⑩ SSH・生命科学コース・研究指導 ―科学研究を学校の教育課程に置く
1 問いを持つ教育から、問いを検証する教育課程へ
授業「生命」は、一回九〇分、年間三〇回の講義として行っていた。生徒たちは、性、身体、家族、医療、死、差別、環境などの主題に触れ、大学の研究者、医師、獣医師、心理カウンセラー、薬剤師、博物館学芸員、環境保全に関わる職員、芸術家など、さまざまな立場の人の話を聞いた。生命を一つの教科や一つの専門の中に閉じ込めず、多様な視点から考えることで、生徒の好奇心や探究心を掘り起こす機会をつくることができたと思う。
また、授業「生命」には、講義だけでなく、実習を伴う調査活動も盛り込んでいた。野外彫刻「野外彫刻では女性の裸像が多いのか」や学校飼育動物「学校飼育動物の現状はどうなっているのか」の研究では、受講者全員が分担して実際に現地、市街地や学校を訪問し、情報を収集した。より広域な情報を集めるためにアンケートも実施した。調査結果を整理し、データを入力し、結果を分析し、考察をまとめる過程を経験した。問いを持ち、資料を集め、データを整理し、結果を他者に伝えるという研究の基本的な過程を、生徒と共有することはできていた。
そこから先には、もう一つの段階が必要であった。授業「生命」では、共通の課題について全員で調査し、考察することはできた。一方、一人ひとりの生徒が自分の研究テーマを設定し、観察や実験を継続し、失敗や修正を重ねながら結果を出し、学会や研究発表会で問い返されるところまで進むには、授業「生命」だけでは足りなかった。生徒が自分の問いを研究テーマとして引き受け、三年間の学びの中で育てていくためには、新しい教育課程と指導体制が必要であった。
授業「生命」から生命科学コースへ進んでいく過程には、私自身のやり残した課題も重なっていた。私は大学理学部卒業時に研究を志していたが、経済的な理由で大学院進学をあきらめ、高等学校の理科教員になった。しかし、研究したいという気持ちが抑えられず、四十歳を過ぎて一年間休職し、修士課程を修了したものの、その時点では経済的なことを考えると、博士課程で学位を取得することは断念していた。生徒に問いを持つことの大切さを語りながら、私自身の心の中にも、まだ研究を続けたいという思いが残っていた。
そのようなとき、大学の研究者から、「研究できる環境がないなら、高校に研究できる環境をつくればいい」と言われ、文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール、すなわちSSHを紹介された。この言葉によって、生徒に研究をさせることと、教師である自分が研究を続けることを、別々に考えなくてもよいのではないかと思うようになった。
当時の学校では、学習指導と生徒指導が教育活動の中心にあり、課外活動においても体育系の部活動が大きな位置を占めていた。物理、化学、生物などの科学系の部活動は、細々と存続していればよいと見られることも少なくなかった。その中で、放課後に生徒と教師が観察や実験を続けることは、学校の日常の教育活動として十分に認められていたわけではなかった。
二〇〇六年度、清心女子高等学校は初めて申請したSSHに採択され、初年度から生命科学コースを開設した。SSHに採択されたことで、生徒が科学研究に取り組む時間、場所、設備、指導体制、大学や研究機関の研究者との連携、研究成果を発表する機会を、学校の教育活動として整えられるようになった。放課後にコツコツと続けてきた研究が、個人的な趣味や一部の生徒の活動ではなく、学校が制度として支え、取り組むべき教育活動に認定されたことは、私自身にとっても大きな救いであった。
生命科学コースで重視したのは、「知識」「体験」「研究」を切り離さないことであった。授業「生命」や「生命科学基礎」で、生命、心、身体、社会について考えるための知識を得る。自然探究、森林実習、研修旅行、海外研修で、教室の外に出て、自然や生き物や人に触れる体験をする。課題研究では、そこで生まれた疑問を観察、実験、調査によって確かめ、その結果をまとめ、質問や批判を受けて方法や考察を見直す。生命科学コースでは、この三つの学びを教育課程の中に位置づけ、接続しようとした。
授業「生命」で行った学校飼育動物の調査は、この接続をすでに示していた。「学校飼育動物は生命尊重の教材になっているのか」という研究課題を立て、受講生が自分たちの出身小学校を訪問して実態を調査した。さらに、その問いを持って岡山県内の小学校にアンケートを送り、生徒全員で回答を整理し、数値化して分析し、全国学校飼育動物研究会で発表して、質疑応答を受けて考察を見直した。生命倫理を抽象的な問題として考えるだけで終わらず、学校現場の実態を調査し、得られたデータを根拠に問い直したのである。生命科学コースは、このような学びを、三年間にわたって継続できるようにするための教育課程であった。
2 学校改革アンケートと鷗友学園の記事 ―生命科学コースの前史
生命科学コースは、二〇〇六年度のSSH指定によって突然生まれたものではない。その前史には、一九九九年の学校改革アンケートと、同じ年に出会った鷗友学園の記事があった。
私は、「西暦二〇〇〇年に清心学園は何を提供できるか」という教育改革プロジェクト・チームのリーダーとして、生徒、保護者、教員を対象にアンケートを実施し、それぞれが清心の教育をどのように見ているのかを集約した。その結果をもとに、宗教教育、進学指導、教育課程、生徒指導、教育環境について話し合った。学校にとって都合のよい声だけを選ぶのではなく、異なる立場から寄せられた意見を討議の資料にした。
例えば、教員対象の調査では、性についての指導の必要性そのものは高く認められていたが、その理由は一様ではなかった。生徒に「自らを大切にしてほしい」という自己尊重や幸福に関わる考えがある一方で、「性道徳の低下」への危機感から必要性を語る意見もあった。性教育を、生徒一人ひとりの生き方や自己決定に関わる教育と捉えるのか、社会的規範や秩序を守らせるための指導と捉えるのか。同じ「性教育」という言葉の下に、異なる教育観があることが調査によって見えてきた。
保護者対象の調査にも、学校に求めるものの重なりとずれが表れていた。中高六年間の教育で最も重視すべきこととして、五二%の保護者が、補習授業を含む大学入試に向けたカリキュラムの充実を選んだ一方、三七%は、受験のための促進授業だけに偏らず、時間にゆとりを持たせた教育課程を求めていた。また、娘の将来については六八%が、専門性をもった職業で活躍してほしいと答え、今後の学校教育への期待では、五一%が「自立した人間になるための女性教育」を選んでいた。保護者が求めていたのは進学実績だけではなかった。大学へ進むための学力を身につけることと、女性が専門性を持ち、自分の人生を自分で選んで生きることの両方であった。
生徒対象の調査からも、学習時間や進路への意識、課外活動、女子校で学ぶことへの評価、学校生活への満足と違和感が見えてきた。保護者が大学進学と女性の自立の両方を学校に求める一方で、生徒は、学校の中でどれだけ自分の個性が生かされ、自分の希望に即した進路を考えることができるのかを問うていた。三者の回答は一致していたわけではない。しかし、その一致しない声を並べて読むことによって、学校改革で何を残し、何を変えなければならないのかが具体的に見えてきた。
私は、学校改革を教師だけで考えた方向へ進めるのではなく、生徒、保護者、教員が実際に感じていることを読み取り、それを教育課程へ反映する必要があると考えた。アンケートの結果を一九九九年の研究紀要に掲載した際には、学校の内部資料として扱うべきものを公表してよいのかと叱責も受けた。しかし、学校が自らの実情を客観的に点検するためには、都合の悪い結果も含めて共有しなければならないと考えた。
その意識調査をまとめていた一九九九年十一月、鷗友学園に勤務していた卒業生から、『中央公論』に掲載された中井浩一氏の論考「鷗友学園はなぜ立ち上がったか」が送られてきた。私には、記事の内容だけでなく、かつて教室にいた生徒が理科教師となり、自分の勤務校で進められていた学校改革の記事を、母校の改革に取り組もうとしていた私に送ってくれたことが、偶然とは思えなかった。私はこれまで、学級通信や性教育、ロングホームルームで、生徒に「どのように生きるのか」と問いかけてきた。その問いが、卒業生の勤務校で行われていた学校改革の実践を通して、今度は私へ返されたように感じた。
記事は、鷗友学園の進学実績が向上したことを紹介しながら、その背景に、建学の精神の捉え直し、ホームルーム活動の組織化、教師集団と学校組織の改革があったことを描いていた。鷗友学園は、建学の精神を「現在において」捉え直し、「自由」と「表出」を学校運営と教育活動の原則として言語化していた。「自由」は、管理を強める方向と生徒の自由を認める方向のどちらかを選ばなければならないとき、自由の側を選ぶという原則であり、「表出」は、生徒の中にある考えや力を引き出すという原則であった。
その原則は、校則、生活指導、ホームルーム、進路指導へ具体化されていた。中学一年では、自分史を書くことを通して、自分の生い立ちや家族の中での自分を見つめ直す。中学二年では、環境や福祉をテーマに、社会との接点を考える。中学三年では、職業や進路について調べ、講演や職場訪問を通して、これからの生き方を考える。生徒が自分自身を見つめ、自分の生き方を考え、自分で決定していく力を育てる教育課程が、三年間のホームルーム活動として組み立てられていたのである。
記事で私が強く受け止めたのは、改革が生徒への指導内容とともに、教師集団と学校組織の変化として描かれていたことである。「自由」と「表出」は、生徒に向けられた教育原則であると同時に、教師集団のあり方にも関わっていた。校長が若手教員の提案を受け止め、校長室を議論の場として開き、外部評価を学校を開く材料として用いながら、教職員の組織そのものを変えていった。生徒に自分の生き方を考えさせる学校をつくるには、教師自身が、教育とは何か、自分たちの学校は何を大切にするのかを問い直す必要がある。その思想が、この記事にはあった。
私はこの記事から、学校を変えるとは、子どもたちが「どのように生きるのか」を考える場を、教師の個人的な努力に任せず、教育課程、ホームルーム、進路指導の中に置き、その教育を学校全体で支えることだと受け取った。学級通信、性教育、ロングホームルームで続けてきた実践を、清心女子で学校設定科目「生命」として教育課程に置いたのも、そのような学校改革の流れの中であった。生命科学コースは、その七年後、授業「生命」で生まれた問いを、生徒が自分の研究テーマとして引き受け、観察、実験、調査を継続していくために構想したものであった。さらにSSHに採択されたことで、課題研究の時間を教育課程の中に置き、実験設備を整え、複数の教員が指導に関わり、大学や研究機関の研究者と連携し、研究成果を校外で発表する仕組みを学校の教育活動として整えることができた。
3 SSH申請に先立つ生命科学コースの校内審議
生命科学コースの検討は、「西暦二〇〇〇年に清心学園は何を提供できるか」という教育改革プロジェクトの延長線上にあった。このプロジェクトでは、生徒、保護者、教員の声をもとに、これからの清心女子がどのような教育を打ち出し、生徒や保護者に何を提供できるのかを問い直していた。
清心女子高等学校は、もともと普通科のみのクラス編成であった。一九八六年度から、いわゆる能力別クラス編成を導入し、特進コースと進学コースに分けた。その後、一九九三年度からは、特進コースを進学Ⅱコース、進学コースを進学Ⅰコースと名称変更したが、基本的な性格は大きく変わらなかった。成績上位の生徒を一つのクラスに集め、進学実績の向上を目指す編成であった。
このクラス編成には、系列中学校から進学する生徒を成績に応じて編成するだけでなく、外部の公立中学校から成績上位層の生徒を呼び込み、進学実績の向上を通して生徒募集の魅力を高めたいという狙いもあった。しかし実際には、進学者の多くは併設中学校からの内部進学者であり、外部から新たに志願者を増やす力は限られていた。成績上位者を集めるクラス編成は、校内の進学指導上の仕組みとしては一定の意味を持っていたが、清心女子で何を学べるのか、なぜ清心女子を選ぶのかを外部に示す特色としては弱くなっていた。
そこで検討されたのが、能力別クラス編成から、生徒の進路希望や将来の専門性に対応したコース編成への転換であった。成績によって生徒を分けるのではなく、清心女子でどのような学びに出会えるのかを教育内容として示す必要があった。二〇〇六年度からの新しいクラス編成では、生命科学コースと文理コースを設けることになった。生命科学コースは、医学、薬学、生命科学などの分野へ進むことを希望する生徒を、SSH事業に対応した教育課程の中で育てるためのコースとして構想された。文理コースは、文系・理系の幅広い進路に応じた学びを保障するためのコースとして位置づけられた。
生命科学コースの設置に向けては、提案を行うだけでなく、審議のための事前アンケートを実施し、その結果を報告したうえで討議を重ねた。検討事項は、教育課程、入試、広報、進学指導、実施時期、文系コースの特色づくりにまで及んでいた。生命科学コースを設置することは、理科教育の一部を充実させることにとどまらず、清心女子高等学校のクラス編成、募集、進路指導、学校としての特色を見直す改革であった。
この校内審議を経て、生命科学コースを立ち上げることは理事会でも承認された。翌年のSSH申請では、この検討をもとに、女子生徒が生命科学を入口にして科学研究へ進む教育課程を、学校の制度として提示することができた。清心女子のSSH第Ⅰ期指定は、生命科学コースの設置をめぐる具体的な提案、アンケート、討議、承認の過程の上に成り立っていたのである。
4 女子校に生命科学コースを設ける
前節で述べたように、生命科学コースは、従来の能力別クラス編成を組み替える中で構想された。清心女子高等学校では、成績上位の生徒を集めて進学実績を上げることを目的としたクラス編成から、清心女子でどのような学びに出会い、どのような専門分野へ進んでいけるのかを示すコース編成へ移ろうとしていた。その転換をもっとも具体的に示したのが、生命科学コースの設置であった。
生命科学コースは、医学、薬学、農学、生物学など、生命科学に関心を持つ女子生徒のために設けたコースであった。SSH事業の支援を受けながら、課題研究、大学との連携、実習、研究発表を教育課程の中に置き、女子生徒が科学を自分の進路として選び取ることを支える。そのような理系進学支援の教育課程として、生命科学コースを立ち上げようとしたのである。
生命科学コースを構想した背景には、二〇〇六年前後の科学技術政策と大学進学をめぐる変化もあった。二〇〇六年度から始まった第3期科学技術基本計画では、自然科学系全体における女性研究者の新規採用割合を二五%とする目標が掲げられ、女性が科学技術分野で研究を続けられる環境を整えることが国の課題として明確にされた。大学や研究機関で女性研究者を増やすためには、その前段階にある中学校・高等学校で、女子生徒が科学を自分の進路として選択し、研究を経験できる教育をつくる必要があった。女子生徒の理系進学支援をSSHの研究開発課題に据えた背景には、この科学技術政策による後押しがあった。
同じ時期、薬剤師養成課程が四年制から六年制へ移行し、私立大学を中心に薬学部の新設が続いていた。岡山でも就実大学に薬学部が新設され、進路指導の現場では、薬学、医学、農学、生物学など、生命科学に関係する分野を志望する女子生徒が増えていた。薬学部の新設や六年制への移行によって、生命科学を学んだ先にある大学の学部や職業が、当時の生徒や保護者にとって具体的に見えやすくなっていた。
この動きは、女子生徒の理系進学支援を構想するうえで追い風になった。政府の科学技術政策が女性研究者の増加を課題として掲げ、SSHが理系教育改革を支える制度として動き始めていた時期に、薬学部や生命科学系学部の広がりは、女子校が科学教育を特色として打ち出す現実的な根拠にもなった。生命科学への進学希望の高まりを受け止めながら、その関心を観察、実験、調査、発表を含む科学研究の経験へつなぎ、さらに数理科学や工学分野にも広がる女子生徒の理系進学支援の流れにすることを構想していた。
SSH採択時のヒアリングでは、女子の理系進学支援が必要なのは、女性の進学者が少ない数学、物理、化学の分野であり、すでに多くの女子生徒が進学している生物分野ではないのではないかという疑問も出された。それに対して私は、生命科学から始めて他分野に拡大していく方針で進めることに意味があると主張した。確かに当時、医学、薬学、農学、生物学に関心を持つ女子生徒は増えつつあった。しかし、生命科学を入口にする理由は、進学希望者が多いことだけではなかった。身体、生殖、生命倫理、医療、自然保護、環境など、授業「生命」で扱ってきた問題が、生命科学と直接つながっていた。また、生命科学は、高校生が身近な自然や生き物から研究対象を見つけ、観察を重ねながら科学に入ることのできる分野でもあった。
SSH指定を受けた二〇〇六年の一学期、私は、中央大学の今井桂子先生、東海大学の佐々木政子先生、日本女子大学の平田京子先生と、『大学時報』の座談会「理系女性はなぜ少ないか」に参加した。七月五日に行われたこの座談会は、生命科学コースの一期生三十人が新しい教育課程で学び始めたばかりで、清心女子のSSHがまだ本格的な成果を生み出す前の記録である。
座談会で話題になったのは、女子生徒が理科や数学への関心を、将来の進路として選びにくくしている学校や社会の条件であった。家庭や学校の中には、「女性は理系に向かない」という見方がなお残っていた。女性研究者や理系の女性教員が少なく、自分の将来を具体的に思い描くためのロールモデルも見えにくかった。そうした状況の中で、大学との連携や継続的な研究体験を教育課程に組み込み、女子生徒が科学を自分の進路として考えられる環境をどうつくるのか。この問題が、実践を始める時点から問われていた。
私はその座談会で、女子生徒が理系を「本当に自由」に選べることを大切にしたいと述べた。また、教師自身が科学を面白いと感じ、研究テーマを持ち、生徒とともに観察や実験へ向かう姿が必要であるとも語った。身近な卒業生や女性研究者との出会い、研究を経験する時間、教師自身の研究、大学との継続的な連携を組み合わせ、「女性の理系進出を支援できる教育システム」を五年間かけて開発することが、指定初年度に立てた課題であった。
この座談会が行われた時点では、生命科学コースの一期生が新しい教育課程で学び始めたばかりで、課題研究も科学英語も、まだ十分な実践の蓄積を持っていなかった。全国規模の女子生徒による研究交流会も、後に構想されることになる段階であった。それでも私は、その時点で、女子生徒の理系進学支援とは、成績上位者を選抜することではなく、女子生徒が自分も科学を学び、研究し、発表し、将来の進路として選ぶことができると感じられる環境を、学校の教育課程として整えることだと考えていた。
生命科学コースを開設し、生物学を中心とする課題研究に着手したことについては、清心女子高等学校のSSH運営指導委員であり、元日本物理学会会長でもあった坂東昌子先生の言葉が大きな支えになった。坂東先生は、生徒の発表を聞いた後に、「物理・化学に比べて生物は多様で未知なことが多いので、高校生にはやりがいがあるだろう」と述べてくださった。これは、私にとって大きな励ましであった。
生命科学を課題研究の中心に置いた背景には、女子生徒の進学希望者が多く、研究に入りやすい分野であったことに加えて、生命現象そのものが高校生の研究対象として大きな可能性を持っていたことがある。生命現象には、高校生が身近な生き物や自然の観察から研究を始められる入り口がある。同時に、まだ解明されていない問題が数多く残されている。その答えに近づくためには、長期間にわたって観察と実験を積み重ね、結果が出なければ条件を変え、得られた事実をもとに考え直していかなければならない。私は、そのように高校生が未知の問題に向き合うことのできる研究分野として、生命科学を課題研究の中心に置いたのである。
生命科学コースでは、授業「生命」で扱ってきた身体、生殖、生命倫理、医療、自然保護、環境への関心を、課題研究へ接続することを目指した。生徒が講義や実習の中で出会った問題を、自分の研究テーマとして引き受け、観察、実験、調査、発表へ進める道筋をつくる。その意味で、生命科学コースは、女子生徒の理系進学支援であると同時に、授業「生命」で生まれた問いを、科学研究として育てるための教育課程であった。
5 SSHが研究を学校の正規の教育活動にした
5―1 学位を持たなかったSSH主任が研究を続ける
SSHは、学校の中に研究を継続するための時間と仕組みを与えた。生徒が長い時間をかけて観察し、実験に失敗し、方法を修正し、外部で発表することを、学校が教育活動として認める根拠になった。それまで一人の教師と一部の生徒が放課後に続けていた研究に、教育課程上の時間、複数の教員による指導、大学との連携、研究発表の機会を与えたのである。
この影響は、教師である私自身にも及んだ。二〇〇六年度にSSH主任になった時点で、私は博士の学位を持つ研究者ではなかった。高校で有尾類の飼育と研究を続けてきた一人の理科教師であった。その私が、生徒の研究環境を学校の中に立ち上げる仕事と、自分自身の研究を進める仕事を同時に担うことになった。
SSHに取り組みながら、私は広島大学大学院に入学して研究を続け、二〇一一年に博士(理学)を取得することができた。社会人として理学研究科の大学院に入り直したことで、研究が論文として形になるまでの過程を一通り経験した。研究機器を使い、標本を観察し、データを処理し、先行研究を検索して読み、自分の結果を論文としてまとめ、投稿し、査読を受け、修正し、受理されるまでの過程である。
この経験は、生徒の課題研究を指導するときの基礎になった。高校生の研究であっても、観察や実験の結果を集めるだけでは、研究として他者に伝わるものにはならない。どの先行研究とつながるのか、方法に無理はないか、得られたデータからどこまで言えるのか、審査員や研究者から問われたときにどのように根拠を示すのかを考えなければならない。大学院で、国際誌に投稿し、査読を経て受理されるまでの過程を経験したことは、後に生徒の研究発表や論文形式の書類を指導するときにも生きた。二〇二五年に生徒がISEFに派遣される際の発表審査書類を作成するときにも、この経験は生かされた。
一方、SSH主任として求められたのは、個々の研究指導にとどまらなかった。生命科学コースの教育課程を組み立て、大学の研究者と連携し、海外研修では国外の大学や研究機関との関係をつくり、さらに全国の高校と研究発表や教育実践を共有するネットワークを広げていく必要があった。SSHを進める中で私は、生徒の研究を、大学、海外、他校、発表会へつなぐ教育プログラムとして構築していく方法を学んでいった。
5―2 研究が英語を必要とした ―実践英語とディベート
SSHで教育課程を刷新してから三年目には、二〇〇八年八月のSSH生徒研究発表会で科学技術振興機構理事長賞を受賞するなど、生徒の研究が学会や研究発表会で成果を示すようになった。さらに五年をかけて、研究発表会を主催し、大学の施設で指導を受け、他校の生徒や大学の研究者と交流し、研究成果を国外の学会などで発表する機会も広がっていった。
実際に、清心女子高校で行ってきた課題研究は、国内の発表会から、国際的な発表の場へも広がっていった。二〇一五年十一月には、マレーシアで開催された International Conference on Biodiversity 2015 において、森林の多様性と二酸化炭素吸収に関する研究、外来種ミシシッピアカミミガメが日本在来のカメ類に及ぼす影響に関する研究が Best Poster Award を受賞した。同じ学会では、絶滅危惧サンショウウオの飼育下繁殖技術や、核移植による両生類クローン作成技術についても発表した。
二〇一六年八月には、中国で開催された The 8th World Congress of Herpetology において、オオイタサンショウウオの飼育下繁殖技術に関する研究を口頭発表し、ミシシッピアカミミガメが日本在来のカメ類に及ぼす影響についてポスター発表を行った。さらに二〇一八年五月には、インテル国際学生科学技術フェア(ISEF)二〇一八において、「木質バイオマスからバイオエタノールを生産できる花酵母の研究」が微生物学部門優秀賞四等を受賞した。
こうした国際的な発表の場では、研究の背景を英語で説明し、方法を示し、結果を図表で伝え、質問に答えることが求められる。生徒にとって英語は、国際交流の場で挨拶をするための言葉から、自分たちの研究を海外の研究者や生徒に向けて説明し、質問を受け、その質問を通して研究を考え直すための言葉へと変わっていった。
生命科学コースでは、二〇〇六年度から学校設定科目「実践英語」を置き、将来、英語の文献を読み、英語で研究成果を発表することを見据えた授業を始めていた。当初は多読を中心に進めたが、文献を読む力に加えて、自分たちの研究を説明し、質問に答え、相手に伝わるように表現する力を育てる必要があった。そこで二〇〇九年度から、英語を表現と応答の手段として使うために、ディベートを取り入れた。
実践英語の内容は、英語科教員、ネイティブ教員、理科教員が協力して考えた。生命科学分野のテーマを設定し、生徒のコミュニケーション能力、論理的に説明する力、質疑応答に対応する力を育てるためである。理系の高校生が生命科学に関わる問題を英語で扱うには、英語表現に加えて、生命倫理、動物福祉、環境、医療などの内容を理解し、それを根拠として主張を組み立てる必要があった。
最初の英語ディベートでは、受精卵を扱った実験の是非が題材になった。しかし、内容が難しく、十分な事前学習を行うことも難しかったため、生徒が自分の問題として引き受けやすい題材へと見直していった。次に取り上げられたのが、学校飼育動物の問題であった。小学校で動物を飼育することの是非を英語で討論するために、生徒は生命倫理や動物福祉について調べ、英語で主張し、反論し、質問に答える活動へつなげていった。
問田雅美先生の実践では、さらに、ペットの殺処分の問題が取り上げられた。生徒にとって身近でありながら社会性を持ち、生命倫理にも関わる題材であった。生徒は、肯定・否定の両面から意見を出し合い、参考文献を調べ、海外の状況を調査し、講演やインタビューを通して根拠を集めた。最初から立場を固定するのではなく、両方の立場から考えたうえでチームを分け、相手の主張に対する反論を準備していった。英語ディベートは、自分たちが調べたことを根拠にして、相手に伝え、質問に答える活動になっていった。
この実践は、英語科教員の研究としても深められていった。問田先生は、科研費奨励研究で二〇一一年度に「生命がテーマのディベート導入による『ツールとしての英語力育成』の指導内容と方法」、二〇一三年度に「生命をテーマとした英語ディベート指導のプログラムデザインとその有効活用」で採択され、生命を題材としたディベート教材と指導方法の開発に取り組んだ。
問田先生が目指していたのは、語学としての英語力を高めることにとどまらなかった。将来、科学分野に進学すれば、研究室のゼミや学会のポスター発表などで、自分の考えや研究を人前で説明する機会が多くなる。英語で発表を求められることもある。そのとき必要になるのは、英文を正しく作る力だけではなく、情報を集め、自分の意見を論理的に相手に伝え、相手の意見に的確に応答する力であった。問田先生は、それを「科学を学ぶツールとしての英語」として位置づけ、英語ディベートを実践英語の中心に置いた。
二〇一三年度には、高校一年生用のテキスト Book 1 が作成された。生命科学コース二十名と文理コース選抜クラス二十一名が、このテキストを用いて授業を受けた。テキストは、英語ディベートへ向かう前段階として、アカデミックライティングを学び、倫理的な判断を求められる題材について書き、自分たちの考えを分かち合い、議論することを目指していた。問田先生は、どの学年を誰が担当しても一定の指導ができるように、学年ごとのテキストを整えようとしていた。実践英語は、個々の教員の力量に頼る授業から、教材と段階的な指導計画を持つ科目へ進もうとしていた。
同じ年度の第5回SSH科学英語研究会では、NELPディベートと生命科学コースのディベート授業が公開され、研究協議が行われた。参加者は、英語教育関係者、SSH関係者、一般希望者を含む六十七名であった。実践英語は、清心女子の校内だけで閉じた取り組みではなく、科学英語教育を模索する他校の教員にも開かれた実践になっていた。
実践英語では、生命科学分野への進学を目指す生徒に、英語の文献を読み、英語で発表する力を育てることを目的として、多読からディベートへと授業を発展させていった。ディベートでは、読む、調べる、異なる立場から考える、論理的に書く、効果的に話す、質問に応答するという複数の力が求められた。
問田先生の実践で重要だったのは、英語を、学問としての英語や受験科目としての英語に閉じ込めなかったことである。生命科学コースの実践英語では、英語は、科学を学ぶための道具として位置づけられていた。将来、科学分野に進学すれば、研究室のゼミや学会のポスター発表などで、自分の考えや研究を人前で説明する機会がある。英語で発表を求められることもある。そのとき必要になるのは、英文を正しく作る力だけではなく、情報を集め、自分の意見を論理的に相手に伝え、相手の意見に的確に応答する力であった。
そのため、実践英語では、英語ディベートが中心に置かれた。ディベートは、英語で話す練習にとどまらない。資料を読み、立場を考え、根拠を集め、相手に伝わるように表現し、反論を受けて応答する活動である。生命科学コースの生徒にとって、それは、課題研究の発表や質疑応答に向かうための訓練でもあった。英語は、正解として提出するものではなく、自分たちの研究や考えを相手に届け、問い返され、さらに考え直すための道具になっていった。
二〇一三年度には、高校一年生用のテキスト Book 1 が作成された。そこでは、ディベートへ向かう前段階として、アカデミックライティング、倫理的な判断、自分たちの考えを分かち合い議論する活動が位置づけられていた。問田先生は、英語ディベートを一回ごとの特別な授業として行うのではなく、一年次の基礎、二年次の生命科学をテーマにしたディベート、三年次の発展的プレゼンテーションへつながる段階的な学びとして構想していた。
科学英語研究会では、この実践を公開授業として示した。二〇一〇年度には、生命科学コース二年生が、学校飼育動物をテーマにしたシナリオディベートを行った。二〇一一年度には、ペットの飼育免許をめぐる論題を扱い、生徒が資料をもとに立論、反論、質疑応答を行った。二〇一二年度には、実践英語のカリキュラムを改訂し、一年次からディベートの基礎を学び、二年次には生命科学に関わるテーマで英語討論を行い、三年次には自分たちの研究を英語で発表する流れがつくられていった。
この流れの中で、英語は、生徒が自分の考えを相手に伝え、相手の意見を聞き、根拠をもって応答するための言葉へと変わっていった。プレゼンテーションは、自分たちの研究を整理して伝える力を育てる。ディベートは、相手の主張を聞き、その場で考え、反論し、質問に答える力を育てる。課題研究の発表でも、発表後の質疑応答やポスター発表での対話が、研究を深める重要な時間になる。実践英語は、そのような双方向のやり取りに耐えられる言葉を育てる科目として位置づいていった。
今日、AIが英文作成や翻訳を支援するようになったことで、この実践の意味はいっそう明確になる。英文を整える作業の一部は機械に任せることができる。しかし、相手が何を問うているのかを受け止め、自分のデータに戻って考え、根拠をもって返答し、その応答によって研究を修正することは、研究を行う本人にしかできない。清心女子の実践英語は、英語を正解として提出する科目ではなく、自分たちの研究を伝え、質問を受け、考え直すための言葉として位置づけようとしたのである。
5―3 外部の視察者が見た教育課程
SSH指定を受け、生命科学コースの教育課程が動き始めると、清心女子高等学校には、課題研究、科学英語、中高連携、高大連携、海外研修などを視察するため、全国の高等学校や教育関係機関から教員が訪れるようになった。JSTアンケート調査に記録された視察者の感想からは、生命科学コースで行われていた授業、課題研究、実践英語、発表会が、学校外の教員の目にどのように映っていたのかを読み取ることができる。
二〇〇八年度のJSTアンケートには、日常の授業で、教科書から一歩踏み込んだ実験教材を独自に開発し、それを事前学習や事後学習と系統づけて進めていること、生徒が主体的に取り組めるよう実験方法を工夫していることが記されている。さらに、生物部の活動や教員の協力体制にも触れ、教員自身が楽しんで生き生きと取り組むことが、生徒の意識を高めているという感想も残されている。ここから見えてくるのは、SSHが、教師が自分の専門に立ち戻り、生徒とともに未知の現象へ向かう時間を、学校の中に生み出していたということである。
二〇一〇年度の記録には、「女性研究者の育成」という研究開発課題に沿って、系統立ったカリキュラム開発が行われ、英語教育や生命科学分野の指導に特色があることが記されている。また、授業「生命」で扱った問題を「実践英語」のディベートへつなぎ、身近な題材を通して生命への問題意識を持たせ、根拠を調べ、論理的に考え、複眼的な見方を育てる指導が行われていたことも記録されている。
課題研究の最終発表会については、代表生徒が原稿を見ることなく、ステージに立って、身振りを交えながら聴衆へ語りかけていた様子が記されている。発表用のシートには図や写真が適切に配置され、予想される質問に答えるための資料も準備されていた。一般生徒からの質問も途切れなかったという。ここには、発表する生徒だけでなく、研究を聞き、疑問を持ち、質問によって発表者へ問い返す生徒も育っていたことが表れている。
科学英語研究会の記録では、清心女子の「実践英語」が、生命科学や生命倫理の問題を他者へ伝えるための言葉として英語を位置づけていた点が注目されている。受精卵を扱った実験、学校飼育動物、臓器提供、出生前診断、代理出産など、授業「生命」で考えてきた問題を題材にし、理科教員と英語科教員が資料を選び、生徒が根拠を集め、立場を組み立て、英語で発表し、質問に応答する授業が行われていた。
二〇一一年度の視察記録には、「実践英語」が一年から三年まで一単位で実施され、コミュニケーション能力、論理的思考力、英語でのプレゼンテーション能力を育てる三年間の一貫したプログラムになっていることが記されている。現代社会でディベートを学び、国語で意見文を書き、情報で資料を集め、英語のライティングで原稿を書き、オーラルコミュニケーションで発表練習をする。科学英語のディベートは、英語科だけの取り組みではなく、複数の科目にまたがる学びの中で組み立てられていた。
二〇一二年度以降の記録にも、実践英語の段階的な指導が残されている。生徒は、年間カリキュラムの中でディベートの基礎を学び、資料を読み、根拠を集め、英語で相手に伝わるように表現する活動へ進んでいった。独自に開発された教材やテキスト、理科教員と英語科教員が協力して資料を精選する体制についても触れられている。ある教員は、「英語力を身につけるのは当たり前で、身につけた英語力で何をするか、どのようにコミュニケーションするかがこれからの課題」という言葉が心に残ったと記している。
これらの記録から見えてくるのは、生命科学コースが、「知識」「体験」「研究」を、授業、課題研究、発表会、実践英語、外部との交流の中で接続しようとしていたことである。視察に訪れた教員は、個々の授業や発表会を見学しただけではなかった。授業「生命」で扱った問題が実践英語のディベートへつながり、課題研究が発表会で問い返され、英語が研究を伝えるための言葉として使われていく流れを見ていた。
生命科学コースで目指した教育は、外部の教員の視察を通して、学校の外にも伝わっていった。他校の教員が授業を見学し、生徒の発表を聞き、研究会で質問し、自校の教育に持ち帰ろうとした。その記録は、清心女子のSSHが、女子生徒の理系進学支援を出発点にしながら、高校の中に研究を置き、英語による発表と応答を含めて科学教育を組み立てる実践として受け止められていたことを示している。
6 研究指導の実際 ―有尾類研究と花酵母研究
6―1 複数の研究領域を学校の中に置く
生命科学コースの課題研究では、有尾類研究を主要な柱としつつも、発生生物学、生殖生物学、生物工学、時間生物学、森林生態学、環境化学など、多岐にわたる領域で研究が展開された。生徒たちの探究心は、動物の発生や生殖にとどまらず、微生物の働き、植物の運動、森林環境、さらには化学物質の動態にまで広く及んでいたからである。
こうした多様な研究を支えるうえで、一人の教師の専門性にのみ依存する体制は脆弱である。指導者が学校を離れた途端に活動が途絶えてしまう懸念があるからだ。そのため、異なる専門を持つ教員たちが有機的に指導に加わり、必要に応じて大学や研究機関とも連携しながら、生徒が自らの関心に応じて主体的に研究領域を選択できる持続可能な指導体制を整えた。
本節では、私が直接指導に携わったテーマの中から、対照的なアプローチを持つ「有尾類研究」と「花酵母研究」を取り上げる。前者は発生生物学や生殖生物学の系譜に連なる動物研究であり、後者は微生物の有用性を追究する生物工学的な研究である。対象も手法も大きく異なる二つの実践であるが、いずれも生徒自身が身近な生命現象から問いを紡ぎ出し、緻密な観察と実験を重ねながら研究を深化させていった具体的な歩みを示すものである。
6―2 有尾類研究――教師も答えを持たない研究
私は長年、有尾類を飼育しながら、飼育下でどのように安全に、安定して繁殖させることができるのかを考えてきた。アカハライモリでは、貯精という仕組みが生殖戦略とどのように結びついているのか。オオイタサンショウウオでは、飼育下で成熟し、産卵し、次の世代へつなぐには、どのような条件が必要なのか。有尾類の繁殖の仕組みを明らかにすることは、私自身にとって未解決の研究課題であった。
有尾類研究は、学校の限られた予算の中で、外部資金を得ながら続けてきた研究でもあった。高校の部活動や課題研究で生き物を継続して飼育し、観察や実験に必要な器具をそろえ、学会や発表会へ出ていくには、通常の教材費でまかなえる範囲を超える費用が必要になる。飼育容器、餌、温度管理の機器、顕微鏡観察の器具、標本作製、発表に必要な旅費や資料作成費など、研究を続けるための具体的な費用を確保しなければならなかった。そのため、私は科研費奨励研究を申請し、学校の中で研究を継続するための費用を確保してきた。
一九九六年度には、文部省科学研究費補助金奨励研究B「有尾類の教材化」に採択された。二〇〇一年度には、日本学術振興会科学研究費補助金奨励研究B「アカハライモリの生態についての研究」に採択され、アカハライモリの生態を継続して調べることができた。二〇〇六年度には「オオイタサンショウウオの教材化について」、二〇〇九年度には「オオイタサンショウウオの人工受精について」、二〇一二年度には「シリケンイモリの生殖についての研究」、二〇一三年度には「オオイタサンショウウオの飼育下の繁殖方法の研究」で、科研費奨励研究に採択された。
この流れを見ると、私の有尾類研究は、教材化から始まり、生態、生殖、人工受精、飼育下繁殖へと進んでいったことが分かる。科研費は、私個人の研究業績を積むための資金というより、高校の中で生徒とともに有尾類を飼育し、観察し、未解決の生命現象に向き合い続けるための研究費であった。外部資金を得ることで、学校の通常予算だけでは難しかった継続的な飼育、実験、記録、発表を支えることができたのである。
一方、生徒たちは、毎日の飼育に関わる中で、自分たちの疑問を持つようになった。産卵された卵はどのように発生していくのか。幼生を低温で飼育すると、成長や変態の時期はどう変わるのか。餌の量や飼育密度は、成長の差や共食いにどのような影響を与えるのか。生徒の疑問は、日々の飼育と観察の中で実際に生まれたものであった。
有尾類は、教材であると同時に、まだ答えのない現象を調べる研究対象でもあった。私が長年持ち続けてきた繁殖についての課題と、生徒が発生や成長、飼育環境の中で見つけた疑問が、同じ飼育室と実験室の中で重なっていったのである。
生徒たちの研究は、一つの学年で完結するものではなく、日々の飼育、産卵の記録、発生段階の確認、飼育条件の変更、データの整理を積み重ねながら、次の学年へ引き継がれていった。先輩が残した記録を読み、同じ条件を再現し、うまくいかなければ理由を考え、自分たちの観察を加えて後輩へ渡す。その繰り返しの中で、高校の実験室は、完成した知識を確認する場所から、まだ答えのない現象を調べ、記録を積み重ねる場所になっていった。
6―3 花酵母研究――六十四種の花から一九六株の検討へ
花酵母研究も、二〇〇七年度に始まり、二〇一八年のISEF派遣まで続いた研究である。最初からバイオエタノール生産を目標に始めたものではなかった。出発点は、花にはどのような野生酵母が生息しているのか、花の種類によって分離される酵母に違いがあるのかという問いであった。二〇〇七年度には学校周辺の花を分離源とし、二〇〇八年度から二〇〇九年度にかけては、校内や近隣の野山、花屋で採集した六十四種の花へ対象を広げ、18S rDNA配列と電気泳動核型で分類し、アルコール発酵能、セルロース分解能の有無を調べた。
花の種類によって、酵母の分離状況は大きく異なった。花屋で売られている花からは菌株がほとんど得られず、肉眼や顕微鏡による形態だけでは分類できないこともわかった。一方、蜜が多く、昆虫が頻繁に訪れるツツジからは、多様な菌株が比較的安定して得られた。六十四種の花を調べ、分離できた菌株の数や性質を比較する中で、ツツジが継続して研究を進める対象として浮かび上がった。
その後、岡山、広島、山口でツツジの花を採集し、分離した菌株の形態、遺伝的特徴、アルコール発酵能、セルロース分解能を調べた。一部の株は一般的なパン酵母とは異なる系統に属し、Candida属に近縁で、新種の可能性を持つこともわかった。研究は、花にどのような酵母がいるのかという分類の問いから、分離した酵母がどのような機能を持つのかという問いへ進んだ。
さらに、木質バイオマスを利用したエタノール生産を考え、ツツジ由来の一九六株について、アルコール発酵能、セルロース分解能、五炭糖であるキシロースの資化能を調べた。その結果、三つの性質を併せ持つ菌株を五株見いだした。花の種類による酵母の分離状況を比べる基礎的な観察が、微生物の機能を調べ、環境・エネルギー問題への応用可能性を検討する研究へ発展したのである。
この研究は、同じ生徒が数年間で完成させたものではない。最初の生徒が分離と培養の方法を学び、菌株とデータを残した。後輩がその記録を読み、対象をツツジに絞り、発酵能やセルロース分解能を調べ、さらにキシロース資化能を加えた。二〇〇七年度の「花酵母の採取・分類とその働き」から、二〇一八年の「木質バイオマスからバイオエタノールを生産できる花酵母の研究」まで進んだ背景には、先輩の作業を後輩が引き継ぎ、問いと方法を更新できる時間があった。
6―4 未完成の研究を次の学年へ渡す
有尾類研究でも花酵母研究でも、研究は一つの学年で完結するものではなかった。生徒が在学中に扱える時間には限りがある。産卵の時期は通常、一年のうち限られた期間であり、孵化した幼生の成長にも時間がかかる。酵母を分離できる時期は、花の開花に左右される。高校生の課題研究では、年度内の決められた時期に発表することが求められるが、生命現象は学校の年度に合わせて進むわけではない。
そのため、研究を続けるには、年度を越えて読める記録を残すことが必要であった。有尾類研究では、飼育記録、産卵日、卵嚢数、水温、餌、発生段階、死亡個体、飼育条件の変更を記録した。うまくいった条件だけでなく、うまくいかなかった条件も残した。花酵母研究では、採集した花の種類、採集場所、分離した菌株、培地、培養条件、発酵能、セルロース分解能、キシロース資化能、発表資料を残した。後輩はそれを読み、同じ方法を確かめ、必要なところを修正し、新しい検討項目を加えていった。
研究題目を年度順に並べると、研究がどのように引き継がれていったかが見えてくる。花酵母研究は、二〇〇七年度の「花酵母の採取・分類とその働き」から始まった。二〇〇九年度には「花酵母の採取・分離と花の種類との関係」、二〇一〇年度には「ツツジからの野生酵母の採取と分類」へ進んだ。二〇一二年度には「バイオエタノール製造に利用できる野生酵母を求めて」となり、二〇一四年度には「木質バイオマスを使用してエタノール生産できる野生酵母を求めて」、二〇一五年度には「バイオエタノール製造に利用できる酵母を求めて」へと発展した。そして、二〇一七年度のJSEC、二〇一八年のISEFでは、「木質バイオマスからバイオエタノールを生産できる花酵母の研究」として微生物学部門優秀賞4等の評価を受けた。題目の変化そのものが、花の酵母を調べる研究から、ツツジ由来酵母の機能を検討し、木質バイオマス利用へ向かう研究へ進んだ過程を示している。
有尾類研究でも、題目は変化しながら継続している。二〇〇七年度には「小型サンショウウオの成長と繁殖に関する研究」や「オオイタサンショウウオの人工繁殖と幼生の飼育」が発表され、二〇〇八年度には「サンショウウオの人工繁殖」がSSH生徒研究発表会で科学技術振興機構理事長賞を受賞した。卵を得ること、幼生を育てること、成長した個体を成熟させ、次の産卵へつなぐことは、その後の有尾類研究の中心的な課題として残った。
その後、オオイタサンショウウオの研究は、「幼生期の生存率に影響を与える原因」「実験室内での産卵行動」「人工授精と発生段階」「配偶行動の誘発」「飼育下での繁殖方法の確立」へと進んでいった。飼育下で卵を得るだけでなく、幼生をどのような条件で育てればよいのか、成熟した個体にどのように配偶行動が現れるのか、人工授精の成功率をどこまで高められるかが、年度を越えて検討された。二〇一二年度には、「オオイタサンショウウオの飼育下での繁殖方法の確立を目指して」がJSEC最終審査に進み、高校の飼育室で継続してきた繁殖研究が外部の審査の場でも評価された。
有尾類研究は、オオイタサンショウウオの飼育下繁殖だけにとどまらなかった。アカハライモリを用いたクローン作成にも取り組み、二〇一三年度には「アカハライモリのクローン作成」がJSECでインテル奨励賞を受けた。この研究は、有尾類を飼育し、卵や胚を扱う技術を基盤にしながら、発生のしくみを操作して確かめようとする研究であった。ただし、アカハライモリのクローン作成は、清心女子で一つの到達点を迎えた研究であり、そのまま同じ形で継続したわけではなかった。
清心女子で積み重ねた有尾類研究は、のちに山脇有尾類研究所で、別の形をとって再び動き出した。山脇有尾類研究所では、アカハライモリについては、クローン作成ではなく、繁殖戦略の解明が中心になった。日本産イモリ属の繁殖戦略をめぐる研究は、JSECで科学技術政策担当大臣賞を受け、ISEF出場へつながった。清心女子で続けてきた飼育、産卵、発生観察の経験が、アカハライモリの繁殖戦略を問う研究へ引き継がれたのである。
一方、清心女子で一端終えたクローン作成の流れは、山脇有尾類研究所で、新規モデルとしてイベリアトゲイモリを用いる形で復活している。イベリアトゲイモリは、飼育下での産卵や胚の扱いやすさを含め、有尾類の発生研究を進めるうえで新しい可能性を持つ材料である。清心女子でのアカハライモリのクローン作成、有尾研でのアカハライモリの繁殖戦略研究、そしてイベリアトゲイモリを用いた発生操作への再挑戦は、同じ一本道の研究ではない。しかし、それらはいずれも、有尾類を高校生が継続して飼育し、繁殖させ、胚や発生を観察しながら、生命現象を自分たちの手で確かめようとしてきた研究の広がりとしてつながっている。
二〇一〇年度、SSH第Ⅰ期の最終年度を迎えた運営指導委員会でも、課題研究をどのように継続させるかが論点になった。生徒の研究は、発表会や受賞で一区切りがつく。しかし、研究対象そのものには、まだ答えきれていない問題が残る。自分たちの代で分かったこと、分からなかったこと、試した条件、うまくいかなかった条件、次に試すべき方法を、後輩が読める形で残すことが、発表や受賞と同じように重要であることが確認された。
研究を継承するとは、同じ題目を繰り返すことではない。前の学年が得た事実と失敗を読み、その方法を確かめたうえで、次の疑問を加えることである。花酵母研究では、採取と分類から、ツツジへの絞り込み、発酵能やセルロース分解能の検討、木質バイオマス利用への応用へと進んだ。有尾類研究では、幼生飼育から、人工繁殖、産卵行動、人工授精、発生段階、繁殖戦略へと進んだ。題目の変化は、研究が学校の中で積み重ねられていたことを示している。
未完成の研究を次の学年へ渡すことは、高校の中で研究を続けるための方法であった。生徒は、自分たちの研究が後輩に読まれ、使われ、修正されることを知る。そのとき、研究は発表会で終わる活動ではなく、学校の中に蓄積される営みになる。生命科学コースの課題研究では、発表で得られた評価だけでなく、記録を残し、次の学年が読み直し、条件を変え、問いを更新していく時間を教育課程の中に置いた。そこに、年度を越えて研究を学校に残す制度的な意味があった。
7 担任が生徒と一緒に授業を受けた
二〇〇六年四月、生命科学コースの一期生二十二名が入学してきた。生命科学コースの設置は、SSH指定を受ける前から決まっており、併設する清心中学校や岡山県内外の中学校にも説明が行われていた。しかし、SSH指定が決まったのは、入学の一か月ほど前であった。生徒たちは、生命科学コースを選んで入学してきたものの、SSHという言葉が自分たちの高校生活に何をもたらすのかまでは、まだ十分に分かっていなかった。
担任も同じであった。SSH第Ⅰ期生を最初の三年間担任したのは、数学科の教員であった。表向きは担任として生徒の前に立っていたが、担任自身も、SSHとは何か、新しいコースでこれから何が始まるのかを十分に見通せないまま、生徒を迎えることになった。どのように生徒と接し、どのように指導していけばよいのか、不安もあった。
その担任は、「生命科学基礎」「実践英語」「生命」の授業に、可能な限り出席した。担任席から生徒の様子を監督するためではなく、生徒と同じ視座で、一人の学習者として授業を受けるためであった。生徒と同じ話を聞き、同じ問いに向き合い、生徒がどこで戸惑い、どこで反応するのかを見ていた。
授業「生命」は、生物学的な知識を深めるだけの授業ではなかった。医療、研究、教育、社会活動など、さまざまな分野で活動する外部講師を招き、生命や生き方について考える時間であった。講師は、専門的な知識を伝えるだけでなく、自分がどのような迷いを経験し、どのような選択を重ねてきたのかを語った。講義は一方通行ではなく、講師が生徒に問いを投げかけ、生徒の応答を受けてさらに問いを重ねていく場面もあった。
担任は、その授業の中で、生徒が変わっていく姿を見ていた。最初は受け身で話を聞いていた生徒が、次第に自分の考えを持ち、問いに応答しようとするようになる。課題研究では、仮説を立て、観察や実験によってデータを集め、論理的に結論を導こうとする。一方、授業「生命」で扱う問題には、明確な正解が一つに定まらないものが多かった。医療、生命倫理、家族、死、生き方をめぐる問題では、立場や価値観の違いを受け止めながら、自分の考えをつくっていかなければならない。
ある講義のあと、生徒が「正解があると思っていました。でも、答えは一つではないと分かりました」と語った。この言葉は、授業「生命」の意味をよく表している。生命科学コースで学ぶ生徒に必要だったのは、正しい知識を得ることだけではなかった。答えが一つに決まらない問題に出会い、他者の言葉を聞き、自分の考えを持とうとする経験であった。
新しいコースに入った生徒には、期待だけでなく不安もあった。通常の授業に加えて実習や研究に取り組み、思うように結果が出ないまま時間が過ぎることもあった。研究が、受験勉強とは別の余分な活動として扱われれば、生徒は、忙しい学校生活の中でそれを続ける意味を見失いやすい。だからこそ、生徒のそばにいて、研究の進み具合だけでなく、疲れ、不安、戸惑い、友人関係、進路への迷いを見ている担任の存在が重要であった。数学科の担任が授業に同席し、生徒がどこで戸惑い、どこで反応し、どのように変わっていくのかを見ていたことには、大きな意味があった。担任は、研究内容を専門的に指導する立場ではなかった。しかし、生徒が研究と日常生活の間で揺れながら三年間を過ごしていく姿を見ていた。生命科学コースは、研究の成果だけで成り立つものではなかった。担任が生徒の日常に伴走したことで、生命科学コースは、時間割に置かれた科目の集まりを超えて、生徒が三年間をかけて学び、悩み、進路を考えていく場になっていった。
担任自身もまた、授業「生命」から多くを学んでいた。講師がどのように問いを投げかけるのか、生徒の意見をどのように受け止めるのか、対話を通して生徒の思考をどのように深めていくのか。その授業の進め方は、担任にとって、自分自身が教室で生徒と向き合う方法を見直す契機になった。
生徒は、課題研究では実験や発表に真剣に向かっていた。一方、授業「生命」では、迷い、考え、沈黙し、ときに笑いながら、自分の生き方を考えていた。生命科学コースの三年間では、科学を学ぶことと、生き方を問うことが、別々の経験として置かれていたわけではない。同じ生徒の学校生活の中で、実験に向かう時間と、自分の生き方を考える時間が重なり合っていた。
生命科学コースは、理科教員の研究指導だけで成り立っていたのではない。理科教員が研究を支え、英語科教員が発表と応答の言葉を育て、担任が生徒の日常の変化を受け止めた。「知識」「体験」「研究」を柱とする教育課程に、「生き方」を考える時間が通り、さらに担任が生徒とともにその時間を経験したことで、生命科学コースは、生徒が学び方や進路だけでなく、自分がどう生きるのかを考えていく教育の場になっていった。
8 「目」のデザインから「集まれ!理系女子」へ
二〇〇五年度、翌年度から生命科学コースを始めることは決まっていた。清心女子は中高一貫校であり、まずは併設中学校から高校へ進学する生徒たちに、新しく始まる生命科学コースが何を目指すのかを伝える必要があった。また、すでに高校で学んでいる生徒にも、自分たちの学校に新しいコースがつくられる意味を理解してもらいたいと考えた。SSHに採択されるかどうかは、まだ分からなかった。その段階で、生命科学コースという名称だけが先に伝われば、私たちが考えていたコースの真意が十分に伝わらないおそれがあった。
当時、多くの私立学校では、難関大学受験コースや医進コースなど、大学進学実績を前面に出したコースが、生徒募集のために立ち上げられていた。その中で、女子校に「生命科学コース」をつくると言えば、医学部や薬学部への進学を目指す受験対策型のコースとして受け取られる可能性があった。しかし、私が考えていた生命科学コースは、成績上位の生徒を集め、医学部や薬学部への合格者数を増やすためのコースではなかった。
伝えたかったのは、生命科学の分野に関心を持つ女子生徒を応援するコースであるということだった。清心女子でどのような学びに出会えるのか。生命、身体、医療、環境、生物、農学、薬学などの分野に関心を持ったとき、どのような進路を考えることができるのか。理系を選ぶことが、自分の生き方とどのようにつながっていくのか。生徒がそれを具体的に想像できる資料が必要であった。
そのためには、遠い存在としての研究者や大学教員の言葉だけでは足りないと思った。生徒にとって身近なのは、同じ清心女子で学び、生命科学分野へ進み、大学や社会で歩み始めている卒業生であった。そこで私は、生命科学の分野へ進学した卒業生や、社会で働き始めた卒業生に急いで原稿を依頼し、後輩へのメッセージを集めた冊子『大切なもの』を一か月ほどで編纂した。
この冊子は、生命科学コースの宣伝用パンフレットというより、これから高校へ進学する併設中学校の生徒や、本校で学んでいる高校生が、生命科学コースで何を学ぶのか、どのような進路があるのか、理系を選ぶことが自分の将来とどのようにつながるのかを考えるための資料であった。
私がつくろうとしていたのは、偏差値の高い大学へ進ませるためのコースではなかった。授業「生命」で生まれた問いを、観察、実験、調査、研究へつなぎ、生徒が自分の生き方と科学を結びつけて考えるための教育課程であった。そのことを、これから高校へ進学する併設中学校の生徒や、すでに高校で学んでいる生徒に伝えるために、この冊子が必要であった。
冊子の表紙と裏表紙には、大きな「目」をデザインした。これは抽象的に描いた目ではない。私が担任し、のちに生命科学分野へ進学した一人の生徒の左右の目をもとにしたものである。表紙には「大切なもの」という言葉を置き、冊子には、清心女子で学び、生命科学、医学、看護、薬学、農学、教育、研究、国際協力など、それぞれの場へ進んだ卒業生の言葉を集めた。理系に進むことは、受験科目を選ぶことだけではない。自分が何を見つめ、何を大切にし、どのように社会と関わって生きていくのかを考えることでもある。そのことを、生徒に伝えたかった。
この冊子に、渡邊和子理事長は "You are precious in My eyes." という言葉を寄せてくださった。私はその言葉を、生命科学コースの出発点に置かれたメッセージとして受け止めた。科学を学ぶ生徒は、点数や進学実績によって価値づけられる存在ではない。一人ひとりが、見つめられ、信頼され、自分の問いを持ってよい存在である。そのまなざしがあったからこそ、生命科学コースは、単なる理系進学コースではなく、生命を見つめ、自分の生き方を考える教育課程として始めることができた。
冊子を作る中で、女子生徒が理系に進むことをためらう背景には、能力の不足だけでは説明できない問題があると改めて感じた。身近なロールモデルが少ないこと、進路を肯定してくれる関係が弱いこと、同じように悩みながら科学へ向かおうとしている仲間が見えにくいことが、女子生徒の進路選択を難しくしていた。卒業生の文章を一冊にまとめるだけでなく、在校生、他校の女子生徒、大学生、女性研究者が実際に出会う場へ広げる必要があった。
その考えを、学校の外へ開いた場として実現しようとしたのが、二〇〇九年度に福山市で始めた「集まれ!理系女子 女子生徒による科学研究発表交流会」である。生徒が自分の研究を発表し、他校の研究を見て質問し、大学や研究機関で働く女性研究者と出会う。同じように科学へ進もうとしている女子生徒が他校にもいることを知り、研究を通して人間関係を広げる場をつくろうとした。
この「目」のデザインは、「集まれ!理系女子」の冊子表紙にも受け継がれていった。二〇〇五年に生命科学コースの出発点に置いた「目」は、清心女子の一人の生徒の存在から始まり、女子生徒の科学研究を支える発表交流会のシンボルになったのである。さらに二〇二三年九月、山脇有尾類研究所を開設したときの研究所紹介冊子の表紙にも、この「目」のデザインを用いた。生命科学コースの立ち上げ時に生まれたまなざしは、清心女子の枠を越え、女子生徒の研究を支える場へ、そして有尾類研究所へと受け継がれていった。
二〇〇九年度に始まった「集まれ!理系女子」は、一度の発表会で終わらず、開催地を京都、東京へと広げながら継続した。第1回は、参加者約二百七十人、参加校十四校、研究発表六十五件であった。その後、参加者数が二百六十人前後にとどまった時期もあったが、二〇一三年から再び増加し、慶應義塾大学で開催した二〇一五年の第7回には、参加者三百八十五人、参加校二十五校、研究発表九十八件に達した。参加校数は前年の二十七校が最も多かったが、参加者数と研究発表件数は第7回で過去最高となった。
この推移が示しているのは、発表会の規模が大きくなったということだけではない。当初は清心女子高等学校が呼びかけて始めた発表会が、開催を重ねる中で、学校や地域を越えて女子生徒が研究を持ち寄る場として定着していったのである。清心女子の生徒だけが研究成果を発表するのではなく、他校の生徒の研究を聞き、質問し、自分とは異なる分野の研究方法に触れる。同じように科学へ進もうとしている女子生徒と出会い、女性研究者の講演を聞くことによって、自分が科学の世界に進む姿を具体的に考える。その関係を、単発の講演ではなく、毎年継続する発表交流会としてつくったところに、「集まれ!理系女子」の意味があった。
二〇一七年の第九回交流会のアンケートでも、「他校の発表を見て刺激を受けた」「自分の課題研究を続けるうえで参考になった」「理系として進んでいく意欲が高まった」「女性が研究を続けることは十分に可能だと感じた」という回答が多く寄せられた。
清心女子の中では理系を志す少数の生徒であっても、全国には同じように実験を続け、失敗しながら研究に向き合っている女子生徒がいる。大学や研究機関には、その先を歩いている女性研究者がいる。「集まれ!理系女子」が生徒に与えたのは、発表技術だけではない。自分の研究を続けてもよいと思える関係であった。
9 全国トップクラスに到達した科学研究教育と、継承されない危険
前節で紹介した視察記録は、生命科学コースの教育課程が、授業、研究、実践英語、教員協働として数年のうちに形を持ったことを、外部の教員の目から示している。その上で、私がSSH主任として校内の研究開発を直接担った最後の年度である二〇一五年度を見れば、課題研究が特定の研究分野や一部の生徒に限られず、学校の中に広がっていたことが、学会発表や研究発表会の記録に具体的に表れている。
五月十六日の中四国地区生物系三学会合同大会では、「デンジソウの就眠運動についての研究」が植物分野の最優秀プレゼンテーション賞を受け、「ブナ人工林は天然林より多くのCO2を吸収するのか」が生態・環境分野の優秀プレゼンテーション賞を受けた。八月には、「バイオエタノール製造に利用できる酵母を求めて」が、高校生バイオサミットin鶴岡で農林水産大臣賞を受賞し、その二日後のスーパーサイエンスハイスクール生徒研究発表会でも、ポスター賞と生徒投票賞を受けた。同じ研究が、専門家による審査だけでなく、全国から参加した高校生からも評価されたことには意味があった。
九月には、日本植物学会で「デンジソウのアクアポリン遺伝子の解析」を発表し、日本動物学会の高校生ポスター発表では、「イモリのクローン作成を目指して」が優秀賞を受けた。十月には、「デンジソウの就眠運動の解析Ⅳ」が日本学生科学賞岡山県審査の県知事賞に選ばれ、十一月には、花から分離した酵母の研究が、日本薬学会、日本薬剤師会、日本病院薬剤師会の中国四国支部学術大会で優秀発表賞を受けた。植物の運動、遺伝子解析、森林の二酸化炭素吸収、野生酵母の機能、イモリの核移植という異なる研究を、生徒たちは植物学、動物学、薬学、生態学の専門家の前に持ち込み、自分たちのデータとして説明した。
研究領域は生物学だけに閉じていなかった。十一月の日本化学会中国四国支部化学教育研究発表会では、アルギン酸ボール、マスカット・オブ・アレキサンドリアの機能性、石けんの開発、食品中のアスコルビン酸オキシダーゼなどを扱った研究が発表された。また、宇宙エレベーターロボット競技会にも参加し、生物、化学、環境、工学を別々の領域として固定せず、生徒の関心から研究分野を広げていた。
十一月十七日の International Conference on BIODIVERSITY 2015 では、絶滅危惧サンショウウオの飼育下繁殖、両生類の核移植によるクローン作成、森林の多様性と二酸化炭素吸収、外来種ミシシッピアカミミガメが在来カメ類へ及ぼす影響について英語で発表した。そのうち、森林の多様性と二酸化炭素吸収の研究と、外来カメ類の研究は Best Poster Award を受けた。海外での研修を経験するだけでなく、自分たちが集めたデータを英語で示し、国際会議で質問を受けるところまで、課題研究と実践英語が結びついていた。
十二月には、「CO2をより多く吸収するのは天然林か、人工林か?」が高校生科学技術チャレンジの最終審査で優等賞を受け、「デンジソウの就眠運動の解析Ⅳ」は日本学生科学賞中央最終審査で科学技術政策担当大臣賞を受賞した。同じ月のサイエンスキャッスル関西大会には、銅の微量金属作用、アルギン酸ボール、マスカットの廃棄部位、食品中の酵素などの研究に加え、色と記憶力、ロゴマークの比率、斜面を下るボール、麺がのびる現象、水しぶき、チョコレートの融解など、日常生活の中で生まれた多様な問いを持つ生徒が参加した。
この一年の記録で重要なのは、受賞数の多さだけではない。一つの優れた研究を学校全体の成果として示したのでも、一人の教師の専門分野へ生徒を集めたのでもなかった。身近な植物の動きから遺伝子へ進んだ研究、森林実習の測定から地球環境問題へ進んだ研究、花から分離した酵母をエネルギー問題へ結びつけた研究、長年の有尾類飼育を核移植へ発展させた研究、食品や身の回りの現象から生まれた研究が、複数の教員の指導によって並行して進められていた。
二〇〇六年に生命科学コースを開設した時点で目指していたのは、少数の優秀な生徒を全国大会へ送り出すことではなかった。生徒が身近な対象に気づき、観察し、実験し、結果をまとめ、専門家や他校の生徒から問い返され、研究を次の学年へ渡す仕組みを、学校の教育課程の中につくることであった。二〇一五年度の研究発表の広がりは、その仕組みが十年を経て、複数の研究領域と複数の発表の場を持つまでになっていたことを示している。
二〇一一年十二月、第九回高校生科学技術チャレンジ(JSEC)の最終審査会でアジレント・テクノロジー賞を受けた生徒は、ISEF日本代表に選ばれた三研究には入らなかったが、翌年、アメリカで開かれたISEFの視察に派遣された。世界各国の高校生が、自分の研究を英語で説明し、審査員の質問に答える場を、生徒と教師が実際に見たことは、その後、清心女子が国際大会を目指すうえでの出発点になった。
その後、清心女子からISEF日本代表に選出された研究は、二〇一六年、二〇一八年、二〇二〇年、二〇二二年、二〇二四年、二〇二五年の六研究に及び、二〇一八年には花酵母研究が微生物学部門のグランドアワード四等を受賞した。JSECでは、第九回(二〇一一年度)から第二十三回(二〇二五年度)までの十五大会のうち十四大会で受賞し、日本学生科学賞の中央最終審査でも、二〇〇九年度から二〇一七年度までに五回入賞し、二〇一五年度には科学技術政策担当大臣賞を受賞した。異なる生徒、異なる研究分野で、国内の二つのISEF提携大会と国際大会への進出が十年以上続いたことから、清心女子の科学課題研究が全国トップクラスに位置していたことは、抽象的な評価ではなく、外部審査の記録によって確認できる。
このような生徒の研究活動を生み出した教育課程は、学校内部の成果としてだけでなく、視察者、科学教育関係者、文部科学省からも検討され、評価された。清心女子高等学校のSSHは、第Ⅰ期、第Ⅱ期の中間評価で、いずれも「現段階では、当初の計画通り研究開発のねらいを十分達成している」という最上位区分に位置づけられた。第Ⅱ期では、研究の計画性と成果分析、科学英語研究会や理科教材研究会を通した他校との情報交換、成果の普及が評価され、第Ⅰ期でも、女子の理系進学支援、教材開発、研究成果の共有と継承が評価された。花酵母研究や有尾類研究の成果だけでなく、それを生み出し、他校へ伝え、次の生徒へ残す仕組みが評価の対象になっていた。
外部からの評価は、私がSSH主任として校内で研究開発を担った時期の終わりから、清心女子を離れた後にも続いた。二〇一六年二月には、生物部が岡山ESDプロジェクトの「ESDの10年」貢献賞を受けた。生命を観察し、地域や自然環境に出て調べ、その結果を他者へ伝える活動が、学校内部の研究にとどまらず、持続可能な社会を考える教育として評価されたのである。同年九月には、私は岡山県私学協会から功労者表彰を受けた。
その後、大学で理科教育に携わるようになった二〇一七年には、清心女子で構築してきた科学教育が、二つの異なる観点から評価された。九月、日本動物学会から、「動物科学」を中心に据えた女子生徒の理系進学支援の教育プログラム開発と実践に対して、動物学教育賞を受けた。有尾類をはじめとする動物の観察と研究を、教材や部活動の範囲にとどめず、女子生徒が科学研究へ進む教育課程へ発展させたことが評価された。
同年十一月には、第六十六回読売教育賞のカリキュラム・学校づくり部門で、「科学課題研究」を中心に据えた女子の理系進学支援教育プログラムの開発が最優秀賞に選ばれた。ここで評価されたのは、一つの研究テーマや生徒の受賞実績だけではなかった。授業「生命」、生命科学コース、自然体験、科学課題研究、実践英語、研究発表、女性研究者や他校との交流を結び、女子生徒が自分の問いを持って科学の世界へ進む教育課程を学校の中につくったことが、カリキュラムと学校づくりの実践として評価されたのである。
二つの賞は、それぞれ異なる側面から清心女子の科学教育を評価したものであった。日本動物学会は、動物科学の研究と教育を接続した点を評価し、読売教育賞は、それを科学課題研究を中心とする学校の教育課程へ発展させた点を評価した。私が清心女子を離れた後にこれらの賞を受けたことは、そこで築いた教育が、在職中の自己評価や学校内の広報ではなく、学校の外から検討され、異なる専門領域において意味を認められたことを示している。
二〇〇六年度、学位を持たなかった私はSSH主任となり、授業「生命」を基盤に生命科学コースを開設し、二〇一五年度まで校内でSSHの研究開発を直接担った。二〇一六年に清心女子を離れ、同年十二月から大学で理科教育に携わった後も、清心女子高等学校のSSH顧問として、第Ⅳ期の申請を含め、二〇二二年三月まで助言を続けた。したがって、清心女子が第Ⅰ期から第Ⅳ期まで四期連続でSSHの指定を受けた歴史は、私が同じ役職で二十年間運営し続けた歴史ではない。校内で生命科学コースとSSHの仕組みをつくり、直接運営した時期と、学校を離れた後に外部からその継承と次期申請を支えた時期とによって成り立っている。
SSHで蓄積された課題研究の考え方が、学習指導要領の「理数探究」などにも位置づけられる時代になった現在、清心女子でつくった実践は、その役割を終えたのではない。むしろ、どのように研究時間を確保し、複数の教員が指導し、記録を継承し、外部研究者とつなぎ、失敗を含む研究を教育として認めるのかという経験を、検証可能な形で残す必要がある。
しかし、二〇二七年度の共学化を控える中で、生命科学コースを中心に二十年間積み上げてきた教育が、誰によって、どのような形で引き継がれるのかは明確ではない。学校が安全で説明しやすいコース編成や広報上の分かりやすさを優先すれば、結果が出るまで時間がかかり、飼育や観察や外部連携を必要とする課題研究は、再び一部の教員の献身に戻される。SSHの指定が続いたことと、そこで生まれた教育が学校文化として継承されることは同じではない。
この二十年間の過程を書き残す目的は、受賞歴を自分の功績として並べることにあるのではない。二〇〇六年の時点で学位を持たず、校内で目立たない形で有尾類研究を続けていた一人の理科教師が、SSH採択を機に、授業、実習、課題研究、英語、大学連携、発表、研究継承を教育課程として組み立て、全国トップクラスの科学研究教育まで進めることができた。その事実を、学校が変化の時期に入る今、検証可能な記録として残しておきたい。理科教員が自ら研究対象を持ち、生徒とともに事実を追い、必要な制度を学校へ提案することで、学校教育は変えられる。その可能性と、継承を怠れば失われる危険の両方を、次の教員へ渡すためである。
清心女子高等学校では、生命科学コースとSSHによって、課題研究を学校の教育課程の中に置くことができた。しかし、その仕組みは、担当者の異動や退職、学校経営の方針転換によって弱くなる危険も抱えていた。SSHの指定が続くことと、そこで生まれた教育が学校文化として継承されることは同じではない。生徒が問いを持ち、観察や実験を続け、他者から問い返され、記録を次の学年へ渡していくためには、一つの学校の内部だけに依存しない支えが必要になる。
そこで次に必要になったのは、複数の高校、大学、地域、行政を結び、担当者が替わっても研究指導の経験と発表の場を共有できる仕組みであった。清心女子で始めた女子生徒の科学研究発表交流会は、学校を越えて生徒の研究を支える場をつくる試みであった。その経験は、宮崎北高等学校のSSH第Ⅳ期申請に関わる中で、県内の高校生と教員を支えるMSECの構想へとつながっていく。次章では、清心女子で見えてきた研究継承の課題が、宮崎県の公立高校を中心とする県域の制度へどのように組み替えられていったのかを見ていく。













