現在の日産は、最悪期からは少し持ち直しています。2026年3月期には最終赤利益は580億円を確保しました。さらに2026年4〜6月期には営業利益779億円と、前年同期の791億円の赤字から大きく改善しています。しかし、世界販売計画は315万台へ引き下げ、中国販売も大幅に下方修正されました。つまり、コスト削減による「止血」は進んでいるが、商品が売れることによる本格的な再生はまだ確認できないという段階です。私は、ここに日産問題の核心があると思います。
1.ゴーンは日産を救った。しかし「コストカットだけ」ではなかった
まず、ゴーン氏について「人員削減とコストカットだけで立て直した」と評価すると、少し過小評価になります。
1999年の「日産リバイバルプラン」は、工場閉鎖、人員削減、系列取引の見直しだけでなく、部門横断のクロス・ファンクショナル・チームを導入し、縦割り組織を崩すことまで含んでいました。実際、営業利益率は急速に改善し、自動車事業の巨額負債も大幅に削減されました。日産自身も2002年の段階で、当初目標を前倒しして営業利益率7.9%に到達したと報告しています。ですから、ゴーンは日産の仕組みを変えなかったというより、ゴーンは日産の「仕組み」は大胆に変えた。しかし、経営者が変わっても会社自身が顧客を見て考え続ける「文化」までは定着させられなかったと考える方が適切ではないでしょうか。そして、むしろ後半のゴーン経営そのものが、初期改革とは異なる方向へ進んでしまいます。
2011年に始まった「Nissan Power 88」では、世界市場シェア8%、営業利益率8%が明確な数値目標とされました。販売台数を増やすことが経営上の大きな目的になったのです。
その結果について、現在の日産CEOエスピノーサ氏自身が、過去の日産は「財務目標の会社」になり、自分たちが何者なのかを見失ったという趣旨の反省を語っています。Reutersも、ゴーン期の販売数量重視が値引き依存を招き、ブランド価値を傷つけたという日産内部やアナリストの評価を伝えています。
顧客に価値を提供した結果として売上や利益が生まれるのではなく、売上やシェアという数字を達成するために商品を売るようになる。目的と結果が逆転したわけです。
2.「技術の日産」の問題は、技術が高すぎたことではない
日産が技術的に劣った会社になったわけではありません。むしろEV、e-POWER、可変圧縮比エンジン、運転支援など、独創的な技術を持っています。問題は、「この技術で何ができるか」から商品を考えるのか、「この人は何を必要としているのか」から必要な技術を考えるのかという順序です。
トヨタは公式にも「Customer First」を掲げ、「顧客の必要を予測し、その期待を超える製品・サービスを提供する」としています。また「現地現物」を重視し、それぞれの地域に近いところで開発するという考えを明確にしています。ここでTNGAの意味も出てきます。共通化できるプラットフォームや部品は共通化してコストを下げる。しかし、すべてを世界共通の商品にするのではなく、地域ごとの需要に合わせて商品を変える。つまり、標準化するところと個別化するところを分けている。これは単なる設計技術ではなく、経営思想でもあります。
3.現在の日産の危機を決定的にしたのが、米国での「ハイブリッド不在」
現在の危機を見ると、「顧客ニーズをつかめなかった」という問題が非常にはっきり現れています。
日産は米国でEVへの移行を重視し、ハイブリッド車への需要がこれほど急速に高まると予測できませんでした。その結果、米国市場で消費者がハイブリッドを求め始めたとき、十分な商品を持っていませんでした。しかも車種自体の高齢化も進み、販売を維持するため値引きに頼るようになりました。Reutersの取材では、当時の内田CEO自身もハイブリッド需要の急増を予測できなかったことを認めています。これは典型的な「技術の失敗」ではありません。市場を見ることの失敗です。しかも日本ではe-POWERという優れたハイブリッド技術をすでに持っていた。技術がなかったのではない。顧客が必要とする市場に、必要な時期に、必要な商品として投入できなかった。ここが非常に重要です。
4.中国でも同じことが起きた
中国ではさらに厳しい問題が起こりました。BYDなど中国メーカーは、EV技術だけでなく、価格、デザイン、ソフトウェア、車内体験などを急速に変化する中国消費者の要求に合わせて開発しています。一方、日産はかつて中国で大きな地位を持ちながら、その変化についていけませんでした。Reutersによれば、日産の中国市場での販売低下は深刻で、2026年度についても中国販売予想を18%下方修正して58万台としています。
興味深いのは、現在の日産が中国企業との共同開発によって、その方法を逆に学ぼうとしていることです。中国向けEV「N7」は東風汽車との協力によって約2年という短期間で開発され、エスピノーサ氏は中国で学んだ開発能力を他地域にも応用するとしています。つまり、日産自身が今、「本社が世界向け商品を考える」から「地域の顧客の近くで商品を考える」へ転換しようとしているとも読めます。
5.電気自動車EVのリーフそのものを「失敗」と見るのは間違い
ここだけは、ご提示の記事に対して私は少し留保を置きます。リーフを「プリウスに対抗してEVに賭けた結果、顧客に受け入れられなかった失敗」とだけ評価するのは一面的です。リーフは2010年に量産EVを非常に早い段階で市場投入し、2020年までに世界累計50万台を販売し、欧州カー・オブ・ザ・イヤー、ワールド・カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しました。日産をEVの先駆者にした重要な商品でした。問題だったのはリーフを作ったことではありません。むしろ、リーフから得た先行者利益を、次の10年間の顧客価値へ結びつけられなかったことでしょう。EVだけに未来を固定して見るのではなく、EVを欲しい人、ハイブリッドを欲しい人、安価なガソリン車を必要とする人、SUVを求める人、というように顧客から逆算して商品を用意する必要があった。トヨタとの差は、「EV技術かハイブリッド技術か」ではなく、もっと深いところにあると考えます。
6.そして組織そのものが「顧客を見る能力」を失った
もう一つ非常に重要なのが組織文化です。現在のエスピノーサCEOは、日産内部に部門間の壁があり、意思決定が遅く、幹部間の政治的対立も存在していたと述べています。これは重大です。顧客の声は営業部門に入ってくる。技術は開発部門にある。原価情報は購買・生産部門にある。地域市場については海外拠点が知っている。ところが組織が縦割りになると、それらが一つの商品に統合されません。すると各部門では合理的な判断をしているのに、会社全体としては顧客からずれた商品ができる。
7.現在の「Re:Nissan」にも、ゴーン改革と同じ危険がある
現在の日産は「Re:Nissan」のもとで、世界の工場を17から10へ減らし、約2万人を削減し、固定費・変動費合わせて5,000億円の削減を目指しています。必要な措置でしょう。しかしこれは、1999年と非常によく似ています。だからこそ問題は、「またコスト削減だけで終わるのか」です。実際、2026年4〜6月期に営業黒字へ転換したことは、コスト削減が効き始めている証拠です。一方で販売台数の見通しは引き下げています。ですから、コストカットは治療ではなく止血である。工場を閉めれば利益は改善できます。人員を削減すれば損益分岐点は下がります。しかし、「この日産車が欲しい」という人を増やすことはできません。そこを変えられるかどうかが、今回の日産再建の本当の勝負だと思います。
8.ゴーン氏の「利権」については、少し慎重な議論が必要
経営権の集中と巨額報酬をめぐる問題によって、経営者自身の利益と企業統治の境界が問われる事態になった。
ゴーン氏は報酬の過少記載や背任などで起訴されましたが、本人は一貫して否認しており、2019年にレバノンへ逃亡したため本人について日本で刑事裁判による最終的な事実認定は行われていません。一方、元側近グレッグ・ケリー氏については一部の報酬過少記載への関与で有罪判決が出ており、控訴審でも維持されています。ですから、ゴーン問題の本質を「個人的な強欲だった」とだけ説明するより、非常に強い経営者によって会社を変えることには成功したが、その人物がいなくても健全に意思決定できる統治構造を作れなかったと見る方が、今回の日産問題との連続性を説明できます。そして、学校教育との比較はかなり深いところで成立します。ここが、今回のお話で私が最も重要だと思うところです。企業で起きる目的と手段の逆転を学校に置き換えると、とてもよく分かります。
9.日産の経営の視点で学校教育の運営を考える
自動車会社なら、「市場占有率」「販売台数」「利益率」「技術的優位」が目的になってしまう。学校なら、「偏差値」「大学合格実績」「入学者数」「SSH採択」「コンテスト受賞数」などが目的になってしまう。
本来これらは、よい教育を行った結果として現れる指標にすぎません。ところが指標そのものを目的にした瞬間、「生徒をどう育てるか」ではなく、「学校にとって都合のよい生徒をどう作るか」という方向へ逆転する危険があります。これは、日産が「顧客に欲しいと思ってもらえる車を作る」ことより、「世界シェア8%を達成する」ことを優先してしまった構造とよく似ています。ただし、一点だけ学校では注意が必要です。生徒は「顧客」そのものではありません。教育は、生徒が今欲しいと言っているものをそのまま提供すればよいサービス業ではないからです。森林実習でも科学研究でも海外研修でも、実際に経験する前にはその価値を生徒自身が知らないことがあります。
したがって「顧客ニーズ」に相当するものは、「生徒の要求に迎合すること」ではなく、「生徒が何に出会えば成長できるのかを、生徒の側から考えること」なのだと思います。ここに、学校経営と教育の決定的な違いがあります。教師がやりたい授業をする。管理職が運営しやすい学校を作る。受験実績を上げやすい教育課程を組む。これらはいずれも「提供者側からの発想」です。それに対して、この生徒は何に驚くのか。何と出会えば問いを持つのか。どんな経験によって、自分から取り組みたいと思うのか。その成長のために教師や学校はどのような環境を準備すべきなのか。と考えるのが、教育における「Customer First」に相当するのではないでしょうか。そう考えると、日産の危機は「技術の日産」が敗れた話ではありません。「優れたものを作れば相手は評価してくれる」という提供者側の論理が、「相手にとって何が価値なのか」という問いから離れてしまった結果だと私は捉えます。そしてこれは学校にもそのまま当てはまります。「私たちはこんなに優れた教育をしている」ではなく、「その教育によって生徒の中に何が生まれているのか」。そこを見なくなった組織は、技術力の高い日産であっても、伝統校であっても、外部環境が変わったとき急速に弱くなる。本質は、そこにあると思います。
なお、この観点は今書いている原稿『有尾類研究所という思想』でこれまで扱ってきた「制度や成果を目的化せず、生徒の内側から生まれる問いを制度が支える」という議論とも、かなり直接的につながるテーマだと思います。














