Facebookで情報発信を続けていると、反応の傾向がはっきりと見えてきます。
ペットや食事、イベントといった話題には多くの「いいね」が集まる一方で、自分の意見を交えた投稿になると、読まれる数は一気に減ります。YouTubeで自分の好きな音楽を紹介しても、反応はほとんどありません。
学校教育が将来の社会を形作る上で極めて重要であるにもかかわらず、教育改革について解説した記事を書いても、ほとんど反応が得られない。この状況を残念に思います。
一方で、大学入試の世界では、確実に変化が起きています。近年、「知識量」そのものよりも、「思考力」や「判断力」を問う問題が増えています。その背景には、文部科学省が進めてきたSSH事業の成果があります。
SSHを通して、「学習によって育成された能力を統合し、課題の発見・解決に取り組む力」、すなわち課題研究の有効性が検証されたことを踏まえ、2022年度施行の新学習指導要領は改訂されました。
しかしながら、現在の教育現場を見渡すと、その理念が十分に実現されているとは言い難い状況があります。思考力を培う探究活動としての科学研究を、学校現場で日常的に推進することは、依然として容易ではありません。
現在、教育界で大きな課題となっているのは、「生徒の研究を指導できる教員をどのように育成するか」という点です。
そこで本稿では、原因について、制度や理念の問題に焦点を当てるのではなく、教員側の意識に目を向け、その構造を分析する。
①「仕事が増える」ことへの恐怖
最も多く見られるタイプである。
【思考の内側】
✖ 課題研究=自分の業務負担の増加
✖ 事故やトラブルが起きた場合=自分の責任
✖ 新しい取り組み=理解・指導できないことによる評価低下のリスク
このタイプの教員は、科学研究そのものを否定しているわけではない。問題は、「研究に自分が巻き込まれること」を避けたいという点にある。つまり、判断の基準が「生徒の学び」ではなく、自分の生活防衛に置かれている。
【特徴】
「忙しい」「前例がない」「現実的ではない」といった、具体性に欠ける安全論・管理論を持ち出す傾向がある。
②「専門外への不安」が批判にすり替わる型
繁殖や発生、生理に関わる研究テーマを提示した際、排卵誘発や性ホルモンといった専門用語に過剰に反応するケースである。
【思考の内側】
✖ 専門的知識が十分でない
✖ 理解できないかもしれないという不安
✖ 不安の正体が分からないまま、「危険」「倫理的に問題がある」という評価に変換される
これは、無知が倫理を装う典型例である。
【特徴】
「生徒にそこまでさせる必要があるのか」という形で、研究テーマそのもの、さらには探究活動自体を否定する。
③「研究=エリートのもの」という無意識の階層意識
【思考の内側】
✖ 本格的な研究は大学や研究所の仕事
✖ 高校生は受験勉強に専念すればよい
✖ 失敗すれば学校として恥をかく
このタイプは、「高校生にそこまでやらせなくてもよい」という言葉で、生徒の可能性の芽を摘んでしまう。
【特徴】
生徒の成長を本気で信じていない。同時に、指導者としての自己効力感が低い場合が多い。
④「責任を取りたくない」という管理回避
すべての型に共通する、最も本質的な問題である。
【思考の内側】
✖ 事故が起きたら誰が責任を取るのか
✖ 保護者に説明できるのか
✖ 管理職や教育委員会から指摘されないか
【特徴】
「やらないことが最も安全」という判断に行き着く。これは教育的判断ではなく、官僚的思考である。教育を「現状維持の業務」と捉え、科学研究を「トラブルの種」と見なしている。
⑤ 高い専門性をもつ教員への攻撃
【思考の内側】
✖ 嫉妬や劣等感により、相対的に自分の評価が下がる不安
✖ 高い専門性をもつ教員の存在が、自分の指導を難しくする
✖ 生徒と専門知識をもとに伴走する指導への違和感
【特徴】
判断の中心が常に自分の利害にある。
自分にとって都合が悪いため、研究そのものを否定する方向に傾く。
これらの意識に共通しているのは、「生徒がどこまで成長できるか」ではなく、「自分がどれだけリスクを負わずに済むか」を基準にしている点である。科学研究の実践が進まない最大の要因は、制度やカリキュラム以前に、教員自身の内面にある恐れと回避行動にある。














