池田晶子の『14歳からの哲学・考えるための教科書』の古本を入手した。
1960年生まれ、私より4年年下。2007年に腎臓癌で亡くなられている。今回読んだ本は、中学生・高校生向けに書かれた本で、2002年に発行されている。彼女の代表作である。闘病生活の中で書かれた可能性がある。
この本で強調されているのは、「悩む」のではなく、「考えろ」というメッセージである。
「悩む」とは、感情に絡め取られている状態、出口がない堂々巡り、思考停止に近い状態であり、「考える」とは、感情から距離を置く知的営み、答えや理解に向かう行為、理性の働きである。
池田が強調しているのは、①「悩む」は感情の渦のなかで停滞すること、②「考える」は感情を一歩外から眺めることで初めて可能になること、人は「悩む」のではなく「考える」ことで初めて自由に生きられる、ということである。
以下の文章で始まる。
君はいま中学生だ。
どうだろう、生きているということは
素晴らしいと思っているだろうか。
それとも、つまらないと
思っているだろうか。
あるいは、どちらなんだか
よくかわからない、なんとなく
これからどうなるのかなと思っている。
この本は、学校の勉強に追われる一方で、「生きるとは?」「死ぬとは?」「自由とは?」といった根源的な問いに自然と出会いはじめる年代向けに哲学の入門書として書かれてはいるが、同時に 日常の煩雑さの中で「生き方についての根源的な問い」を忘れかけ、再度、哲学的に考えたいと思った大人にもヒントをくれる本にもなっていると思う。
全然わからなくなりましたって言うなら、
君、大成功だよ。
わからなくなったからこそ、これから考えられるんだ。
悩まないで、考えてゆけるんだ、
多くはそんなところだろうか。
頭でわかるだけの知識、
借りものの知識なんかに、
どうして一人の人間の人生を
変えてしまうだけの力があるだろう。
なぜなら、「考える」とは
まさにその自分の人生、その謎を
考えることに他ならないからだ。
考えるということは、
答えを求めるということじゃないんだ。
考えるということは、
答えがないことを知って、
人が問そのものと化す
ということなんだ。
どうしてそうなると君は思う。
謎が存在するから、
人は考える、考え続けることに
なるんだ。
哲学史(ソクラテスやカントなど)を紹介するのではなく、「問い」をもつことに重点をおき、「自分で考え続けること」そのものを哲学と捉えることの大切さを主張している。
真理は、君がそれについ考えている
謎として真理は、
いいかい、他でもない、君自身なんだ。
君が、真理なんだ。
はっきりと思い出すために、しっかりと感じ、
そして、考えるんだ。
これは、池田は、考え続けることで、誰しもが自分の中に眠っている真理を思いだして欲しいとメッセージを送っている。