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中谷財団 科学教育振興助成は、小・中・高等学校等を対象に、児童・生徒の科学に対する興味・関心を高め、論理的思考力・創造性を育む教育活動を支援する助成制度です。
助成は「個別校助成」「複数校連携助成」「教員支援助成」など複数の領域があり、各学校の取組に対して助成金や支援が提供されます。
2025年度も全国の学校が採択され、成果発表会が2025年12月20日21日に開催されました。発表会では全国の小・中・高等学校が研究成果を発表し、外部講評・交流も行われています。
2025年度・2026年度の複数校連携助成に、研究課題「両生類を対象に研究している高校生のサポートと全国的な交流を推進する大学と連携した教育ネットワークの構築」で採択されました。

本実践は、両生類研究に取り組む全国の高校生を対象に、大学・研究機関と連携した教育支援体制を構築・運用することを目的として実施したものである。

本校では、2023・2024年度に中谷財団の助成を受け、校内に常設されたオープン・ラボを起点として、女子生徒が生命科学分野の先端研究に主体的に取り組む教育環境と研究支援ネットワークを整備してきた。2025年度は、これまでに蓄積された研究環境・指導ノウハウ・大学連携の実績を基盤として、研究分野を「両生類」に明確化し、対象を全国の高校生へと拡張する発展段階に位置づけた。

両生類は、発生・生理・行動・環境応答など多様な研究テーマを内包し、高校段階の研究対象として高い教育的価値を有する一方で、飼育管理、実験手法、研究倫理に関する専門的知見が不可欠である。そのため本実践では、大学研究者や専門家と連携し、①研究相談・技術的助言、②飼育・実験に関する安全管理と倫理教育、③研究成果の発信と相互交流、の三点を柱とする支援体制を構築した。

具体的には、両生類研究に取り組む高校生を対象に、研究計画立案段階から継続的な助言を行い、研究の妥当性や再現性、倫理的配慮について指導を行った。また、研究途中の課題や失敗も共有できる交流の場を設け、学校や地域を越えて高校生同士が相互に学び合う関係性を育成した。これにより、個々の学校では対応が難しい専門的課題に対して、ネットワークとして支援する仕組みが機能し始めている。

さらに、研究成果については、発表会や交流会を通じて外部に発信する機会を設け、生徒が自らの研究を社会に向けて説明し、評価を受ける経験を重視した。この過程を通して、生徒は「研究とは正解を示すことではなく、問いを共有し、議論を通して深めていく営みである」ことを実感的に理解している。

本実践の特徴は、単なる研究発表支援にとどまらず、研究過程そのものを支える教育ネットワークを構築した点にある。校内オープン・ラボで培われた研究文化を外部へと開き、大学・高校・生徒を結ぶハブとして機能させることで、両生類研究に取り組む高校生が孤立せず、継続的に研究を深化させられる環境を実装した。

以上の取組により、本実践は、両生類研究を軸とした分野特化型の高大連携教育モデルとして、全国的な展開可能性を有する科学教育の新たな枠組みを提示するものである。

  • 投稿者 akiyama : 14:37
2023年度・2024年度の中谷財団「科学教育振興助成)」の取り組み
山脇有尾類研究所は2023年9月に開所しましたが、研究所の運営に、2023年度から継続して教育研究助成を公益財団法人中谷財団から研究助成を受けています。 2023年・2024年は、研究題目は「オープン・ラボを起点とした女子生徒の生命科学分野の先端研究を支援する教育ネットワークの構築」で、教育プログラムを企画・運営してきました。 2023年度・2024年度の2年間の取り組みの独自性及び新規性を整理…続きを見る
HP「ぼうぼうどりの生物教室」からの学校教育への提言
「ぼうぼうどりの生物教室」は、学校における生物教育・科学教育が、本来もつはずの〈探究する力〉〈生命に向き合う感性〉〈学びを社会とつなぐ力〉を、現場から回復・再構築することを目指した実践記録の場である。 そこでは、授業や部活動、SSHにおける科学研究指導が、単なる成果主義やイベント的発表に終わるのではなく、試行錯誤を含めた「教育実践の記録」として蓄積・共有されることが重視されている。教育は個人の経…続きを見る
山脇有尾類研究所内での研究成果の発表会
4月に入学した中学校1年生および高校1年生が、毎日のように有尾研に通い、飼育や観察に取り組んできました。そうした活動の中で、徐々に研究の方向性が見えてきたことから、情報を共有する目的で発表会を計画しました。 中学校1年生は、サンショウウオの繁殖地となることも視野に入れたビオトープ造成に関わる研究を発表しました。高校1年生は、ビオトープに放流しているオオイタサンショウウオについて、飼育下における幼…続きを見る

おわりに

2025年12月18日

おわりに
問いはこれからも続く 全9回にわたる回想録を書き終えたいま、私の中に残っているのは、達成感よりも、静かな確認のような感覚です。 ――自分は、問いから逃げずに歩いてきただろうか。 その問いに対して、「少なくとも背を向け続けてはいなかった」とは言える気がしています。 教育者として、何を残せたのか。 この問いに、明確な答えはありません。 知識や制度、肩書きは、時間とともに更新され、忘れられていきます。…続きを見る
第9回(最終回) 置かれた場所で、問い続ける
教育者として、何を残せたのか 2016年11月、私は1983年から勤務してきたカトリック系中高一貫女子校を退職した。 その翌月、長く学園を導いてこられた理事長、シスター渡辺和子が逝去された。 一つの時代が、静かに幕を閉じた。 そう感じた。 シスター渡辺の著書『置かれた場所で咲きなさい』は、多くの人に読まれた。その言葉に救われた人も少なくないだろう。だが、私はこの言葉を、単なる励ましとしてではなく…続きを見る
第8回 理系女子を育てるということ
性教育からSSHへ、一本の線でつながった実践 生命科学コースやSSHの話をすると、しばしばこう言われる。 「ずいぶん先進的な取り組みですね」 しかし、私自身の感覚では、それは「新しいことを始めた」というよりも、「ここまで来てしまった」という表現の方が近い。 性教育、エイズ学習、翻訳という授業、授業「生命」――。 振り返れば、私の実践は常に、「生徒が自分の生き方を考えるための材料をどう用意するか」…続きを見る
第7回 女子校は、なぜ必要なのか
リーダーシップが育つ場として 「今の時代に、女子校は必要なのでしょうか」 1990年代半ば以降、学校関係者の間で、何度となく耳にした問いである。少子化が進み、共学化や校名変更、コース制導入といった改革が次々に行われる中で、女子校は「時代遅れの存在」と見なされることも少なくなかった。 実際、岡山県内の私立高校24校のうち、女子校は2校のみとなった。全国的に見ても、女子校はもはや少数派である。男女共…続きを見る
第6回 「生命」という授業をつくった理由
答えを教えない授業の試み 「その授業では、何を教えるのですか」 授業「生命」を立ち上げたとき、何度もそう聞かれた。 そのたびに、私は少し言葉に詰まった。なぜなら、「これを教える」と一言で言える内容ではなかったからである。 1990年代、日本社会は大きな転換期にあった。リプロダクティブ・ヘルス/ライツが国際的に議論され、女性の生き方や人権をめぐる考え方が、ゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。…続きを見る
第5回 翻訳という授業
高校生と一緒に、性を語れる場をつくった日々 「授業」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、教室で教師が前に立ち、知識を説明する光景だろう。 しかし、私が最も強く「これは教育だった」と実感している時間の一つは、教科書も黒板も使わず、生徒と机を囲んで行った翻訳作業の中にある。 1990年代初め、私は担任していた生徒たちと一緒に、エイズに関する英語の書籍を翻訳するという取り組みを行った。大学受験を控え…続きを見る
第4回 エイズの問題が社会に突きつけたもの
正しい知識だけでは、差別はなくならない エイズという言葉が、突然、社会に重くのしかかってきた時代があった。 テレビや新聞では連日のようにエイズが取り上げられ、「正しい知識を持ちましょう」「恐れる必要はありません」という言葉が繰り返されていた。学校現場でも、エイズは「教えるべきテーマ」として扱われるようになり、性教育の中で取り上げることが半ば当然になっていった。 私自身も、エイズについて学び、生徒…続きを見る
第3回 性教育との出会いは、偶然だった
管理のための教育から、「生き方」を問う教育へ 私が性教育に本格的に関わるようになったのは、強い問題意識があったからではない。正直に言えば、それは偶然だった。 赴任して間もない頃、私は高校1年生の担任をしながら、学年の性教育担当を任されることになった。校内にはすでに性教育委員会という組織があり、役割としては、その一員になるという程度の認識だった。当時の私にとって、性教育は「特別な教育」ではなく、ど…続きを見る
第2回 学級通信「ぼうぼうどり」が教えてくれたこと
読ませるのではなく、待つという教育 学級通信を書き続けることが、こんなにも時間のかかる営みだとは、正直、思っていなかった。 第1回の通信を出してからも、教室の雰囲気が劇的に変わったわけではない。相変わらず、生徒たちは静かで、距離はあった。感想が返ってくることもほとんどなく、手応えのない日々が続いた。「本当に意味があるのだろうか」。そんな思いが頭をよぎらなかったわけではない。 それでも、私は書き続…続きを見る
第1回 教室に立つということ
若い教師だった私が、最初にぶつかった壁 教室に立つということは、思っていた以上に、孤独な仕事だった。 1983年、私はカトリック系の中高一貫女子校に赴任した。期待と緊張を胸に、教室の前に立った日のことは、今でもはっきりと覚えている。黒板、机、整然と並ぶ生徒たち。その空間は、確かに「学校」だったが、そこにいる私は、まだ教師になりきれていなかった。 若かった私は、「正しいことを教えれば伝わる」「誠実…続きを見る
はじめに
問いから始まった教室の記憶 この文章は、特別な成功談でも、教育法の解説でもありません。 30年以上、学校という場所で生徒と向き合ってきた、一人の教育者が、教室で感じ、考え、迷い続けてきた記憶の断片を綴ったものです。 私が教壇に立ち始めた1980年代、日本の学校は「正しさ」を教える場であると同時に、「問題を起こさない」ことが強く求められる場でもありました。教師は管理者であり、指導者であり、生徒を「…続きを見る
no image
山本宣治は、イモリ研究で国際的評価を得た動物学者であると同時に、受胎調節(産児制限)・家族計画の思想を日本社会に広めようとした社会的実践者です。科学と社会を結びつけ、生命科学の知見を人間の幸福に生かそうとした点で、日本近代史においてきわめて特異で重要な人物です。 ① 彼の生涯 1889年、京都府に生まれ、京都帝国大学理学部で動物学を学びました。有尾類(とくにイモリ)の生殖・発生研究で頭角を現し、大…続きを見る
フィリピン大学と高大連携で実施する地球環境を考える海外研修
山脇有尾類研究所が企画して、フィリピン大学と連携して、文科省SSH指定校の山脇学園高等学校の生徒対象で、2026年3月10日から3月16日の8日間の日程で、地球環境を考える海外研修を実施することになりました。 …続きを見る
マレーシアUTHMと高大連携で実施する地球環境を考える海外研修
山脇有尾類研究所がマレーシアのUTHMと連携協定を結んで文科省SSH指定校の山脇学園高等学校の生徒対象で、2026年8月16日から8月25日の10日間の日程で、地球環境を考える海外研修を実施することになりました。 …続きを見る
自宅池に雑草が繁茂。オオイタサンショウウオ幼生は確認。
オオイタサンショウウオの繁殖池を、自宅に隣接した畑の一角に造成したのは2004年4月9日のことである。それ以降、学校で飼育し実験材料として使った後の個体を放流するようになった。 現在では、毎年自然産卵が見られ、約50個の卵嚢を確認できるまでになっている。 しかし、2023年に私が東京に単身赴任してから3年が経ち、定期的な手入れができなくなった。そのため雑草が繁茂し、乾燥の影響が出ることを心配してい…続きを見る
オオイタサンショウウオ幼生をビオトープに放流
文部科学省のSSH事業に採択されたことを受け、校内に有尾類を対象とした生徒研究拠点として「山脇有尾類研究所」を立ち上げた。ここでは、実験室内での生殖や発生に関する実験的研究に加え、野外でサンショウウオが生息可能な環境を再現する生態学的研究もスタートした。 オオイタサンショウウオでは、卵から幼生を育てて変態・上陸段階まで到達させ、2つの実験池へ放流(11月5日に8匹、11月8日に4匹)することで、本…続きを見る
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