この連載は、清心中学校清心女子高等学校 紀要 No.15 p29-33に掲載している教科では数学担当の橋岡源九郎「生命科学コースのホームルーム担任から始まった学び」を整理して紹介したものです。原文のダウンロードできます。
イモリとサンショウウオが教えた責任と観察力
生命科学コースの1年生にとって、SSHの最初の授業は教室の中ではありませんでした。生物教室の水槽の前でした。そこにいたのは、イモリとサンショウウオ。のちに課題研究の対象となる大切な生き物たちです。
入学して間もない4月、授業が始まるのと同時に、生徒たちの日課が始まりました。「朝の水替え」と「放課後の餌やり」です。清掃や委員会活動に加え、命を預かる仕事が加わるのです。水槽の水を替え、餌を与え、個体の様子を確認する。休日も例外ではありません。寮生が当番を担い、通学生が平日を支える。難しいときには担任である私も加わりました。
最初のころ、生徒たちはイモリに触れることをためらっていました。水槽の中で静かに動くその姿は、教科書の写真とは違います。ぬめり、動き、命の気配。恐る恐る網を入れ、水を替える手つきはぎこちないものでした。
しかし半年が過ぎるころには、その様子は一変しました。手際よく水を抜き、適切な量の餌を与え、異変の有無を確認する。最初は「作業」だったものが、いつの間にか「観察」へと変わっていました。
この変化を生んだのは、成功体験だけではありません。むしろ、失敗でした。水替えを怠った日。餌の量を安易に判断した日。数日後に個体の様子がおかしくなり、死んでしまうこともありました。命は、妥協を許しません。「このくらいで大丈夫だろう」という感覚が、取り返しのつかない結果につながる。その現実を、彼女たちは目の当たりにしました。
教育の現場で、これほど重い学びはそう多くありません。叱責よりも、成績よりも、強く心に刻まれる体験です。
それ以降、生徒たちの目は変わりました。泳ぎ方がいつもと違う個体に気づく。皮膚の色味の変化を察知する。餌の食べ残しの量から体調を推測する。様子のおかしい個体は別水槽に移し、経過を観察する。誰に言われるでもなく、自然にそのような行動が生まれていきました。
観察とは、注意深く「見る」ことではありません。変化に気づき、その意味を考え、次の行動を選択することです。イモリとサンショウウオは、その訓練の最初の教師でした。
印象的だったのは、私自身が生徒から教わる場面が増えたことです。「先生、この個体は昨日から動きが違います」「この雄は求愛行動の兆しがあります」。担任として支える立場でありながら、専門的な視点では生徒のほうが鋭いことも多くありました。そこには上下関係ではなく、共に学ぶ関係がありました。
命に触れる体験は、人を慎重にします。そして同時に、自信を育てます。自分たちの世話で状態が安定し、元気に動く姿を見るとき、生徒の表情には誇りが浮かびます。「自分たちが守っている」という実感です。
この経験は、後の課題研究の土台になりました。研究とは、仮説を立て、検証し、結果を解釈する営みです。しかしその前提には、対象への敬意があります。対象を単なるデータの源ではなく、生きた存在として向き合う姿勢。それを育てたのが、この日々の世話でした。
生命科学コースのSSHは、華やかな実験や発表から始まったのではありません。毎日の水替えと餌やりという、地道で繰り返しの作業から始まりました。しかしその中にこそ、科学教育の根がありました。
科学は、特別な装置や難解な理論から始まるのではありません。変化に気づき、問いを抱き、責任を持って関わることから始まります。イモリとサンショウウオは、その原点を生徒たちに教えてくれました。
担任として見守りながら、私はひとつ確信しました。SSHの価値は成果発表の数や受賞歴だけでは測れないということです。水槽の前で黙々と作業する時間の中に、生徒の内面の変化がある。命を預かる緊張感の中で、科学的思考の芽が育つ。
【追加の説明】
有尾類研究所が現在も大切にしている「飼育から始まる科学」は、この経験から確信した教育哲学です。次回は、その芽がどのように広がっていったのかを振り返ります。大学との連携プログラム――福山大学での実験実習、蒜山での環境学習。校外で「本物」に触れたとき、生徒たちはどのように変わったのか。体験が視野を広げる瞬間を描いていきます。















