この連載は、清心中学校清心女子高等学校 紀要 No.15 p29-33に掲載している教科では数学担当の橋岡源九郎「生命科学コースのホームルーム担任から始まった学び」を整理して紹介したものです。原文のダウンロードできます。
担任としてSSHを歩いて見えたもの
生命科学コース1期生と4期生を、それぞれ3年間担任として送り出しました。6年間という時間は、決して短くありません。その歩みを振り返ると、SSHとは何だったのかという問いに、ようやく自分なりの言葉が与えられるようになりました。
1期生のとき、私は「新コース」と「SSH」という二つの未知の波の中にいました。先が見えない。前例もない。毎日が手探りでした。生徒の不安と向き合いながら、私自身も不安を抱えていました。正直に言えば、「成功させなければならない」という重圧もありました。
しかし今思えば、あの混沌こそが、最も豊かな時間だったのかもしれません。
正解が分からないからこそ、生徒と対話し、共に考え、共に迷うことができた。制度の枠組みよりも、「今この瞬間の教室」を大切にするしかなかった。その積み重ねが、生命科学コースの文化を形づくっていきました。
4期生を担任したとき、私は3年間の流れを見通せる立場にいました。どの時期に負荷がかかるのか、どの場面で支えが必要か。経験は確かに力になります。要所で声をかけ、メリハリのある学校生活を設計できた手応えもありました。
しかし同時に、気づいたことがあります。
SSHの本質は「見通し」ではなく、「体験」にあるということです。
イモリやサンショウウオの世話に始まり、大学での実習、蒜山での宿泊研修、課題研究の葛藤、外部発表の緊張、「生命」の授業での対話。どの場面も、生徒にとっては一度きりの体験でした。その連なりが、彼女たちの根を太くしていったのです。
私は多くの生徒の変化を見てきました。入学当初は自信なさげだった生徒が、自分の研究を堂々と語るようになる姿。失敗に落ち込んでいた生徒が、次の仮説を前向きに考えるようになる姿。後輩を導く中で、自分の言葉を持ち始める姿。
それらは劇的な変化ではありません。けれども確実な変容でした。
SSHはしばしば成果や受賞歴で評価されます。それも大切な側面です。しかし担任として日々教室に立っていた私にとって、最も大きな成果は、生徒の内面に生まれた「静かな強さ」でした。
少々の困難では折れない姿勢。未知の課題に向き合う勇気。仲間と協働する柔軟さ。そして、自分の生き方を考え続ける姿勢。
それらは、数値には表れにくいものです。しかし、確かにそこにありました。
私自身もまた、SSHによって育てられました。発表会に帯同し、他校の先生方や大学の先生方と出会い、教育観を揺さぶられました。数学教育の教材開発においても、多くの示唆を受けました。もし生命科学コースの担任をしていなければ、井の中の蛙で終わっていたかもしれません。
SSHは、生徒だけでなく、教員も変える仕組みでした。
生命科学コースでの実践は、その後の中学生への課題研究、学校全体の探究文化の形成へと広がっていきました。一つのクラスから始まった試みが、次第に学校の風土を変えていったのです。
では、担任として歩いたSSHの6年間を一言で表すなら、何でしょうか。それは、「本物に触れ続ける時間」だったと思います。
本物の命、本物の研究、本物の自然、本物の問い。そして、本物の自分。教室という限られた空間の中で、生徒たちは確かに世界とつながっていました。SSHはその回路を開く装置だったのかもしれません。
制度はやがて更新され、担当者も変わります。しかし、教室で積み重ねられた体験は消えません。生命科学コースの教室に流れていた空気、挑戦することを当然とする文化は、次の世代へと受け継がれていきます。担任として歩んだSSHは、私に一つの確信を残しました。
教育とは、完成された答えを渡すことではない。問いを持ち続ける姿勢を、共に育てることなのだと。生命科学コースの歩みは、ひとつの学校の実践にすぎません。しかしその中で育まれた精神は、これからも形を変えながら広がっていくはずです。
未知に向き合う勇気を持つ生徒がいる限り、SSHの歩みは続いていきます。
【追加の説明】
清心女子高等学校において展開してきたSSH教育プログラムを、より科学研究に特化して支援する仕組みとして構想したのが、2024年度SSH指定を受けた山脇学園高等学校の事業計画に掲げられた「校内に博士が指導する研究所を立ち上げる」という構想です。この計画に基づき、『山脇有尾類研究所』が誕生しました。
現在は、学校の枠を越えて他校とも連携する研究拠点として、教育ネットワークのハブとなることを目指し、「ハブ型オープンラボ教育プログラム」として展開しています。
しかし、その原点は変わりません。命に触れ、問いを抱き、仮説を立て、対話を重ねること。それこそが、私たちの探究です。















