⑬ 発表するという経験 ―関係を生成する教育装置として―
1 発表は終点ではなく、問いの出発点である
教育において、発表とは何か。学校では、発表はしばしば学習や研究の最終段階に置かれる。研究を行い、結果をまとめ、ポスターやスライドを作成し、人前で説明する。そこでは、発表は、それまで取り組んできた学びの成果を示す場として位置づけられる。
私が生徒の科学研究を指導する中で見てきた発表は、そこからさらに先へ進む経験であった。発表の準備を始めると、生徒は、自分たちが行ってきた観察や実験を、他者に伝わる言葉へ組み直さなければならなくなる。なぜその研究を始めたのか。どのような方法で確かめたのか。得られた結果から何が言えるのか。まだ説明できていないことは何か。ポスターやスライドを作る過程で、生徒は、自分たちの研究をもう一度最初から見直すことになる。
発表の準備を始めるまで、生徒は、自分の研究を自分たちの内側で完結したものとして捉えていることが多い。観察したこと、実験したこと、考えたことは、確かに生徒自身が経験したことである。ところが、それを他者に説明しようとすると、研究の目的がまだ十分に言葉になっていないこと、方法の説明が足りないこと、結果と考察のつながりが弱いことに気づく。自分たちには分かっているつもりだったことが、聞き手にはまだ伝わらない。その経験を通して、生徒は自分の問いを外側から見直し始める。
発表とは、自分の中にあった問いを、他者の前に差し出す行為である。問いは、発表された瞬間に、発表者だけのものではなくなる。聞き手の視線、質問、批判、助言を受けることで、問いは新しい形を取り始める。質問されたことにすぐ答えられないとき、生徒は、自分たちの研究にまだ残されている問題を知る。別の解釈を示されたとき、結果の見方が広がる。助言を受けたとき、次に何を調べればよいのかが見えてくる。
その意味で、発表は成果を示す場であると同時に、研究を次の段階へ進める場である。生徒は、発表を通して、自分の問いが他者との関係の中で深まり、修正され、次の観察や実験へつながっていくことを経験する。発表は、問いが関係の中に置かれ、新しい研究へ動き出す出来事なのである。
2 英語ディベートという入口
発表が、問いを他者に開き、次の研究へ進める経験であることを考えるうえで、生命科学コースにおける英語ディベートの導入は重要な入口になった。生命科学コースの「実践英語」では、英語を読む力、聞く力、話す力、書く力を育てることを大切にしながら、それらの力を、生命科学の問題について考え、自分の意見を根拠とともに他者へ伝える活動へ結びつけようとした。
生命科学コースの生徒にとって、英語は、入試や資格試験で求められる力であると同時に、海外の研究者の考えを読み、生命科学をめぐる社会的・倫理的な問題を調べ、自分の立場を整理し、異なる意見を持つ相手に向かって説明するための言葉でもあった。英語を学ぶことと、科学の問題について考えることを切り離さず、英語を通して自分の考えを外へ出す経験をつくることが、「実践英語」の重要な役割であった。
この発想は、「ツールとしての英語」という考え方に結びついていった。授業「実践英語」では、生命科学分野の問題を題材にした英語ディベートを導入した。英語ディベートは、読む力、調べる力、多面的に考える力、論理的に書く力、相手に届くように話す力、さらに相手の質問に応答する力を育てる方法として位置づけられていた。そこで重視したのは、英語を学習対象として完結させることではなく、英語を使って、自分の考えを他者へ伝えることであった。
ディベートでは、与えられた議題について、賛成または反対の立場を引き受け、資料を調べ、根拠を選び、論理を組み立て、言葉によって他者と向き合う。自分がもともとどう考えているかに加えて、相手に伝わる形で主張を構成しなければならない。ときには、自分の考えとは異なる立場に立ち、その立場から論理を組み立てることもある。この経験によって、生徒は自分の思考を外側から見直すことになる。
人は、自分の頭の中では分かっているつもりでいる。しかし、それを言葉にし、他者に伝え、質問や反論に応答できる形にすることは容易ではない。ディベートでは、曖昧な考えを、根拠をもった言葉へ変えなければならない。言葉にした瞬間に、自分の考えの弱さや、根拠の不足、論理の飛躍が見えてくる。そこに、発表する経験と共通するものがある。考えを外に出すことで、自分の思考をもう一度見直すのである。
生命科学分野のディベートでは、遺伝子組換え作物を世界的な食糧問題の解決策としてどう評価するか、また生態系や人体への安全性をどう考えるかが議題となった。さらに、「ゲノム編集・デザイナーベビー」では、遺伝子治療の是非や、知能や容姿を選択することの倫理的問題を扱った。「動物実験の是非」では、新薬開発や医学の進歩のために動物の命を犠牲にすることが許されるのか、代替法にはどのような可能性があるのかを考えた。「代理出産・不妊治療」では、生命の誕生にテクノロジーがどこまで介入すべきかを議論した。「安楽死・尊厳死」では、生命科学や医療の進歩によって、「死」の定義や選択をどのように考えるべきかを扱った。「クローン技術」では、絶滅危惧種の保護への応用や、ヒトクローンをめぐる倫理的境界線について考えた。
これらの議題では、賛成か反対かを述べるだけでは議論にならない。生徒は、科学的な知識、社会的な背景、倫理的な論点を調べ、"Evidence-based reasoning"、すなわち証拠に基づいた推論を英語で組み立てる必要があった。さらに、学校教育を取り巻く社会状況を踏まえ、SDGs、すなわち持続可能な開発目標とも関連づけながら、生命科学の発展が、途上国の飢餓や医療格差、生物多様性、環境問題とどのように関わるのかを考えた。生命倫理に関わる問題は、英語教材として扱われるだけの題材ではなく、社会、倫理、科学、生活が折り重なる現実の問題であった。
生徒は、英語を使いながら、生命をめぐる現実の問題に向き合った。英語を学ぶために議論するのではなく、議論するために英語を使う。この転換は大きかった。語学は、正しい文法や発音を身につける訓練として扱われることが多い。しかし、科学の世界において英語は、思考を共有するための道具である。自分の考えを述べ、他者の意見を聞き、異なる立場の人間と議論し、質問に応答する。その経験の中で、英語は、生徒にとって生きた言葉になっていった。
英語ディベートは、研究発表そのものではない。しかし、生徒が自分の考えを他者の前に出し、根拠を示し、質問や反論に応答する経験として、のちの科学研究発表へつながっていった。自分の内側にある考えを、他者と共有できる言葉へ変えること。そこに、発表する経験の最初の入口があった。
3 英語を日常の関係にする
英語ディベートによって、生徒は生命科学に関わる問題を英語で考え、根拠を示しながら自分の意見を伝える経験を持った。さらに生命科学コースでは、その英語を、授業の時間だけで使うものにとどめず、学校生活の中で他者と関係を結ぶ言葉として位置づけようとした。英語が、生徒にとって試験や評価の対象であるだけでなく、日常の中で人と関わり、研究を共有し、自分の考えを伝えるための言葉になることを目指したのである。
そのために、生命科学コースでは、英語ネイティブの教員を生命科学コースの担任として配置した。これは、英会話の機会を増やすためだけの配置ではなかった。担任としてホームルームを行い、清掃をともにし、教室の掲示に関わり、個人面談を行い、学校生活の中で生徒と日常を共有する。その中で、生徒は英語を、授業の中で正解を問われる言葉としてだけでなく、他者と関係を結ぶための言葉として受け止めていった。
高校一年次には、ネイティブ教員が担任として、サンショウウオの餌やりにも生徒と一緒に毎日のように関わった。生き物の世話は、言葉以前に関係をつくる。餌を準備し、水槽を確認し、個体の健康状態を見る。そこには、教師が一方的に英語を教える関係ではなく、同じ対象を前にして、生徒と教師がともに世話をする関係があった。サンショウウオを介して、早い段階で信頼関係が生まれたのである。
蒜山での森林実習でも、ネイティブ教員は生徒と同じ立場で調査活動や研究活動に参加した。樹木を測り、記録し、考え、グループで活動する。その場で使われる英語は、教室の中の練習問題ではなく、自然を前にして、調査を進め、互いに確認し合うための言葉であった。英語を話すことよりも先に、同じ対象に向き合う経験があり、その経験の中で英語が必要になったのである。
高校二年次になると、その関係は、科学研究の成果発表へと接続された。ネイティブ教員は、実践英語でのディベート指導を中心に、科学研究の海外発表に向けた発表要旨の作成、英語ポスターの作成など、発表の準備にも関わった。また、地球環境を学ぶマレーシア海外研修の引率を担当し、現地での登山や自然観察、最終日に行う自然体験のプレゼンテーションの準備にも関わった。生徒は、英語で発表するために英語を学んだというより、自分たちの研究や体験を他者に伝える必要があったから、英語を使うようになっていった。
ここで育ったのは、英語運用能力だけではなかった。発表力やコミュニケーション力は、発表会の直前に原稿を整え、発音を練習するだけで育つものではない。日常の中で他者に向かって話すこと、聞くこと、応答することが積み重ねられることで、発表の場で自分の言葉を出すことができるようになる。英語ディベートはその入口であったが、その背景には、学校生活全体を通して、英語と他者に開かれる環境をつくるという、生命科学コースの意図的な設計があった。
英語ネイティブ担任の存在は、英語教育を補助する役割にとどまらなかった。日常生活、飼育活動、森林実習、海外研修、研究発表をつなぎ、生徒が英語を他者と関係を結ぶ言葉として経験するための重要な役割を担っていた。生命科学コースでは、英語を教室の中に閉じ込めず、生命に触れる経験、自然を調べる経験、研究を発表する経験へと結びつけた。そこに、発表する力を日常の関係の中で育てる仕組みがあった。
4 小さな発表経験の積み重ね
発表する力は、日常の中で積み重ねられる小さな表現経験によって育っていく。生命科学コースの実践英語では、最終段階の英語ディベートに至るまでに、段階的な表現活動が組み込まれていた。多読・速読から始まり、ブックレポートの作成と発表、暗唱コンテスト、ディベートの導入準備、日本語での意見交換、質問・要約・反駁の練習へと進んでいく。この流れは、生徒が少しずつ自分の考えを外へ出し、他者に届く言葉へ変えていくための過程であった。
発表とは、人前で話す技術だけを意味するものではない。まず、文章を読み取る。そこから自分の考えを持つ。その考えを短く書く。人前で声に出す。聞き手の反応を感じる。さらに、相手の意見を聞き、質問に答え、自分の考えをもう一度整理する。こうした小さな段階を経験する中で、生徒は、自分の思考を他者に向けて表すことに慣れていく。
最初のブックレポート発表では、多くの生徒が小さな声で下を向き、聞き手に内容が十分に届きにくい状況が生まれた。生徒自身も、緊張して何を言ったか分からなくなった、声が出なかったと振り返っている。この場面は、表現の教育において大切な出発点である。生徒は、自分の中では考えていたことが、声に出した瞬間にうまく届かないことを知る。言葉が出にくい。声が届きにくい。相手の目を見ることが難しい。こうした経験を通して、生徒は、自分の思考が自分の中にあるだけでは他者に伝わらないことを、身体で理解していく。
その後、暗唱コンテストでは、発音やイントネーションに加えて、発表態度、声の大きさ、話すスピード、アイコンタクト、ジェスチャーにも注意が向けられた。生徒は、言葉の内容だけでなく、その言葉をどのように届けるのかを学んでいった。聞き手の方を向くこと、声を前に出すこと、間を取ること、身振りを使うことは、単なる発表技術ではない。自分の言葉を相手に届けようとする姿勢そのものであった。
さらに、生徒同士が相互審査を行うことで、聞き手の視点を持つ経験も与えられた。発表を聞く側に立つと、自分の声がどのように聞こえるのか、説明の順序がどれほど大切なのか、聞き手が理解しやすい言葉とは何かが見えてくる。相手に届くとはどういうことか。内容を理解してもらうためには、どのように話せばよいのか。聞き手の反応を受け止めながら話すには、何が必要なのか。こうした問いが、生徒の中に生まれていった。
この段階的な経験の積み重ねによって、発表は個人の技能にとどまらず、話す者と聞く者の関係の中で成立する営みとして理解されていった。多読・速読、ブックレポート、暗唱コンテスト、相互審査、質問・要約・反駁の練習は、それぞれ別々の活動ではなかった。生徒が自分の考えを言葉にし、他者に届け、相手の反応を受けて考え直すための連続した準備であった。この小さな発表経験の積み重ねが、やがて英語ディベートや科学研究発表へとつながっていった。
5 教科横断としての発表
生命科学コースのディベート実践は、英語科の授業だけで完結する取り組みとして進めたものではなかった。社会科では、ディベートとはどのような議論の形式であり、どのように立場を整理し、根拠を示して主張を組み立てるのかを学んだ。オーラル・コミュニケーションでは、英語によるプレゼンテーションの基本や定型表現を学び、相手に分かりやすく伝える方法を練習した。国語では、自分の考えを筋道立てて書くために、意見文の作成に取り組んだ。発表する力を、複数の教科がそれぞれの役割を担いながら支える教科横断型の指導として構想していたのである。
発表には、知識が必要である。論理が必要である。言葉が必要である。声や姿勢、視線、身振りといった身体の使い方も必要である。そして何より、他者に向かって自分の考えを差し出す姿勢が必要である。どれか一つの教科だけで、これらすべてを育てることは難しい。理科で生命や動物について知る。社会科で制度や社会的背景を考える。国語で論理を整える。英語で他者に向けて語る。複数の教科が結びつくことで、生徒は一つの問題を多面的に捉え、自分の意見を他者に伝える準備をしていった。
たとえば、「ペット飼育を免許制にすべきか」という議題は、英語で賛成・反対を述べるためだけの練習問題ではなかった。生徒は、現代文で意見文を書き、生命や動物の扱いについて考え、さらに外部の講演や取材を通して背景知識を深めた。動物愛護に関わる活動家の話を聞き、保護された子猫に触れ、動物が生きている存在であることを実感する経験も含まれていた。ペットを飼うことは、個人の楽しみだけで成り立つものではなく、飼い主の責任、動物の福祉、地域社会、法律や制度、命を引き受ける覚悟と関わっている。その問題を、生徒は体験と言葉の両方から考えることになった。
このような学びの中で、言葉は体験によって重みを持つ。保護された子猫に触れ、活動家の話を聞き、動物をめぐる社会的な問題を知った生徒の言葉は、教科書の中だけで組み立てた言葉とは違ったものになる。一方で、体験は、言葉に変えられることによって他者と共有できる学びになる。かわいそうだった、驚いた、考えさせられたという感想を越えて、なぜ免許制が必要だと考えるのか、あるいはなぜ慎重であるべきだと考えるのかを、根拠を示しながら説明する。その過程で、生徒は体験を論理へ変えていく。
教科横断型の発表教育の意味は、ここにある。生命科学に関わる問題を、理科の知識として学ぶ。社会の制度や倫理の問題として考える。国語で自分の意見を論理化する。英語で他者に向けて語る。複数の教科が一つの問題をめぐって結びつくとき、生徒の学びは知識の断片の集まりではなく、自分が生きている世界を理解するためのまとまりを持ち始める。発表とは、その学びを他者に向けて組み直し、共有可能な形へ変える行為である。
生命科学コースにおける発表教育は、英語の授業で話す力を鍛えることにとどまらなかった。生命に触れる体験、社会的な課題への気づき、資料を読み取る力、意見を書く力、根拠をもって説明する力、他者の反応を受け止める力を結びつけるものであった。教科横断としての発表は、生徒が一つの問題を自分の内側に抱え込み、考え、言葉にし、他者へ差し出すための教育の仕組みであった。
6 課題研究と発表前の変化
英語ディベートで培われた表現の経験は、やがて科学課題研究の発表へと接続されていった。科学課題研究では、生徒は自ら問いを立て、実験や観察を行い、その結果をまとめる。さらに、その研究を他者に向けて語る段階に入ることで、研究は生徒自身の経験から、他者と共有できる知的な営みへと広がっていく。
発表の直前期になると、生徒は大きく変わる。ポスターを作成する。発表原稿を書く。何度も声に出して練習する。予想される質問を考える。答えられない問いにぶつかる。その一つ一つの作業を通して、生徒は自分の研究をもう一度見直すことになる。実験を行った、観察した、データを集めたという経験が、発表準備を通して、他者に伝わる筋道へ組み替えられていく。なぜこの研究を始めたのか。どのような仮説を立てたのか。なぜその方法を選んだのか。結果から何が言えるのか。まだ確かめられていないことは何か。発表の準備は、生徒にこれらの問いを一つずつ引き受けさせる。
発表とは、研究を他者に理解できる形へ語り直す作業である。そこでは、研究を都合よく飾るのではなく、観察や実験の過程、得られた結果、考察の根拠、残された課題を、聞き手がたどれる順序に組み直していく。ポスターの一枚一枚、スライドの一行一行、図表の配置、説明の順序は、生徒が自分の研究をどのように理解しているかを映し出す。
この時期には、教師と生徒の関係も変わっていく。普段の授業では、教師が知識を教え、生徒がそれを学ぶ関係になりやすい。発表前の研究指導では、教師は生徒の研究を一緒に問い直す存在になる。この表現でよいのか。この結果から、そこまで言えるのか。この図は何を示しているのか。対照実験は十分か。質問されたら、どのデータを根拠に答えるのか。こうしたやり取りの中で、生徒の思考は鍛えられていく。
発表前の指導で起きているのは、知識を増やすことだけではない。生徒が、自分の問いに対する責任を引き受けていくことである。自分が何を問うているのかを、自分の言葉で説明する。実験結果の限界を認める。方法の弱さを理解する。考察で言えることと言えないことを区別する。質問に対して、分かっていること、まだ分かっていないこと、次に確かめたいことを整理して答える。そこに、研究を自分のものとして引き受ける姿が生まれる。
他者に向けて語るということは、自分の研究の全体を引き受けるということである。発表の場で、生徒は、観察した事実、実験の過程、得られた結果、考察の限界、次に残された問いを、自分の言葉で説明しようとする。その経験を通して、生徒は、研究を行った人から、研究を語り、問い返しに応答する人へと変わっていく。発表は、生徒を研究の主体へと育てる経験なのである。
7 全国大会を目標にすること
SSH指定当初、清心女子で科学研究を学校文化として根づかせるためには、生徒にも教員にも、研究がどこへ向かう営みなのかを見える形で示す必要があった。二〇〇六年度に生命科学コースを開設した当初、生徒たちに、自分たちも科学研究に取り組み、成果を外へ向けて発表できるという感覚を持たせることが重要であった。また、学校の中に、科学研究に継続して取り組める環境があることを、生徒自身にも教員にも認識してもらう必要があった。そのため、最初に目標として設定したのが、全国のSSH指定校が研究成果を発表するSSH生徒研究発表会であった。
さらに、日本学生科学賞やJSECの最終審査会を目指すことは、部活動でいえば、地方大会の一回戦を勝ち抜いた経験もない野球部を、甲子園に向かわせようとするようなものであった。当時の清心女子には、研究を行い、その成果を外部の発表会や審査会で問うという文化が十分に育っていたわけではなかった。生徒も教師も、全国レベルの科学発表を身近な目標として感じてはいなかった。そのような状況の中で、あえて全国レベルの発表会や科学コンテストを目標に置いたのである。
それは、受賞を目的に生徒を競争へ向かわせるためではなかった。研究の目標を、生徒の目に見える形にするためであった。SSH以前にも、放課後に生物教室へ来て、生き物の世話をしたり、実験や観察に関わったりする生徒はいた。しかし、その活動は、校内の文化祭で紹介する程度にとどまりやすく、日常の延長として続いていた。生徒は、友人と一緒に放課後の時間を過ごしながら、気になる生き物や実験に関わっていた。顧問である私も、実験や観察について助言していたが、その活動が、どこまで科学研究として展開できるのかを十分に見通していたとは言えなかった。
そのような状況の中で、SSH生徒研究発表会、日本学生科学賞、JSEC、学会発表といった外部の発表の場を設定することによって、研究に一つの節目が生まれた。発表の日が決まる。要旨を提出する。ポスターを作成する。データを整理する。発表練習をする。質問に答える準備をする。そこに向かって準備する中で、生徒にとって、自分たちが行っている活動の意味が少しずつ明確になっていった。日常の中で続けていた観察や実験が、他者に説明し、問い返される研究へ変わっていったのである。
二〇〇八年度、SSH採択三年目のSSH生徒研究発表会で「科学技術振興機構理事長賞」を受賞したことは、生徒にとって全国大会を身近なものにした。外部から高い評価を受けたことで、生徒は、自分たちの研究が学校の中だけで完結するものではなく、学校の外の人にも届くものであることを実感した。ここで大切なのは、賞そのものよりも、評価を通して自分たちの研究を客観化する経験である。自分たちの問いがどこまで届いているのか。どの部分が評価されたのか。どこに説明の弱さがあるのか。何をさらに深めればよいのか。外部の視線を受けることによって、生徒は自分たちの研究を新しい角度から見ることができるようになった。
JSECや日本学生科学賞、SSH生徒研究発表会、学会発表の意義は、研究を競争の中に置くことだけにあるのではない。生徒が、自分の問いを学校の外へ差し出し、研究者や審査員、他校の生徒から質問や助言を受けるところに意味がある。評価は、順位や賞として現れることもある。しかし、それ以上に、研究の質を可視化し、生徒が次に進むための手がかりを与える働きを持っている。
もちろん、評価は扱い方を誤れば、生徒を比較や競争の中に閉じ込めてしまうこともある。だからこそ、教師は、受賞を目的化するのではなく、評価を問いの質を確かめる機会として位置づける必要がある。自分の研究はどこまで説明できているのか。どのデータが根拠になっているのか。どこに限界があるのか。どの質問が次の実験につながるのか。評価をそのように受け止めることができれば、外部発表は、生徒を縛るものではなく、研究を次へ進める契機になる。
全国大会を目標にすることは、清心女子の科学研究を、校内の活動から、社会に開かれた研究へ変えていくための方法であった。発表の場を外に置くことで、生徒は、自分の問いを他者に向けて語り、外部の評価を受け、さらに研究を深める経験を持つようになった。その積み重ねによって、学校の中に、研究を発表し、問い返され、次の研究へ進む文化が育っていったのである。
8 研究発表がロールモデルを生む
発表は、発表する本人だけを変えるものではない。それを見ている後輩も変えていく。資料の酵母研究の紹介では、中学生の頃から高校の先輩が壇上で研究発表をしている姿を見て、最初は単純に「かっこいい」「私もやってみたい」と憧れを抱いたことが、生命科学コース進学や研究への参加の動機になっていった。教育において、ロールモデルは抽象的な理想ではない。目の前にいる少し年上の先輩が、自分にも届くかもしれない未来を見せるのである。生徒にとって、遠くの偉人よりも、身近な先輩の姿の方が力を持っている。壇上で発表する先輩、ポスターの前で質問に答える先輩、実験に失敗しながらも研究を続ける先輩。その姿を見て、後輩は自分の未来を想像する。
先輩がJSECやSSH生徒研究発表会、日本学生科学賞などの全国レベルの大会で評価されると、その経験は、後輩にとってさらに具体的なロールモデルになる。同じ学校で学び、同じ研究室に出入りしていた先輩が、全国の発表会や審査会で自分たちの研究を語り、審査員や研究者からの質問に答えている。その姿を見ることで、後輩の中に、「自分たちもJSECの最終審査へ行けるかもしれない」「自分たちの研究も、学校の外で評価されるかもしれない」という感覚が生まれる。私はそれを、しばしば「根拠のない自信」と呼んできた。まだ十分な研究成果を持っていない段階でも、身近な先輩が研究を外の世界へ届けている姿を見ることで、自分たちの問いもそこへ向かっていけるように感じる。その自信が、次の研究へ向かう力になっていった。
清心女子でSSHの科学研究を指導していた時期には、生徒たちは毎年のように全国レベルの発表会や審査会に出場していた。それは、一人ひとりの生徒が最初から特別な力を持っていたからというより、学校の中に、研究に向かう日常が生まれていたからである。研究室には、いつも生徒がいた。昼食を食べていることもあれば、宿題をしていることもあった。すぐに実験をしているわけではない時間もあった。それでも、その場所に生徒が集まり、先輩が研究に向き合い、後輩がその姿を見ていることに意味があった。
私がいつも声をかけ、細かく指導していたから後輩が育ったわけではない。もちろん、教師が研究室にいて、生徒が必要なときに相談できることは重要である。しかし、後輩を育てていたものの中心には、先輩の姿があった。毎日のように研究室に来て、データを見直し、発表要旨を書き直し、論文やレポートの完成度を最後まで高めようとする。ポスターの図を直し、説明の順序を考え、質問に答えられるように練習する。その誠実な姿勢を、後輩は黙って見ている。研究の方法だけでなく、研究に向かう態度が、先輩から後輩へ伝わっていくのである。
SSH生徒研究発表会に向けて、しぶとく取り組んだ結果、ポスターの完成が出発直前までずれ込んだこともあった。教員に引率してもらい、出発前に駅で刷り上がったポスターを受け取ったことがある。ぎりぎりまで直し、最後まで粘り、少しでもよい発表にしようとする。その姿は、効率よく準備を進める姿とは違っていた。しかし、そこには、自分たちの研究を最後まで引き受けようとする生徒の誠実さがあった。
そのように最後まで粘った生徒が、必ず受賞するわけではない。けれども、賞の有無だけで、その経験の意味を測ることはできない。発表要旨を磨き、ポスターを直し、レポートを書き、質問への答えを考え続ける過程で、生徒は、自分の研究に誠実に向き合う時間を生きている。結果として受賞に届くこともあれば、届かないこともある。それでも、最後まで前向きに取り組んだ生徒は、研究を通して、人生に誠実に向き合うことの手応えを受け取っているのだと思う。
ここで、発表は個人の成果を示す場であると同時に、次の世代に問いと姿勢を手渡す場になる。研究テーマも、研究方法も、発表の仕方も、先輩から後輩へ引き継がれていく。発表された研究を、その場で終わらせず、次の生徒がそれを読み、聞き、疑問を持ち、新たな展開を考えて研究を進める。こうして、発表は時間を越えた関係をつくる。
単年度で完結する探究活動では、問いは深まりにくい。研究が発表され、記録され、研究室の日常の中で先輩の姿が後輩に見られ、さらに次の生徒へ引き継がれるとき、学校の中に研究の時間が生まれる。発表は、研究を個人の経験から共同体の記憶へと変えていく。そして、その記憶の中で育った後輩が、今度は次のロールモデルになっていくのである。
9 女子生徒の科学研究発表交流会
全国大会や科学コンテストは、生徒が自分の研究を学校の外へ差し出し、外部の評価を受ける重要な場であった。その一方で、順位や受賞を目的とする発表とは異なる形で、研究に取り組む生徒が互いの問いを聞き合い、安心して交流できる場も必要であった。研究を始めたばかりの生徒が、自分の研究を語り、他校の生徒の発表を聞き、質問し、助言を受ける。そのような発表交流の場として立ち上げたのが、「集まれ!理系女子・女子生徒による科学研究発表交流会」であった。
この交流会は、これまで科学研究に取り組む機会が少なかった女子生徒が、自分の研究を自分の言葉で発表し、同じように研究に取り組む女子生徒と出会う場として構想した。SSH第Ⅰ期四年目にあたる二〇〇九年度から、発表者を女子生徒に限定した交流会として、清心女子高等学校が主催した。そこでは、発表者が研究成果を競うのではなく、互いの研究を聞き、質問し、悩みを共有し、女性研究者や他校の教員から助言を受けることを大切にした。
参加者は年々増えていった。コロナ禍でオンライン開催へ移行する前年の第十一回大会は、早稲田大学を会場として開催され、参加校三十九校、ポスター発表百十件、参加者約三百九十人に達した。さらに、東北、関西、四国、九州で開かれた地方大会では、合計五十校、四百五十五人が参加するまでになっていた。清心女子で始めた女子生徒のための研究発表交流会は、全国規模で女子生徒の科学研究を支える場へと広がっていったのである。
この場の意義は、発表機会を増やしたことだけにあったのではない。科学の場において、女子生徒が自分の声で研究を語ることができる関係を設計したところにあった。科学技術分野では、女性の割合が長く低い状態に置かれてきた。その背景には、能力の問題というよりも、女子生徒がどのような環境の中で育ち、どのような出会いを持ち、科学を自分の進路として考えられるかという問題がある。自分が科学を語ってよいのだと感じられるか。同じように研究に取り組む女子生徒が周囲にいるか。自分の問いを丁寧に聞いてもらえる場があるか。これらは、女子生徒が理系の進路を選択するうえで大きな意味を持つ。
女子生徒だけの研究発表交流会では、順位や優劣を決めることよりも、互いの問いを聞き合い、研究を続けるための関係をつくることを重視した。発表者は、自分の研究を語る。聞き手は質問する。助言する。似たような悩みを共有する。研究が思うように進まないこと、実験条件の設定に迷うこと、発表に不安を抱えること、周囲に同じ研究仲間が少ないこと。その一つ一つを、他校の生徒と共有できることが、生徒にとって大きな支えになった。
ここで生まれていたのは、関係の変化であった。関係が変わると、生徒は自らの力を発揮し始める。普段は発言をためらう生徒が、自分の研究については驚くほど熱心に語ることがある。それは、研究が自分の問いになっているからである。そして、その問いを受け止めてくれる聞き手がいるからである。自分の研究に関心を持って質問してくれる同世代の生徒がいる。専門的な立場から助言してくれる女性研究者がいる。その関係の中で、生徒は、自分の問いを外へ出してよいのだと感じるようになる。
この交流会で、生徒は自分だけが悩んでいるのではないことを知る。他校にも、同じように研究に苦労し、発表に不安を抱え、それでも問いを持ち続けている女子生徒がいる。自分の学校の中では少数であっても、外へ出れば、同じように研究を続けている仲間がいる。そのことを知るだけで、生徒の孤立感は大きく和らぐ。研究は一人で抱え込むものではなく、語り、聞き、問い返され、助言を受けながら続けていくものだと実感できる。
女子生徒の科学研究発表交流会は、発表を競争の場から、関係をつくる場へ広げた。生徒は、自分の問いを発表し、他校の生徒の問いに触れ、女性研究者の助言を受けながら、科学研究を自分の進路や生き方に関わるものとして受け止めていった。発表は、孤立した問いを共同の問いへ変える。女子生徒の科学研究発表交流会の意味は、そこにあった。
10 卒業生の言葉が示すもの
発表や研究の教育的意味は、卒業後の生徒の言葉の中にも表れている。「集まれ!理系女子」の交流会資料には、卒業生からのメッセージが掲載されている。そこでは、授業「生命」と課題研究で出会った研究者の言葉が、卒業後も記憶に残っていること、研究の面白さが進路選択につながったこと、「好き」という気持ちが研究を続ける原動力になったこと、有尾両生類の研究が、自分を未知の世界へ連れて行ってくれたことなどが語られている。発表や研究の経験は、在学中の活動として完結するものではなく、卒業後の学び方や生き方の中に残り続けていたのである。
たとえば、酵母研究に取り組んだ卒業生は、授業「生命」や課題研究で出会った先生方や研究者の言葉を、今も鮮明に覚えていると語っている。中学生の頃には理科や数学が得意でなくても、生物はその中で好きな分野であり、生命を学ぶ中で大学院まで進学し、研究者として歩むようになった。その背景には、授業「生命」での出会いや、研究を通して自分の関心を深めていった経験があった。研究は、進路選択を外側から決めるものではなく、自分が何に惹かれ、何をもっと知りたいのかを確かめる経験になっていた。
また、有尾両生類の研究に取り組んだ卒業生は、イモリ胚の操作に挑戦したときの戸惑いから語り始めている。イモリの胚が発生するという認識がなく、手術した胚が再生したり、形態形成へ進んだりする様子を見て、生命の力に驚いたという経験である。授業「生命」で感動した有尾両生類の研究を大学院でも続け、両生類の魅力を伝えたいと考えるようになったことは、高校時代の研究が、卒業後の専門的な学びへつながった例である。ここでは、発表や研究は一時的な成果ではなく、自分が生涯をかけて向き合いたい対象との出会いになっている。
「好き」という気持ちを原動力として語った卒業生もいる。受験が近づく中で、志望大学の価値、理数科目の苦手意識、医学部進学への迷いを抱えながらも、自分の好きなものに向かって進むことの大切さを語っている。好きなものがある人は強い。好きなものを大切にしていくことが、将来の自分を支える。その言葉は、課題研究や発表が、学力や進学実績だけでなく、生徒が自分の内側にある関心を信じる力へつながっていたことを示している。
卒業生の言葉に共通しているのは、発表や研究の経験が、知識や技術の習得だけに収まっていないことである。生徒は研究を通して、自分が何を面白いと感じるのかを知る。発表を通して、自分の問いを他者に伝える経験を持つ。交流を通して、自分と同じように問いを持つ他者に出会う。その経験が、大学での学び、研究室での活動、進路選択、さらに将来の生き方を考える力へとつながっていく。
そのことは、保護者の言葉にも表れている。課題研究に取り組んだ生徒の母親は、岡山大学へツツジの花を採取に行ったこと、生物系三学会でポスター発表の機会を得たこと、多くの先生方とのディスカッションや大学生からの助言が楽しかったことを振り返っている。実験がうまくいくこともあれば、思うように進まないこともあった。データのまとめ方に悩み、プレゼンテーションに苦しみ、他校の優秀な生徒の姿を見て自信を失うこともあった。それでも、課題研究に一生懸命取り組んだ経験は、よかったことも苦しかったことも含めて、何物にも代えがたいものとして受け止められていた。
さらに、その母親は、娘が卒業後に予備校で学び直している時期にも、高校時代の課題研究の経験を誇りとして持ち続けていることを書いている。学校に掲げられていた垂れ幕を妹に確認し、喜んでいたというエピソードは象徴的である。受賞や発表は、その場で終わる出来事ではなく、後になっても「あの頃の自分は一生懸命打ち込んでいた」と思える記憶になる。発表や研究は、生徒に結果だけを残すのではなく、自分が本気で何かに向かった時間を残すのである。
私は、学校教育の成果を、どれだけ多くの企画を立てたか、どれだけ多くの参加者を集めたか、どれだけ多くの賞を受けたかだけで測るべきではないと考えてきた。SSH事業によって、生徒が自分の可能性に挑戦し、将来の夢に向かって歩く気持ちを持てたか。科学研究を通して、自分が何に心を動かされるのかを知ったか。その経験が、直接的または間接的に、その人の幸福に関わるものになったか。卒業生や保護者の言葉は、この問いに対する一つの応答であった。
発表する経験は、生徒に問いを残す。自分は何に心を動かされるのか。何を知りたいのか。どのような世界に関わりたいのか。どのような生き方を選びたいのか。授業「生命」、課題研究、発表会、研究交流会での出会いは、その問いを生徒の中に残し、卒業後の学びと生き方の中で響き続ける。卒業生の言葉が示しているのは、発表や研究が、生徒の進路選択を支えるだけでなく、その人が自分の人生を引き受けていくための経験になっていたということである。
11 高校生両生類サミットへの展開
女子生徒の科学研究発表交流会は、二〇一九年には、全国大会を東京で開催し、地方大会として東北大会を宮城学院大学、関西大会を奈良女子大学、四国大会を愛媛大学、九州大会を南九州大学で対面開催していた。各地に女子生徒の研究発表の場が広がり、大学、研究者、高校生、教員が直接集まって交流する形が定着しつつあった。
二〇二〇年度は、新型コロナウイルス感染症の拡大によって、多くの人が一つの会場に集まる学会や研究発表会が相次いで中止または変更を余儀なくされた。農芸化学会や日本化学会などの学会も通常の開催が難しくなり、夏以降は、全国でオンライン開催が急速に広がっていった。女子生徒の科学研究発表交流会も、その状況の中でオンライン開催へ踏み出した。
その最初の形の一つが、二〇二〇年九月十九日に開催した「集まれ!理系女子」第四回九州大会のWeb交流会であった。これは、コロナ禍の中で対面開催の代替として行っただけの会ではなかった。Zoomを用いることで、遠隔地の学校や研究者が同じ時間に集まり、研究発表と講義、ディスカッションを行うことができた。発表校には、清心中学校・清心女子高等学校、岐阜県立岐阜高等学校、岐阜県立大垣北高等学校、栃木県立佐野高等学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校が含まれていた。発表テーマも、ヤマトサンショウウオ、オオイタサンショウウオ、マホロバサンショウウオ、トウキョウサンショウウオなど、有尾類を中心とする両生類研究に絞られていた。
この二〇二〇年の九州大会が、後に「高校生両生類サミット」として継続していく取り組みの出発点になった。オンラインであれば、旅費や移動時間の制約を大きく減らすことができる。全国各地で、イモリ、サンショウウオ、カエルなどを対象に、地域に根ざした研究を続けている高校生がいる。その生徒たちを、一つの広い科学発表会の中に置くのではなく、両生類という共通の対象で結び、互いの研究を深く聞き合う場をつくることができると考えた。
高校生両生類サミットは、これまで学会や発表会で出会ってきた高校生、指導している先生方、大学や研究機関の研究者に声をかけることで実現した。研究テーマを両生類に限定し、全国から発表者を募った。イモリ、サンショウウオ、カエル。地域は違っても、生徒たちは、それぞれの場所で両生類と向き合っていた。岐阜ではサンショウウオの長期保全活動があり、宮崎ではオオイタサンショウウオの繁殖と保護があり、栃木ではトウキョウサンショウウオの保全活動があった。清心女子や山脇学園では、有尾類の飼育、繁殖、発生、行動の研究が続いていた。
このサミットの意味は、オンラインで発表会を開いたことだけにあったのではない。テーマを両生類に絞ることで、発表後の質問や助言が、研究の現場に深く届くようになったところにあった。一般的な高校生対象の科学発表会では、物理、化学、生物、工学、環境、数学など、多様な分野の研究が並ぶ。その多様性には大きな価値がある。一方、互いの研究方法や飼育上の困難、野外調査の条件まで深く理解するには、分野の幅が広すぎる場合もある。両生類サミットでは、対象が両生類に限られるため、生徒同士の質問が具体的になる。飼育条件、産卵時期、幼生の成長、野外調査の方法、個体識別、共食い、変態、保全の課題。質問は、抽象的な感想ではなく、それぞれの研究現場に根ざしたものになっていった。
ここで行われている発表は、情報の交換であると同時に、経験の交換である。ある学校でうまくいかなかった飼育方法が、別の学校の工夫によって考え直されることがある。ある地域の野外観察が、別の地域の生徒に新しい調査の視点を与えることがある。サンショウウオの産卵場所を探す苦労、幼生を育てる難しさ、野外個体を傷つけずに調査する方法、保全活動を地域とどう結びつけるかという悩みが、発表と質問を通して共有される。生徒は、自分の研究が自分の学校だけの問題ではなく、他地域の研究ともつながっていることを知る。
研究者による講義も、このサミットの大きな特徴になった。二〇二〇年の九州大会では、日本両棲類研究所、大学、医科大学、生命科学研究機関の研究者が講義を行い、高校生の研究に専門的な視点を与えた。その後の高校生両生類サミットでも、発生、再生、保全、生態、進化、分類、遺伝、行動など、両生類研究の第一線で活動する研究者が、高校生に向けて語る場を設けてきた。高校生の発表と研究者の講義が同じ一日の中に置かれることで、生徒は、自分たちの観察や実験が、専門的な研究の世界とつながっていることを実感することができた。
二〇二四年には、第五回高校生両生類サミットを山脇有尾類研究所の主催で開催した。山形県立米沢興譲館高等学校、仙台城南高等学校、栃木県立佐野高等学校、岐阜県立大垣北高等学校、津田学園中学校・高等学校、瀧川学園瀧川中学校などが発表し、北米とアジアのサンショウウオ、ヤマトサンショウウオ、トウホクサンショウウオ、センダイサンショウウオ、トウキョウサンショウウオ、ナガレヒキガエルなど、多様な両生類研究が共有された。海外の研究者や国内の大学研究者も講義を行い、高校生の研究を専門的な視点から支えた。
二〇二五年には、第六回高校生両生類サミットを開催した。仙台城南高等学校、昭和女子大学附属昭和高等学校、広尾学園高等学校、山脇学園高等学校、岐阜県立大垣北高等学校、津田学園中学校・高等学校などが発表し、オオイタサンショウウオ、ハコネサンショウウオ、イベリアトゲイモリ、オオサンショウウオ、ナガレヒキガエルなどを対象に、各校が日々取り組んでいる課題研究を報告した。講義では、両生類の不思議な関係、再生現象、尾をめぐる研究などが扱われ、高校生の発表と研究者の専門的な語りが結びついた。
オンライン開催によって、地理的な制約は小さくなった。遠く離れた学校同士が、同じテーマでつながることができるようになった。地域の繁殖地でサンショウウオを見ている生徒、学校の飼育室で幼生を育てている生徒、大学研究者から助言を受けている生徒が、画面を通して互いの研究を聞き合う。発表は、ある場所に集まり、その日だけで終わる行事から、次の連絡、次の助言、次の共同研究へつながる関係をつくる機会へ広がっていった。
高校生両生類サミットは、「集まれ!理系女子」で培ってきた発表交流の思想を、両生類という専門的な研究対象へ深めたものである。女子生徒の科学研究発表交流会が、研究する生徒を孤立させず、他校の生徒や研究者と出会わせる場であったように、高校生両生類サミットは、両生類を研究する高校生を全国につなぎ、研究の経験、失敗、技術、問いを共有する場になった。発表は、情報を伝えるだけでなく、次の関係をつくる。高校生両生類サミットは、そのことを具体的に示す実践として継続している。
12 高校生が未来の教師を教える
高校生両生類サミットでは、高校生の研究発表だけでなく、両生類研究に関わる研究者の講演を組み込んだ。参加する高校や研究者が各地に分散していたため、Zoomを用いて開催した。高校生が自分たちの研究を発表し、研究者や他校の生徒、教員から質問や助言を受ける。その一方で、研究者は、自らの研究成果を高校生にも届く言葉で語る。高校生の発表と研究者の講演を同じ場に置き、所属や年齢を越えて、両生類をめぐる問いを共有することを目指した。
私は南九州大学で理科教育法を担当していたとき、この高校生両生類サミットを教員養成の授業に組み込んだ。学生には、高校における科学研究の実際を知ってもらうため、高校生の研究発表と研究者の講演に参加するか、その記録映像を視聴し、感想を書くことを課した。また、南九州大学に勤務していた時期には、宮崎大学工学部・農学部でも理科教育法Ⅰ・Ⅱを担当しており、そこでも同じように高校生両生類サミットを授業に取り入れた。
現在手元に残っているのは、宮崎大学の学生が提出したレポートである。レポートには「午前中の発表に参加した」と書いた学生がいる一方で、「オンデマンドで視聴した」「発表会の録画を視聴した」と記した学生もいる。したがって、当日のZoomに参加した学生と、後から記録映像を視聴した学生の双方がいたと考えられる。南九州大学でも同じ課題を行ったが、現在残っているレポートは宮崎大学の学生のものである。
教科教育法というと、学習指導要領を読み、指導案を作り、模擬授業を行う科目として理解されやすい。もちろん、それらは必要である。しかし、教師になる学生に必要なのは、授業の形式を覚えることだけではない。生徒が自ら問いを持ち、調べ、失敗し、他者からの質問や助言を受けながら研究を進めていく姿を、実際に見ることも必要である。また、専門家が未知の現象をどのように説明し、何が分かり、何がまだ分かっていないのかを語る姿に触れることも、理科教師になるための重要な経験になると考えた。
学生たちは、まず高校生の研究内容に驚いていた。「高校生とは思えない」「大学の研究と同じくらい詳しく調査されている」「大学の卒業研究に近い」といった感想が、複数のレポートに見られた。しかし、学生たちが見ていたのは、研究内容の専門性だけではなかった。なぜその研究を始めたのか、どのような仮説を立てたのか、どのような方法で調べたのか、得られた結果から何を考えたのか、そして次に何を調べようとしているのか。高校生が研究の過程を自分の言葉で説明する姿を見ていた。
高校生が研究の今後の方向を具体的に述べていることから、「生徒自身が研究の見通しを持っている」と読み取った学生もいた。現地の写真、表、図を使い、聞き手が調査の様子を想像できるようにしていることや、重要な部分を示しながら説明していることにも注目していた。高校生の発表は、単に集めた情報を順番に読み上げるものではなく、聞き手にどのように伝えるかを考えて構成されていた。その姿を見て、大学生である自分にも同じような発表ができるだろうかと振り返った学生もいた。
特に印象的だったのは、学生たちが質疑応答の意味を細かく見ていたことである。質問に対して、自分たちが分かっている範囲で答える。確認できていないことや、まだ情報がないことについては、曖昧に取り繕わず、分からないと伝える。研究者から、情報源を明確にすること、写真にはスケールを示すこと、実験で分かった事実と、そこから導いた考察を区別することなどの助言を受ける。ある学生は、その様子を見て、研究者たちが「高校生を研究者の一人として扱っているように感じた」と書いていた。
この言葉は、高校生両生類サミットでつくろうとしていた関係をよく表している。高校生は、研究者の話を一方的に聞く受講者として参加していたのではない。自分たちの問いと観察結果を持ち、それを他者の前に差し出し、批判や助言を受ける者として参加していた。研究者も、完成された知識を教えるだけではなく、高校生の発表を聴き、その研究を次へ進めるための問いを返していた。
学生たちは、そのような質疑応答を、自分たちの将来の授業とも結びつけていた。生徒からの質問に応じるためには、教師自身にも知識と言語化する力が必要である。分からないことを無理に答えるのではなく、何が分かっていて、何がまだ分からないのかを区別して伝える必要がある。高校生の研究発表は、研究の成果を伝える場であると同時に、将来教師になる学生が、説明すること、質問を受けること、分からないことに向き合うことの意味を学ぶ場になっていた。
受講する前には、高校生両生類サミットを見ることが教職とどのように関係するのか分からなかった、と率直に書いた学生もいた。しかし、実際に発表や講演を視聴すると、スライドの構成、用語の説明、話の順序、図や写真の使い方、質問への答え方など、模擬授業や将来の授業づくりに生かせる点があることに気づいていた。ある学生は、発表のスライドに目次と現在説明している位置が常に表示されていることに注目し、自分の模擬授業でも取り入れたいと書いていた。生徒に理解させたい内容と、現在の話の流れを明確にすることは、研究発表だけでなく授業でも重要であると考えたのである。
農業高校の教師を目指していた学生は、自分の高校時代を振り返り、高校の勉強を「志望大学に入学するために、ひたすら座学を頑張る」ものとして捉えていたと書いた。その学生は、高校生が自分の興味から問いを持ち、研究し、発表し、論文を書く経験は、社会に出た後にも生きると受け止めた。そして、SSH指定校だけでなく、農業高校をはじめとする職業高校でも、生徒が研究活動を経験できるようにしたいと述べていた。サミットの視聴が、どのような学校教育をつくりたいのかという、自らの教師観を考える機会になっていた。
また、理科には自分が得意ではない分野や、面白さを十分に理解できていない分野もあると認めながら、生徒一人ひとりがどの分野に心を動かされるかは分からない以上、教師は多様な理科の面白さを伝えられなければならないと考えた学生もいた。イモリの再生についての研究者の講演を、自分自身が面白いと感じた経験から、生徒にも同じように、科学の現象に驚き、問いを持つ機会をつくりたいと考えたのである。
研究者の講演は、最先端の研究成果を伝えるだけのものではなかった。イモリの四肢、レンズ、脳、心臓などが再生する様子を見た学生は、再生できる生物から原理を学び、再生できる生物と再生できない生物を比較し、どの段階で再生が止まっているのかを明らかにするという、研究の進め方を学んでいた。モデル両生類やバイオリソースについての講演から、科学研究は研究者個人の発想だけで成り立つのではなく、実験に用いる生物を安定して繁殖させ、研究機関へ供給する施設や人々によって支えられていることを読み取った学生もいた。
その一方で、学生たちは、研究成果を無条件に称賛していたわけではない。イモリのレンズを繰り返し除去しても再生するという実験について、驚異的な再生能力に驚きながらも、「何度も取り除かれるのは少し可哀そうだ」と感じ、科学の発展と動物への負担の関係を考えた学生がいた。マウスへの実験操作について、その後の生活に支障がないのかと疑問を持った学生もいた。
希少なサンショウウオを扱った高校生の研究に対して、飼育中に死亡した個体がいたことを問題とし、野外の生息環境を事前に十分調べていたのかと問い直した学生もいた。オオサンショウウオの解剖実習については、外来種との交雑問題やアニマルウェルフェア、解剖への参加を希望者に限ったことなどに注目した学生がいた。高校生と研究者の発表を同じ場で見ることによって、科学がもたらす可能性だけでなく、生命を研究対象とする際の責任についても考えていたのである。
さらに、学生たちは、高校生の研究を支える学校外の関係にも目を向けていた。高校の担当教員が、研究に必要なすべての知識や技術を持っているとは限らない。新しく担当になった教員や、自分の専門とは異なる研究を指導する教員もいる。そのとき、協力できる他校や大学、研究機関が存在することは、生徒にとってだけでなく、指導する教師にとっても心強いのではないかと、ある学生は書いていた。
この指摘は、教師が一人ですべてを教え、すべての研究を指導しなければならないという考え方とは異なる。教師の役割は、自分が答えを持っている範囲だけに生徒の問いを限定することではない。生徒の問いを受け止め、自分だけでは支えられないときには、必要な人や研究機関へつなぐことである。高校生両生類サミットは、そのようなつながりを実際につくる場でもあった。
ここで学んでいたのは、高校生だけではない。高校生の研究する姿を見た大学生が、自分の高校時代や現在の学びを振り返り、将来どのような教師になりたいのかを考えていた。研究者の講演を通して科学の可能性を知り、同時に生命を扱う研究の責任を考えていた。そして、学校の中だけでは実現できない研究を、他校、大学、研究機関との関係によって支える意味に気づいていた。
ある学生は、将来教員になり、このような研究の現場に立ち会うことを考えると、「少しわくわくした」と書いていた。高校生の発表は、大学生が一方的に評価する対象ではなかった。高校生が問いを持ち、研究し、他者に伝える姿が、未来の教師に、自分がどのような教育をつくりたいのかを問いかけていたのである。
高校生両生類サミットは、南九州大学時代だけの実践では終わらなかった。山脇有尾類研究所の開設後も継続し、二〇二六年には第七回を迎える。開催を担う組織や参加する学校が変わっても、高校生の研究発表と研究者の講演を同じ場に置き、所属や年齢を越えて問いを交わすという構造は引き継がれている。
この継続の中で、サミットが単なる研究発表会ではなかったことが明確になった。高校生が研究者や他校の生徒から学ぶだけではない。大学生が高校生から学び、教師が生徒の問いから学び、研究者もまた、高校生の観察や発想から新しい視点を受け取る。教える者と教えられる者の立場は固定されていない。問いを持つ者がその問いを差し出し、そこに集まった人々がそれぞれの経験と知識を持ち寄る。その関係の中で、研究と教育がともに進んでいくのである。
13 発表と教師の役割
発表を教育の中心に置くとき、教師の役割も変化する。課題研究では、生徒が自分の問いを持ち、自分の言葉で研究を語ることが大切である。そのために教師が担うのは、生徒の代わりに発表を完成させることではなく、生徒が自分の問いを深め、研究の過程を引き受け、他者に届く言葉へ組み直していくために伴走することである。
このとき大切になるのは、「自由」を生徒に渡すことの意味である。高校生は、専門的な知識も、先行研究を読む経験も、実験方法を組み立てる経験も、最初から十分に持っているわけではない。だから、生徒に「自由にテーマを考えなさい」と言うだけでは、主体性は育たない。生徒は、何を考えればよいのか分からないまま、面白いテーマを出さなければならないという重圧を抱えることになる。自由は、手がかりのない場所に生徒を立たせることによって生まれるものではない。生徒が自分の問いを見つけられるように、教師が知の手がかりを示し、方法を渡し、研究として確かめられる形へ一緒に整えていく中で、初めて働き始める。
教師の役割は、答えを与えることよりも、問いを返すことにある。生徒が「次にどうすればよいですか」と尋ねたとき、すぐに実験条件を指示すれば、生徒は教師の考えた研究を実行する作業者になってしまう。そこで教師は、「今の結果から何が分かったのか」「何がまだ分からないのか」「次に確かめたいことは何か」と問い返す。生徒が自分の現在地を整理し、自分の言葉で次の一歩を選び取れるように支える。指示によって動かすのではなく、問い返しによって思考を動かすのである。
研究テーマの設定でも、教師はゼロから生徒に考えさせるのではなく、問いの芽が生まれる場をつくる必要がある。「この現象は不思議ではないか」「ここはまだ十分に調べられていない」「この結果は、先輩の研究と少し違っている」といった教師自身の知的な驚きや面白がり方を、生徒の前に置く。そこから、生徒が自分で引き受けられる問いを探していく。問いは、生徒の内側だけから突然生まれるものではない。対象との出会い、先行研究との出会い、教師や先輩との対話の中で、少しずつ形を取っていく。
実験や観察に入ると、教師は仮説の正しさを先回りして判定するのではなく、その仮説を確かめるための方法が成り立っているかを一緒に検討する。高校生の仮説は、専門家から見れば未熟に見えることがある。結果が予想できる場合もある。それでも、安全で実行可能であり、生命倫理上の問題がなければ、生徒自身が考えた仮説を実験によって確かめる経験には大きな意味がある。自分の予想が実験によって裏切られる経験は、研究の面白さに触れる機会になる。教師は、「その条件で比べられるのか」「対照実験はあるのか」「変えている条件は一つに絞られているのか」「そのデータで第三者を納得させられるのか」と問い、検証の論理を支える。
生徒の研究には、小さな成功と妥当な失敗を経験できる設計も必要である。最初から大きすぎるテーマに向かわせるのではなく、まず一週間で試せる予備実験を組む。測定できる数値に落とし込む。少数の個体で条件を確認する。小さな結果が出れば、生徒は次の実験へ進む力を得る。思ったようなデータが出なかった場合にも、それは研究が止まったことを意味しない。「この条件ではうまくいかないことが分かった」「予想と違う結果が出た」「ここに別の要因があるかもしれない」と捉え直すことで、失敗は次の問いへ変わる。教師が一緒に驚き、「なぜだろう」と考える姿勢を見せることが、生徒の研究を支える。
一方で、生徒主体の研究であっても、教師が責任を持って引き受けなければならない領域がある。薬品、器具、野外調査、飼育動物を扱うときの安全管理。動物実験、個人情報、著作権、引用、研究倫理に関わる指導。必要な文献や先行研究へたどり着くための支援。大学や研究機関、専門家との接続。これらは、生徒の自由な研究を支えるために、教師が責任を持って整える条件である。安全、倫理、方法、資料、専門家との関係が支えられているとき、生徒は安心して自分の問いを追究することができる。
このように考えると、科学研究の指導は、私にとって究極のアクティブ・ラーニングであった。アクティブ・ラーニングは、教員が一方的に知識を伝える授業とは異なり、学ぶ者が能動的に参加し、問題を見つけ、他者と関わりながら学びを深めていく教育である。科学研究では、生徒は与えられた答えを覚えるのではなく、自分の問いを立て、観察し、実験し、失敗し、記録し、発表し、問い返される。その過程で、認知的な力だけでなく、倫理的な判断、社会的な応答、他者と協働する力も求められる。教師もまた、あらかじめ用意した答えを教えるのではなく、生徒の気づきに驚き、予想外の結果に一緒に立ち止まり、次の問いを考える。そこでは、教師と生徒の関係は、一方向の指導ではなく、研究対象を前にしてともに考える双方向の関係になる。
発表前の指導では、この教師の役割がいっそう明確になる。生徒は、ポスターを作り、発表要旨を書き、図表を選び、発表原稿を整え、質問への答えを準備する。その過程で、研究の論理の弱さや、結果と考察のずれが見えてくる。教師は、生徒の言葉を奪って発表を整えるのではなく、生徒が何を言おうとしているのかを聞き取り、その言葉が他者に届く形になるように問い返す。「この表現でよいのか」「この結果からそこまで言えるのか」「この図は何を示しているのか」「質問されたとき、どのデータを根拠に答えるのか」。こうしたやり取りの中で、生徒は自分の研究をもう一度見直していく。
教師が手を入れすぎれば、発表は生徒の言葉ではなくなる。教師が関わらなければ、生徒の問いは他者に届く形になりにくい。大切なのは、その中間にある伴走の距離である。生徒の言葉を保ちながら、論理の飛躍を一緒に確認する。生徒の表現を尊重しながら、聞き手に伝わる順序を考える。最後の言葉は生徒自身に選ばせる。発表指導とは、発表の形を整える技術であると同時に、生徒が自分の問いを引き受ける主体へ育っていく過程を支える教育である。
この伴走は、個人研究かグループ研究かという形式だけでは決まらない。個人の強い関心から始まる研究もあれば、仲間との議論や役割分担の中で深まる研究もある。大切なのは、その形式ではなく、生徒が自分たちの問いにどのように向き合い、教師がその過程にどのような責任を持って関わるかである。主担当となる教師が生徒の研究を見守り、必要に応じて他の教員や専門家につなぐ。複数の教員が関わる場合にも、生徒が誰に相談すればよいのかが分かり、指導の方向が共有されていることが必要である。生徒に主体性を求めるなら、教師の側にも、伴走する責任と覚悟が求められる。
この意味で、発表指導における自由は、放任とは異なる。自由とは、何も与えられない場所で、自分一人の力だけで考えることではない。また、教師の考えた道筋を、生徒がそのまま実行することでもない。生徒が、自分が何に動かされ、何を根拠に判断し、どのように行為するのかを、自分のものとして引き受けていくことに自由の核心がある。スピノザが自由を、原因を理解しながら能動的に生きることとして捉えたように、フランクルは、状況からの問いに応答する責任の中に人間の自由を見た。アーレントは、人が他者の前に現れ、言葉と行為によって世界に関わるところに自由を見た。発表とは、生徒が自分の問いを他者の前に差し出し、質問や批判を受け止めながら、自分の研究を自分の言葉で引き受けていく場である。教師の伴走は、その自由を可能にする条件を整える営みなのである。
発表の場で、生徒が自分の研究を自分の言葉で語るとき、その生徒は、自らの学びを引き受けている。そこに至るまでには、テーマ設定、予備実験、失敗の捉え直し、データの整理、倫理と安全の確認、発表要旨やポスターの修正、質問への準備がある。教師は、その一つ一つの場面で、生徒の問いが途切れないように支える。発表と教師の役割は、切り離せない。発表は、生徒の主体性を見せる場であると同時に、教師がどのように生徒の探究に伴走してきたかが表れる場でもある。
14 発表は関係を生成する
ここまで見てきた実践を通して明らかになったのは、発表が研究成果を他者へ伝える場であると同時に、新しい関係を生み出す場であるということである。生徒は、自分の問いをポスターやスライドにまとめ、聞き手の前で語る。その場で質問を受け、助言を受け、別の見方を示される。すると、生徒の中にあった問いは、自分だけのものとして閉じているのではなく、他者と共有され、問い返され、次の研究へ向かうものへ変わっていく。
英語ディベートでは、生徒は生命科学に関わる社会的・倫理的な問題について、自分の立場を根拠とともに示し、相手の意見を聞き、反論や質問に応答した。ブックレポートや暗唱コンテストでは、自分の考えを声に出し、聞き手の反応を受け止める経験を重ねた。課題研究の発表では、観察や実験で得た結果を、他者が理解できる順序に組み直し、質問に答える中で、自分の研究の弱さや次に確かめるべき問題に気づいていった。発表は、考えを外へ出すことで、生徒自身が自分の問いを見直す機会になっていた。
全国大会、JSEC、日本学生科学賞、学会発表では、生徒の研究は学校の外へ開かれた。審査員、研究者、他校の生徒から質問を受けることで、自分たちの研究がどこまで届いているのか、どの部分をさらに深める必要があるのかを知ることができた。そこで得られる評価は、順位や受賞として表れるだけではない。自分たちの問いが、学校の外の世界でも受け止められ、問い返される経験として、生徒の研究を次へ進める力になった。
「集まれ!理系女子・女子生徒による科学研究発表交流会」では、発表はさらに別の関係を生み出した。女子生徒が、自分の研究を自分の言葉で語り、同じように研究に取り組む他校の女子生徒と出会い、女性研究者から助言を受ける。そこでは、順位や優劣を越えて、互いの問いを聞き合う関係が生まれていた。自分だけが悩んでいるのではない。他校にも、同じように実験や観察に苦労しながら問いを持ち続けている生徒がいる。そのことを知るだけで、生徒は研究を続ける力を得ることができた。
高校生両生類サミットでは、発表は専門的な研究対象を共有する関係をつくった。イモリ、サンショウウオ、カエルを対象に研究する高校生が、地域を越えて集まり、飼育条件、産卵時期、幼生の成長、野外調査、保全の課題について具体的に語り合った。ある学校で得られた経験が、別の学校の研究に新しい視点を与える。ある地域での観察が、他地域の生徒に次の調査の手がかりを与える。発表は、情報の交換であると同時に、経験の交換となり、そこから次の連絡、次の助言、次の共同研究へつながる関係が生まれていった。
発表する者と聞く者との間には、発表の瞬間に関係が生まれる。聞き手は、ただ受け取る存在にとどまらない。質問する。助言する。別の解釈を示す。発表者は、その反応を受けて、自分の研究をもう一度見直す。問いは、一人の内面だけで成熟するものではなく、他者に向けて語られ、受け止められ、問い返されることによって深まっていく。発表は、そのための具体的な場である。
この意味で、発表は教育の周辺に置かれる付属的な活動ではなく、生徒の学びを他者へ開く中心的な経験である。生徒は、発表を通して、自分の問いを自分だけのものとして抱えるのではなく、他者と共有し、批判や助言を受けながら育てていくことを学ぶ。そこに、学びの公共性が生まれる。学びは、個人の内側で完結するものではなく、他者に向けて語られ、応答を受け、次の問いへ進むことで、共同の営みになっていく。
科学研究の指導は、この点で、究極のアクティブ・ラーニングであり、双方向型教育であった。生徒は、自分の問いを立て、観察し、実験し、記録し、考察し、発表する。教師は、その問いに伴走し、問い返し、必要な知の手がかりを渡し、安全と倫理を支え、外部の専門家や発表の場へつなぐ。さらに、先輩は後輩に研究に向かう姿勢を示し、他校の生徒は別の地域や別の方法から刺激を与え、研究者は専門的な視点から助言する。そこでは、教える者と学ぶ者が一方向に固定されるのではなく、同じ研究対象を前にして、互いに考え、問い返し、学び直す関係が生まれている。
発表は、その双方向の学びを可視化する場である。発表によって、生徒の問いは教師、仲間、先輩、後輩、他校の生徒、研究者へと開かれる。質問や助言によって研究は変わり、聞き手の反応によって生徒は自分の研究を新しい角度から見るようになる。発表は、生徒が能動的に活動していることを示すだけではない。教師自身もまた、生徒の問いによって動かされ、予想外の結果に驚き、研究の過程に参加し、学び直していく。その意味で、発表を伴う科学研究の指導は、生徒と教師がともに変わっていく教育であった。
発表は、生徒の問いを関係の中に置く。教師、先輩、後輩、同じ学校の仲間、他校の生徒、大学や研究機関の研究者、地域の人々が、その問いに関わるようになる。問いが関係の中に置かれると、生徒は自分の研究を一人で抱え込むのではなく、他者とともに深めていくことができる。発表は、問いを次の研究へ動かし、個人の経験を学校の記憶へ変え、さらに学校を越えた研究のネットワークへ広げていく。発表が関係を生成するというのは、そのような意味である。
15 有尾類研究所への接続
有尾類研究所という思想は、発表によって問いが関係の中に置かれるという構造の上に成立している。生徒が研究し、発表し、他者から質問や助言を受ける。その過程で、生徒の問いは深まり、次の観察や実験へつながっていく。発表会は、研究の終点ではなく、研究を継続させるための節目となる。生徒は、発表を通して、自分の問いが他者に届き、他者の応答によって変化し、さらに深まっていくことを経験する。
この構造は、清心女子での課題研究、SSH生徒研究発表会、日本学生科学賞、JSEC、学会発表、「集まれ!理系女子」、高校生両生類サミットへと広がってきた。発表することで、生徒は学校の外にいる研究者、他校の生徒、卒業生、地域の人々と出会った。質問を受け、助言を受け、別の学校の研究を知り、自分たちの研究を新しい視点から見直した。その積み重ねの中で、研究は一人の生徒、一つの学校、一回の発表会に閉じるものではなく、関係の中で継続される営みへと変わっていった。
有尾類研究所がオープンラボであるということは、実験室や飼育室を外部に開くという意味にとどまらない。問いを外部に開くということである。学校の中に生まれた問いを、大学、研究者、他校の生徒、卒業生、地域、学会、発表会へと開いていく。アカハライモリ、シリケンイモリ、イベリアトゲイモリ、オオイタサンショウウオ、オオサンショウウオといった研究対象をめぐって、生徒の観察や実験が専門的な研究者の助言と結びつき、他校の研究と響き合い、次の研究へ進んでいく。そこでは、問いが人から人へ、学校から学校へ、地域から地域へ移動しながら、形を変え、深まっていく。
その中心に発表がある。発表は、研究成果を外に示す場であると同時に、問いを関係の中に送り出す場である。生徒が発表する。聞き手が質問する。研究者が助言する。他校の生徒が自分の研究と重ねて考える。教師が次の実験の可能性を考える。先輩の発表を見た後輩が、自分も研究してみたいと思う。発表を通して、研究は個人の経験から、学校の記憶へ、さらに学校を越えた研究のネットワークへ広がっていく。
この意味で、有尾類研究所は、科学研究のための場所であると同時に、関係を生成する教育の装置である。飼育室があり、実験器具があり、記録があり、倫理審査があり、外部研究者との連携がある。その一つ一つは、単独で存在しているのではなく、生徒の問いを支えるために結びついている。生徒が観察し、記録し、実験し、考察し、発表する。教師は問い返し、方法を支え、安全と倫理を守り、必要な専門家へつなぐ。研究者は助言し、他校の生徒は別の事例を示し、卒業生は後輩に研究に向かう姿勢を伝える。その関係全体が、有尾類研究所を形づくっている。
科学研究の指導は、この意味で、究極のアクティブ・ラーニングであり、双方向型教育である。生徒は、与えられた知識を覚えるだけではなく、自分の問いを立て、観察し、実験し、失敗し、記録し、発表し、問い返される。教師もまた、あらかじめ用意した答えを教えるだけではなく、生徒の気づきに驚き、予想外の結果に立ち止まり、研究対象を前にしてともに考える。発表は、その双方向の学びがもっともよく現れる場である。発表によって、生徒の問いは他者に開かれ、教師自身もまた、生徒の問いによって学び直していく。
発表し、他者と出会い、問いを深めていく。この一連の営みの中で、生徒は自らの学びを自らのものとして引き受ける。自分は何を見たのか。何を不思議だと思ったのか。どのような方法で確かめたのか。結果からどこまで言えるのか。どこに限界があり、次に何を調べたいのか。発表の場でそれを語るとき、生徒は、自分の研究を自分の言葉で引き受けている。
そのとき、生徒は自由に近づいていく。ここでいう自由は、好き勝手に語ることではない。教師に決められた答えをなぞることでもない。自分が何に心を動かされ、何を根拠に考え、どのように行為するのかを理解しながら、自分の問いを他者に向けて開いていくことである。発表は、その自由を経験する場である。質問や批判を受け止め、助言を受け、もう一度自分の研究を見直す。その過程で、生徒は、自分の問いを一人で抱え込むのではなく、他者との関係の中で深めていく力を獲得する。
有尾類研究所という思想が目指しているのは、このような自由を支える教育である。観察から問いが生まれ、問いが研究になり、研究が発表され、発表が関係を生み、その関係が次の研究を支える。生徒、教師、研究者、他校、地域、卒業生が、それぞれの立場から問いに関わる。そこに、学校が研究の拠点となる意味がある。有尾類研究所は、問いを孤立させず、発表を通して関係の中に置き、生徒が自らの学びを引き受けていくための場なのである。














