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⑧ 海外研修という教育 ―問いが世界とつながるとき―

1 海外研修とは何のために行うのか
 海外研修とは、何のために行うのか。この問いに対して、学校教育の中では、英語を使うこと、異文化を体験すること、国際感覚を育てること、視野を広げること、海外の大学や学校と交流することなど、いくつもの答えが用意されている。どれも間違ってはいない。むしろ、それらは海外研修が持つ大切な要素である。
 私が大切にしたかったのは、それらの経験が、生徒の中でどのような問いに変わるのかということであった。水道の水が飲めること、日本語で説明を受けられること、時間割に沿って授業が進むこと、試験や成績や進路指導が学校生活を形づくっていること、身近な森や川を「日本の自然」として見ていること。そうした日常は、生徒にとってあまりにも身近であるために、ふだんは改めて考える対象になりにくい。海外の自然や社会に触れると、その日常が少しずつ問い直されていく。言語が異なり、食べ物も、空気の湿度も、森の匂いも、生物の姿も違っている。大学の学生の振る舞い、研究者の語り方、宗教の存在感、人々の時間感覚や自然との距離も、日本で慣れ親しんできたものとは異なる。そうした違いに出会うことで、生徒は、自分がこれまで「普通」だと思っていた生活や学校や自然の見方を、外側から見直し始める。海外研修の意味は、その気づきから、自分の生活や学びを問い直すところに生まれる。
 この気づきから、問いが生まれる。なぜ、マレーシアの森林は日本の森林とはこれほど違うのか。なぜ、熱帯雨林にはこれほど多様な生物が生きているのか。なぜ、同じ地球温暖化という問題が、日本では森林管理やエネルギーの問題として語られ、東南アジアでは熱帯雨林の伐採、生物多様性、開発、貧困、観光と結びついて現れるのか。そして、生徒は現地の学生との交流を通して、自分たちと同じように笑い、同じように悩む若者が、異なる社会的課題の中で学んでいることに気づく。環境問題は国境を越えてつながっている。しかし、日本の学校生活の中だけで学んでいると、その問題がどこで、誰の生活と結びつき、どのような社会の中で起こっているのかは見えにくい。
 海外研修は、そのつながりを、生徒が自分の目で確かめる経験であった。熱帯雨林、生物多様性、開発、観光、貧困、現地の学生の学び、研究者の取り組みが、別々のものではなく、一つの場所で結びついていることを知る。そのとき、生徒の中に問いが生まれる。自分たちが日本で学んできた環境問題は、世界のどこで、誰の生活とつながっているのか。自分たちの研究や学びは、その問題とどのように関わることができるのか。海外研修の教育的な意味は、こうした問いが生徒の中に立ち上がるところにある。

2 観光ではなく、問いを持つ研修へ ― ハワイ・マウイ島とエイズ学習 ―
 海外研修では、異なる自然や社会に触れることで、生徒がこれまで当たり前だと思っていた見方が揺さぶられる。その揺さぶりの中から、自分の生活や学びを問い直すきっかけが生まれる。私は、海外研修を旅行会社が企画する単なる語学研修にしたくなかった。
 一九九九年、学校改革のためのアンケートを委員長としてまとめる中で、私は、社会が大きく変化する時代に、清心女子高校は生徒にどのような学びを用意すべきなのかを改めて考えることになった。その調査は、生徒だけでなく、教員や保護者の声も聴きながら、清心の教育がこれから何を大切にし、どのような生徒を育てようとするのかを問い直すものであった。そこから見えてきたのは、学校は知識を教えるだけの場所ではなく、生徒が自分の生き方や社会との関係を考える場でなければならないということであった。授業「生命」は、生徒が生命、身体、性、人権、社会との関係を考える学びを、教育課程の中に位置づける試みとして生まれた。そして海外研修もまた、その延長上にあった。
 海外へ行くことの意味は、英語を使うことや異文化を体験することだけではない。生徒が、自分とは異なる社会、異なる自然、異なる価値観に触れ、自分の生き方や学び方を問い直すことにあった。つまり、海外研修は、学校改革の中で生まれた学びを、学校の外の自然や社会へつなげる場であった。この思いは、かなり早い時期から私の中にあった。海外へ行き、美しい風景を見て、買い物をし、現地の学校で歓迎され、英語の授業を受け、「楽しかった」「よい経験だった」と感想を書いて終わる。それでは、教育としては浅い。もちろん、生徒にとって楽しい記憶が残ることは大切である。しかし、楽しかったという記憶だけでは、問いは残らない。問いが残らなければ、その経験は生徒の生き方や学び方を変えるところまでは届かない。
 一九九〇年代、ハワイ・マウイ島への海外研修に生徒を引率したとき、私は生徒たちに事前学習としてエイズに関する資料を与えた。このエイズ学習は、海外研修のために急に用意したものではなかった。その背景には、一九九二年度、高校三年生の生物の授業で、三クラス約百名全員とともに、英語で書かれたエイズに関するペーパーバックを翻訳する試みを行っていたのである。私は英語の教師ではなかった。エイズの研究者でもなかった。生徒より少し多く関連する本を読んでいるだけの生物教師であった。だから、この授業は、教師が完成された知識を生徒に伝える授業ではなかった。私自身もまた、生徒とともに学ぶ一人の学習者であった。一人ひとりに一、二ページを分担させ、英文を貼ったルーズリーフと翻訳用のルーズリーフを配り、前後の文脈を相談しながら訳すようにした。専門用語や性に関わる言葉について、生徒たちは遠慮なく質問した。父親と一緒に訳した生徒もいた。英語科の教師に質問に行った生徒もいた。受験を目前にした高校三年生であったが、「英語力と知識の両方が得られる」と、予想以上に生徒たちは楽しそうに取り組んだ。教室には、通常の授業とは違う打ち解けた空気が流れていた。
 この経験は、私にとって大きかった。エイズは、医学的な知識だけで扱える問題ではなかった。性、差別、人権、宗教、家族、社会制度が重なっていた。翻訳という作業を通して、生徒は単に英語を日本語に置き換えたのではない。言葉の背後にある人間の痛みや偏見に触れ、自分ならその言葉をどう訳すのかを考えたのである。そこには、海外研修に通じる教育の原型があった。世界の問題を、教師が整理して説明するのではなく、生徒自身が自分の言葉で受け止め直す。その経験が、後の海外研修の事前学習にもつながっていった。英文パンフレットの翻訳も課題とした。現地では、エイズについての講義を依頼した。海外研修を、英語を使う場、生活を体験する場にとどめず、社会の中にある具体的な問題に向き合う場にしたかったからである。エイズという問題は、単なる医学的知識の問題ではなかった。感染予防の問題であり、性の問題であり、人権の問題であり、偏見と差別の問題であり、他者とどう共に生きるかという倫理の問題であった。日本の教室で学んだエイズと、現地で語られるエイズは同じではない。日本では知識として理解したつもりでいたことが、現地では人の生活、痛み、制度、文化、宗教、価値観と結びついていた。
 このとき、私の中で海外研修の意味がはっきりした。日本の教室で学んだエイズという問題を、現地の講義や英文パンフレットを通して受け止め直すと、生徒の理解は別の文脈に置かれる。感染症として知っていたことが、人の生活、痛み、制度、文化、宗教、価値観と結びついて現れる。生徒は、自分の理解が通用する部分と、現地の現実の前で考え直さなければならない部分に出会う。自分が正しいと思っていたことが、別の社会では別の重さを持つことを知る。この経験に、海外研修の教育的意味があった。

3 体験は、問いになるとき教育になる ― 南西諸島・森林実習・自然探究の流れ ―
 第Ⅲ部では、ここまで自然体験がどのように問いへと変わるかを描いてきた。
 南西諸島での体験は、生徒に、自然が単なる風景ではないことを教えた。島嶼環境、亜熱帯の生態系、サンゴ礁、マングローブ、人間の生活と自然の距離。そこでは、日本本土の自然とは異なる時間と空間が広がっていた。自然は、見る対象ではなく、問いを生む場所であった。森林実習では、その問いがさらに具体化した。岡山県内の森林に入り、樹木を見分け、樹高を測り、胸高直径を測り、年輪を読み、森林の二酸化炭素吸収量を推定する。そこでは、自然を感じるだけではなく、自然を測り、記録し、考察するという研究の入り口が開かれた。さらに久米島での実習や、マレーシアでの国際学会発表へと展開することで、生徒の問いは、地域の自然から地球環境問題へ広がり、自分たちの調査や考察を他者に向けて語る段階へ進んでいった。
 第六章では、南西諸島の自然に身を置き、サンゴ礁、マングローブ、島嶼環境、人間の生活と自然との距離に触れることで、生徒の問いが生まれた。第七章では、その問いが、森林を測定し、記録し、考察する方法を得た。そして本章では、その問いが、海外の自然、大学、研究者、同世代の学生、地球環境問題と出会い、国境を越えた学びへと広がっていく。
 教育現場では、しばしば「体験が大切である」と語られる。私もそのことに異論はない。生徒が実際の自然に身を置き、自分の目で見て、身体で感じることには大きな意味がある。ただし、体験は、そのままでは楽しかった記憶や強い印象として残るだけの場合もある。珍しかった、大変だった、感動した、という感想が生まれることも大切である。しかし、その経験が生徒の学びを深めるためには、そこから問いが生まれなければならない。自然を見たときに「きれいだった」で終わるのではなく、なぜその自然がそこに成立しているのかを考える。生物を見たときに「珍しい」で終わるのではなく、その生物がどのような環境条件の中で生きているのかを考える。現地の学生と交流したときに「楽しかった」で終わるのではなく、なぜ言葉や文化が違っても協働できたのかを考える。社会問題を見たときに「大変そうだ」で終わるのではなく、自分の生活とどのようにつながっているのかを考える。体験が問いへと移るとき、その経験は生徒の学びを変えていく。
 清心女子高校の生命科学コースで取り組んできた自然探究の流れは、この転換を目指したものであった。自然探究Ⅰでは森林実習を通して、自然を体感するだけでなく、森林を測定し、データ化し、二酸化炭素吸収量を推定するところまで進めた。自然探究Ⅱでは、南西諸島での環境学習を通して、亜熱帯の自然、サンゴ礁、マングローブ、島嶼環境を身体で受け止めながら、自然と人間の関係を考えた。そして自然探究Aでは、海外の大学と連携し、地球環境問題を国境を越えた共同の問いとして扱う方向へ進んだ。ここには、一つの明確な思想がある。自然は、感動の対象にとどまらず、問いを生む場である。体験もまた、思い出づくりではなく、問いを立ち上げるための入口である。だからこそ、海外研修は国際交流の飾りではなく、問いを世界へ開くための制度であった。

4 熱帯雨林が突きつける問い ― マレーシア研修と環境問題の複雑さ ―
 マレーシア研修では、生徒は熱帯雨林の自然に直接触れた。マレーシアという場所は、日本の生徒にとって、自然の豊かさと環境問題の複雑さを同時に受け止める場であった。清心女子高校のマレーシア研修は、SSH申請前の段階ですでに準備にしていた。
 きっかけは、二〇〇五年度の日本爬虫両棲類学会で、マレーシアの研究者の発表を聞いたことである。その発表に親近感を持った私は、研究者の所属するサバ大学熱帯生物学・保全研究所、Institute for Tropical Biology and Conservation(ITBC)に連絡を取った。二〇〇六年三月、私はサバ大学を訪問し、「高校生の国際交流を中心にした研修ではなく、若い世代に環境問題に目を向けてもらうきっかけになるような研修をさせたい」と伝えた。サバ大学の研究者はその意図を真摯に受け止めてくださり、連携した教育プログラムを翌年三月に実施することが決まった。この時点では、清心女子高校はまだSSHに採択されていなかった。二〇〇六年度に開設することが決まっていた生命科学コースの教育プログラムとして、海外研修を構想していたのである。
 SSH事業への採択の連絡が届いたのは、私がサバ大学を訪問して帰国した翌日であった。したがって、この海外研修の企画は、四月から始まるSSH事業への取り組みの最初の一歩にもなった。最初の研修地は、赤道直下の島、ボルネオ島のマレーシア国サバ州であった。そこでは、生物多様性と生態系保全活動を、大学の研究者から直接学ぶことを目指した。
 サバ大学は、正式名称をUniversiti Malaysia Sabah(UMS)という。ボルネオ島サバ州にある総合大学で、一九九四年に公立大学として創立された。コタキナバル市街地から近く、海と緑に囲まれた広大なキャンパスを持ち、熱帯生物学・保全研究所や海洋生物研究所などの研究所を有している。とくに熱帯生物学・保全研究所は、東南アジア地域における生物多様性と保全研究の重要な拠点であった。二〇〇六年度から二〇一一年度まで、サバ大学ITBCと連携したサバ州での研修は、ほぼ同一の内容で継続した。しかし、二〇一三年二月、サバ州南東部ラハ・ダトゥ地区で、フィリピン側からの武装集団の侵入事案が発生した。そのため、サンダカン地域やスカウ地域に行くことができなくなり、研修内容の変更を迫られた。そこで急遽、ジョホール州のマレーシア国立ツン・フセイン・オン大学、Universiti Tun Hussein Onn Malaysia(UTHM)の研究者に依頼し、後半二日間の実習を担当していただくことになった。こうして二〇一三年度から二〇一五年度までは、ITBCとUTHMの二つの大学と連携した研修へと変わっていった。
 サバ州は、熱帯雨林の豊かさを学ぶ場であると同時に、その森林が伐採や荒廃によって変化している現実を知る場でもあった。森林の変化は、ゾウなどの希少動物にも影響を及ぼしていた。その一方で、州立公園、野生生物保護区、サンクチュアリ、自然保護地域の設定、オランウータン・リハビリセンターの活動など、自然環境や野生動物を守るための取り組みも行われていた。生徒は、豊かな自然を見るだけでなく、その自然をどのように保全し、どのような制度や研究によって支えていくのかを学ぶことになった。ジョホール州にあるUTHMは、マレー半島南端部に位置する科学技術系の大学である。一九九三年に公立大学として創立され、機械製造、電気電子、応用理工、コンピュータサイエンスなどの学部を持つ。サバ大学との連携が熱帯生物学と生物多様性保全を中心としていたのに対し、UTHMとの連携は、環境学習を工学、応用科学、大学生との共同実習へ広げる契機になった。マレーシアという場所は、日本の生徒にとって、自然の豊かさと環境問題の複雑さを同時に受け止める場になっていった。
 マレーシアの熱帯雨林や川辺に身を置くと、まず、日本の森林とは異なる生命の多様性に圧倒される。高い樹木の下に別の樹木があり、葉が幾重にも重なり、つる植物が絡み、湿った空気の中に光が差し込む。足元には昆虫が動き、川辺にはオオトカゲやワニの気配があり、樹冠にはサイチョウの姿が見える。日本では図鑑や動物園で出会うような生き物が、そこでは森や川の中で実際に生きている。生物多様性は、種数の多さを示す概念としてだけでは理解できない。現地に立つと、それは、生命が重なり合い、それぞれの場所で生きている状態そのものなのだと感じる。その豊かさは、人間の活動によって揺らぐものでもある。森林が伐採されれば、生物は棲み場所を失う。パームオイルの原料となるアブラヤシ農園が拡大すれば、熱帯雨林は農園へと変えられ、野生動物の生息地は減少し、分断されていく。開発が進めば、流域の環境も変わる。地球温暖化が進めば、気温や降水の変化が生態系を揺さぶる。熱帯雨林は、豊かな自然そのものとして存在すると同時に、農業、経済活動、開発、観光、教育、研究、国際協力と結びついた場所でもある。
 生徒がマレーシアの森を見て、「この自然を守らなければならない」と感じることは自然である。その感覚は、環境問題を考える出発点になる。しかし、現地に立つと、森を守るという言葉は、簡単には言い切れない重さを持っていることが見えてくる。その森には、そこに暮らす人々の生活があり、経済発展への願いがあり、保護区を管理する制度があり、大学で研究する学生たちの努力があり、観光や国際的な環境政策も関わっている。自然を守るとは、誰が、どの立場で、どのような知識と責任をもって語ることなのか。その問いが、マレーシアの森を前にしたときに生まれる。
 二〇一三年、清心女子高校がマレーシア研修を行っていた頃、マレーシアは大きな転換期にあった。朝日新聞は、ナジブ首相による下院解散を報じ、独立以来続いてきた与党連合・国民戦線に対して、本格的な政権交代の可能性が生まれていると伝えていた。記事では、与党幹部の汚職疑惑、マレー系を優遇するブミプトラ政策への反発、若者のインターネット世論の拡大が、長期政権を揺さぶっていると分析されていた。同時に、マレーシアは日本企業が多数進出する重要な経済拠点でもあり、日本からの直接投資も大きく伸びていた。
 生徒たちが訪れたマレーシアは、熱帯雨林の豊かな国であると同時に、経済成長、民族政策、政治の変化、若い世代の意識、国際投資、観光、森林利用が複雑に結びつく社会でもあった。そのような社会の中に、熱帯雨林が存在していた。だから、森林は大切である、二酸化炭素を減らすべきである、生物多様性を守るべきである、という考えは正しくても、その理念を現実の社会の中でどのように成立させるのかを考えなければならない。現地に立つことで、生徒は、環境問題が自然科学の知識と社会の条件の両方に関わる問題であることを受け止めていった。ここで、問いが生まれる。科学は何のためにあるのか。環境を測定することは、社会を変える力になるのか。高校生が調査したデータに意味はあるのか。国境を越えて協働するとは、どういうことか。自分たちは、地球環境問題の傍観者なのか、それとも当事者なのか。マレーシア研修は、こうした問いを立ち上げる場であった。大学を訪問し、研究施設を見学し、講義を聞き、文化体験をすることにも意味がある。さらに、森林に入り、同じ場所に立ち、同じ樹木を見て、同じデータを記録するとき、生徒は受け身の訪問者から、問いを共有する当事者へ変わっていく。
 この共同性は、日本の生徒だけのものではなかった。マレーシアから来た学生の一人は、蒜山の森で「こなら」「すぎ」「くろもじ」「くり」という日本語を一生懸命覚えたと書いている。彼女は、日本の高校生や大学生とともに十二種類の植物の葉を観察し、その名前を覚えた。木の年齢を調べ、森林が吸収する二酸化炭素について学び、地球温暖化について真剣に考えなければならないと受け止めていた。私が強く心を動かされたのは、彼女が研究内容だけでなく、生活そのものを書いていたことである。毎朝、一緒に掃除をする。同じものを食べる。ハラールのみそ汁を食べる。食事のあと、一緒に皿を片づける。日本の風呂に驚く。そうした小さな生活の共有が、彼女の中で「みんなといっしょのせいかつは、とてもたのしかったです」という言葉になって残っていた。
 さらに、その交流は一方向で終わらなかった。翌年三月、日本の女子高校生がマレーシアを訪れたときには、今度は日本を訪問したマレーシアの学生がレダンの山を案内し、現地の植物や動物を紹介した。彼女は、日本の自然について学ぶことがたくさんあったと書き、同時に、日本の学生にマレーシアの自然をもっと教えたいとも書いている。学ぶ側と教える側が固定されず、日本の生徒が学び、マレーシアの学生も学び、次には互いの自然を案内し合う関係へと変わっていったのである。測定方法を確認し合い、誤差を減らそうとし、樹種の同定で迷い、数値の扱いに悩む。そこでは、国籍や言語の違いよりも、目の前の対象にどう向き合うかが重要になる。科学には、この力がある。科学は、抽象的な国際交流の理念ではなく、具体的な対象を介して人と人を結びつける力を持っている。樹木を測るという行為は単純に見える。しかし、その単純な行為の中に、共同性の基礎がある。測定値は、一人の感想ではなく、他者と共有できる形を持つ。方法をそろえなければ比較できない。記録を残さなければ検証できない。誤差を意識しなければ信頼できない。つまり、科学的調査は、他者とともに世界を見るための技術でもある。
 岡山県内の森林実習では、生徒は森を測ることを学んだ。久米島では、島の自然を別の視点から見つめた。マレーシアでの国際学会International Conference on BIODIVERSITY 2015の発表では、自分たちの研究を他者に向けて語ることを経験した。そして海外研修では、測ること、語ること、聞くこと、考えることが、国境を越えた共同の営みになる。自然を感じることから始まった学びは、自然を測ることへ進み、さらに、測定したことを他者と共有し、世界の問題として考えるところまで広がっていった。

5 英語は、科学を語るための言葉である -実践英語の実践-
 国境を越えて共同で学ぶためには、言葉が必要になる。英語で説明し、質問し、議論する力は、海外研修において欠かすことができない。清心女子高校で私が育てたいと考えていたのは、自分とは異なる背景を持つ人と、同じ対象を見つめ、同じデータを扱い、同じ問いを考えるために英語を使う力であった。
 英語を科学の言葉として使うためには、授業の中に、実際に英語で考え、説明し、質問に答える場を用意する必要があった。生命科学コースでは、この考えに基づいて「実践英語」を設計した。実践英語は、生命科学分野の問題を題材に、ディベートやプレゼンテーションを行いながら、科学を英語で語る力を育てる科目であった。高一では、生態系の階層構造や生物の相互作用を扱い、観察したことを説明し、理由を述べるための表現を学ぶ。高二では、環境保全や環境問題を題材に、根拠を示しながら自分の考えを述べ、相手の意見に反論し、質問に応答する力を育てる。高三では、自分たちが取り組んでいる課題研究について英語で発表し、質疑応答に対応する。そこにあったのは、英語を知識として学ぶ授業ではなく、科学を他者に向けて語るために英語を使う授業であった。
 海外研修が育てるべきものは、流暢な会話以前に、他者とともに問いを持つ力である。この考え方は、授業の中だけにとどまらなかった。生命科学コースでは、英語ネイティブ教員を担任として配置し、ホームルーム、清掃活動、教室内掲示、個人面談など、学校生活の中で英語に触れる機会を意図的に増やした。英語を話す相手は、特別な授業の中だけに現れる存在ではなく、日常をともに過ごす担任であった。生徒は、英語を正解・不正解で評価される対象としてではなく、他者と関わるための言葉として経験していった。
 実践英語で育てようとした力は、海外研修の中で実際に使われた。マレーシアUTHMとの研修では、生徒は熱帯雨林の生態系や植物・動物の多様性について講義を受け、フィールドワークを行い、その日の学習を要約し、感想や意見を共有し、最後には研修内容を英語で発表した。マレーシアの大学生との自然環境学習では、混合グループで森林調査を行い、調査結果を英語で発表した。研修中も、英語を使いながら相談し、確認し、記録し、考えを伝え合った。ここで英語は、同じ対象を測り、同じ問いを考え、調査結果を他者に伝えるための言葉として働いていた。
 清心女子高校で行ってきた海外研修には、もう一つ重要な意味があった。それは、女子生徒が科学を担う主体として世界に向かう経験であったという点である。日本の学校教育の中で、女子生徒が理系を選択し、科学を深く学び、研究に取り組み、発表し、海外の研究者や学生と議論する姿は、十分に用意されてきたとは言いにくい。問題は、女子生徒の能力ではなく、そのような経験を当たり前のものとして積み重ねる環境にあった。だから、女子校で科学教育に取り組むことには、特別な意味があった。女子だけの環境は、女子生徒が安心して問いを持ち、実験し、発表し、失敗しながら研究に向かう出発点になりうる。森に入り、樹木を測り、データを解析し、研究発表を行い、海外の大学生と共同調査をする。その経験を重ねる中で、女子生徒は、自分たちが科学を行う主体であることを身体で受け止めていった。理系進学支援は、理系学部への進学者を増やすこと、理科への興味を高めること、ロールモデルを示すこととして語られることが多い。私はそこに加えて、女子生徒が自分の問いを持ち、その問いを科学の方法で追究し、得られた成果を他者に向けて語る経験を重視した。進路を選ぶ前に、自分が科学の場に立ってよいのだと感じられることが必要だったからである。
 海外研修は、その経験を学校の外へ広げる場であった。国内の発表会で研究を語っていた生徒は、海外の大学、熱帯雨林、国際学会、現地の学生、異なる社会の中で、自分の問いを置き直すことになる。日本の森で測ったことが、マレーシアの森を見る目につながる。学校でまとめたデータが、海外の学生との共同調査や英語での発表につながる。そのとき生徒は、自分の研究が学校の中だけで完結するものではなく、世界の問題とつながりうることを実感する。理系に進むかどうかは、最終的には一人ひとりの選択である。しかし、その選択の前に、科学を自分とは遠い世界のものとしてではなく、自分が関わることのできる営みとして感じる経験が必要である。海外研修は、その感覚を身体で確かめる場であった。

6 有尾類研究所から世界へ ―フィリピン・マレーシア研修の再構成―
 山脇有尾類研究所で再び海外研修を立ち上げようとしたのは、清心女子高校での経験を、山脇学園の新しい教育制度の中で受け継ぎ直すためであった。清心女子高校では、南西諸島での環境学習、マレーシアでの森林調査、海外の大学や学生との交流を通して、生徒の問いを日本の学校の外へ広げてきた。その経験は、山脇有尾類研究所を開設したとき、もう一度別の形で必要になった。有尾類研究所で生まれる問いを、学校の飼育室や実験室から、野外の環境、地域の保全、アジアの生物多様性へ開いていくためである。
 この海外研修は、山脇学園高等学校が二〇二四年度に採択されたスーパーサイエンスハイスクール事業の中にも、「アジアにおける環境学習・研修事業の展開」として位置づけられていた。そこでは、生物多様性の高いアジア地域において、マレーシアのUTHM、フィリピンのUPLBなどの大学と連携し、国際的な視野から環境問題を考える研修を実施することが構想されていた。こうして、清心女子高校で取り組んできた海外研修は、山脇有尾類研究所という新しい制度の中で、SSH事業の一部として再び立ち上がることになった。二〇二六年三月には、フィリピン大学ロス・バニョス校と連携した第一回フィリピン海外研修を実施した。同年八月には、マレーシア国立トゥン・フセイン・オン大学と連携した第一回マレーシア海外研修の実施を予定するところまで進んだ。
 有尾類研究所は、イモリやサンショウウオを飼育し、観察し、実験し、発表する場所である。同時に、生命、環境、倫理、研究、社会をつなぐ教育の構造でもある。そこで扱う有尾類は、生命の時間、繁殖の戦略、環境への適応、生物多様性の危機、研究倫理の問題を一つにつなぐ媒介である。飼育室の水槽の中で起こっている生命現象を丁寧に見るほど、その背景には、季節、温度、水質、生息地、繁殖場所、人間による環境改変が関わっていることが分かってくる。だから、有尾類研究所で生まれた問いは、研究所の内部にとどまらず、野外の環境へ、地域の保全へ、地球規模の生物多様性へ、国際的な研究ネットワークへ広がっていく必要があった。その回路をつくる場として、海外研修が必要になった。
 二〇二六年三月に実施したフィリピン大学との連携研修は、その重要な一歩であった。フィリピンの自然環境、熱帯の生物多様性、大学との連携、現地の研究者や学生との交流は、有尾類研究所で育ててきた問いを、東南アジアの生態系と社会の中で問い直す機会になった。生徒は、学校の中で見てきた生命現象が、熱帯の自然環境、生物多様性、保全の課題、大学での研究とつながっていることを経験した。
 二〇二六年八月に予定しているマレーシアUTHMとの連携研修は、清心女子高校で行ってきたマレーシア研修を、山脇有尾類研究所の文脈で再構成する試みである。かつてのマレーシア研修では、森林調査と国際交流が結びつき、生徒が地球環境問題を自分の問いとして受け止める契機となった。山脇有尾類研究所での研修では、そこに生命科学研究の視点が加わる。環境学習は、生物多様性、保全、発生、生殖、研究倫理を含む総合的な学びへと広がっていく。
 海外研修は、有尾類研究所で生まれた問いを外へ開く場である。研究所の内部で観察してきた生命現象が、世界の自然と他者に出会い、揺さぶられ、深められる。イモリやサンショウウオの研究は、水槽の中の出来事から、野外の環境、生物多様性の危機、地域の保全、国際的な研究協力へつながっていく。生命を扱う研究は、環境と結びつき、環境問題は国境を越え、科学教育は学校の外へ開かれていく。そこに、有尾類研究所が海外研修を必要とする理由がある。

7 遠くへ行くことで、近くが見える ― 海外研修という思想 ―
 生徒の学びは、場所と対象に触れる中で形を持つ。教室でエイズや生命倫理を学ぶときには、身体、性、人権、差別が自分の問題として近づいてくる。実験室で卵や幼生を観察するときには、発生、成長、繁殖という生命の時間が見えてくる。蒜山の森で樹木を測るときには、森林、二酸化炭素、生態系を、測定し、記録し、考察する対象として受け止めるようになる。南西諸島でサンゴ礁やマングローブを見るときには、島嶼環境、人間の生活、自然保護の関係が見えてくる。海外の大学や熱帯雨林に身を置くと、それらの学びは、国境を越えた自然や社会の問題と結びついていく。
 遠くへ行くことで、近くが見える。マレーシアの熱帯雨林を見た生徒は、帰国後、日本の森林を別の目で見るようになる。熱帯雨林の湿度、光、匂い、生命の多様さを経験したあとでは、蒜山の森も、身近な自然というだけでなく、測定し、記録し、考える対象として見えてくる。フィリピンの生物多様性に触れた生徒は、東京の都市環境や学校の小さな自然にも、新しい関心を向けるようになる。海外の大学生とともに調査した生徒は、自分たちの研究活動を、他者と共有できる営みとして考えるようになる。このことは、有尾類研究所で行っている研究にも重なる。有尾類研究所では、イベリアトゲイモリを飼育し、アカハライモリの繁殖戦略を調べ、オオイタサンショウウオの保全を考えている。生徒は、学校の飼育室や実験室で、産卵、発生、幼生の成長、飼育条件、繁殖行動を観察し、記録する。水槽の中で起こる生命現象を丁寧に見ていくと、そこに季節、温度、水質、餌、生息地、繁殖場所、人間による環境改変が関わっていることが分かってくる。生命を扱う研究には、個体への負担、研究の目的、保全との関係を考える倫理も関わってくる。
 海外研修によって、生徒はそのつながりを自分の経験として受け止める。学校の飼育室で見ていた生命現象が、野外の環境と結びついていることを知る。学校の中で行っていた測定や観察が、海外の学生と共有できる方法になることを知る。自分たちの研究が、発生、繁殖、環境、保全、倫理を通して、地球規模の問題とつながっていることを知る。高校生の研究であっても、目の前の対象をよく見れば、そこから大きな世界へ進むことができる。そこから、生徒の中に新しい問いが生まれる。なぜ、この生物はこの時期に繁殖するのか。なぜ、この森林は二酸化炭素を吸収するのか。なぜ、島の生態系は脆いのか。なぜ、異なる国の人々と協働できるのか。なぜ、生命を扱う研究には倫理が必要なのか。学校の中で始まった学びは、対象を見続けるほど、環境へ、社会へ、世界へと広がっていく。
 海外研修は、生徒が自分の学びを世界の中に置き直す経験である。現地で見た自然、出会った学生、聞いた講義、共同で行った調査は、帰国後に、自分の学校、自分の研究、自分の生活へ戻ってくる。マレーシアの森を見たあとに蒜山の森をどう見るのか。フィリピンの生物多様性に触れたあとに、東京の学校の小さな自然をどう見るのか。海外の学生と調査したあとに、自分たちの研究発表をどう変えるのか。そこに、海外研修の教育的な意味がある。
 この意味で、海外研修は、有尾類研究所の思想を外へ開く経験であった。有尾類研究所は、イモリやサンショウウオを飼育する場所であると同時に、生命、環境、倫理、研究、社会をつなぐ場所である。海外研修は、そのつながりを、学校の外の自然や大学や学生との関係の中で確かめる機会になった。この流れの奥には、生命科学の研究以前から続いていた教育の問いがある。私が生徒を島へ連れて行き、森を測らせ、海外でエイズや環境問題を考えさせようとした背景には、知識を受け取った生徒が、それを自分の身体、自分の生活、自分の生き方へどう結びつけていくのかという問題意識があった。その問題意識は、学級通信の中で生まれ、性教育の実践の中で深まり、やがて授業「生命」という形をとっていった。性教育では、身体の知識とともに、自分の身体をどう受け止めるのか、他者とどう関わるのかを考えた。エイズ学習では、感染症の知識とともに、差別や偏見をどう越えるのか、病を抱えた人とどう共に生きるのかを考えた。そこには、人間が自分の人生をどう生きるのかという問いがあった。
 第九章では、学級通信、性教育、そして授業「生命」へと至る流れをたどる。自然体験や海外研修の奥には、生命科学の研究以前から続いていた、人間の生き方を問う教育があった。その流れを見直すことで、有尾類研究所という思想が、科学研究に加えて、人がどう生きるかを問う教育から始まっていたことが見えてくる。

  • 投稿者 akiyama : 19:00
岡潔先生のいう「情緒」とは何か
岡潔のいう「情緒」は、現代でいう「感情」や「気分」とはかなり異なります。  情緒とは、人間が世界の価値を感じ取り、創造へ向かう根源的な働きです。岡潔は、情緒を心理学的な感情ではなく、人間存在の最も深い基盤として考えていました。情緒は「感じる力」である。岡潔は、子どもが花を見て、「きれいだ」と思うことを大切にします。そのとき子どもは、「花弁は五枚である」という知識を見ているのではありません。「美し…続きを見る
数学者の岡潔の「情緒」についての思想
   岡潔は、「情緒が人間を創造的にする」ということを一貫して述べています。ここでいう情緒とは、単なる感情の動きではありません。美しいものに心を動かされること、自然の中で不思議さを感じること、人との出会いに感動すること、生命をいとおしいと思うこと。こうした経験が、人間の内部に「まだ言葉にならない世界」をつくります。その世界が成熟したとき、「なぜだろう」という問いが生まれます。岡潔は、この順序を非常…続きを見る
自由を可能にする教育(スピノザの哲学する自由から考える)
   スピノザは『神学・政治論』で、「哲学する自由(libertas philosophandi)」を抑圧することこそが、国家の平和を危うくすると論じている。この考えは、学校教育にも深く関わっている。国家が人々の思考を完全には管理できないように、学校もまた、生徒の心を完全に管理することはできない。むしろ、管理によって生徒の考える自由を奪おうとすると、教育そのものが内側から壊れていく。  スピノザ…続きを見る
映画『急に具合が悪くなる』を鑑賞
【映画『急に具合が悪くなる』のあらすじ】  パリ郊外の介護施設「自由の庭」の施設長マリー。彼女は、入居者を人間らしくケアしたいという理想を抱きつつも、人手不足やスタッフの無理解に悩む日々を送っていました。マリーは、コミュニケーション・ケア技法「ユマニチュード(Humanitude)」を介護施設に取り入れようとしていました。そんな彼女が出会ったのは、日本人演出家、森崎真理でした。真理が演出するのは…続きを見る
ルソーとアドラーから考える、主体性と共同体の教育
 ルソーの「一般意思」とアドラーの「共同体感覚」は、一見すると、政治哲学と個人心理学という異なる領域の概念です。しかし、どちらも「他者と共に生きる中で、個人の主体性と自由をどのように育てるか」という問いに深く関わっています。この二つの思想を手がかりにすると、現代の学校教育、とくに管理や一律化に傾きがちな教育を見直すための重要な視点が見えてきます。  ルソーは『エミール』の中で、子どもを育てる際に…続きを見る
有尾研という思想 ⑨学級通信「ぼうぼうどり」から授業「生命」
⑨ 学級通信「ぼうぼうどり」から授業「生命」 ― 生き方を問う教育の出発点 ― 1 関係から始まった教育  私の教育実践は、一九八三年に清心女子高校に赴任し、最初の年に高校一年生の担任を持ったところから始まった。赴任した学校は、伝統ある、しつけの厳しいカトリックの女子校という印象であった。  当時の高校現場には、いま振り返ると独特の緊張感が漂っていた。一九八〇年代は校内暴力といじめが社会問題化し…続きを見る
有尾類研究所という思想 ⑤研究倫理 
⑤ 研究倫理 生命を扱う研究を成立させる判断の技術 1 研究倫理とは何か ― 生命を扱う研究の出発点 ― 観察だけでは、科学は成立しない。自然を見つめ、そこに規則性を見いだし、問いを立てることは、科学の出発点である。しかし、生命科学においては、観察の対象が単なる物質ではなく、「生きているもの」であるという一点において、他の自然科学とは異なる重さをもつ。生き物は、研究者の好奇心を満たすために存在し…続きを見る
① Education as the Practice of Sustaining the Conditions for Having Questions
1. What Is an Education That Enables Students to Continue Holding Questions? Having spent many years in the field of high school education, I have continued to ask myself how, as a teacher, I should …続きを見る
An Introduction to <i>The Philosophy of the Urodela Research Labratory</i>
I would like to introduce the book I am currently writing, The Philosophy of the Urodela Research Labratory. First, I will explain why I decided to write this book at this point in my life. The reaso…続きを見る
有尾類研究所という思想 ①教育は問いを持ち続ける条件を整える営み
① 教育とは、問いを持ち続ける条件を整える営みである 1 問いを持ち続ける教育とは何か  私は、高校の教育現場に長く身を置きながら、教師としてどのように生徒と関わるべきかを問い続けてきた。その過程で、サンショウウオやイモリといった有尾両生類を対象に、繁殖の研究とその教材化に取り組んできた。  私にとって研究とは、専門家としてだけ取り組むものではなかった。理科の高校教師として生徒と過ごす学校生活の…続きを見る
『有尾類研究所という思想』 この原稿を書き残す理由
『有尾類研究所という思想』という、この原稿を書き残す理由 1 SSHに関わった二十年 私は一九五六年に生まれ、高度経済成長の時代に幼少期を過ごし、一九七九年に大学を卒業して、学校教育の現場に身を置くことになった。高等学校の理科教員として約四十年間勤務し、そのうち二〇〇六年度以降の二十年間は、文部科学省スーパーサイエンスハイスクール事業(SSH)に関わってきた。最初の十年間は清心女子高等学校でSS…続きを見る
『有尾類研究所という思想』の内容と目次
新年度を迎え、これまで文部科学省のSSH(スーパーサイエンスハイスクール)事業において、支援をいただきながら開発してきた教育プログラムの構築過程を、原稿(このこのホームページに公開するだけになるかもしれません)にまとめようと思い立ちました。 今年で70歳になります。世間では「老害」と揶揄されることもある年齢かもしれませんが、来年3月で教育現場を去るので、誰かに参考にしていただけることがあればいい…続きを見る
スピノザのいう自然権とは
ます、スピノザの自然権を理解するために『神学・政治論』の第16章の2節から5節をまとめてみます。 第16章 2節 自然権とは「各個物の力の及ぶ範囲」である。 スピノザはまず、「自然の権利」とは何かを定義します。ここでいう自然権とは、道徳的に正しい権利や、人間社会の法律上の権利ではありません。自然の中に存在するすべての個物が、自分の本性に従って存在し、活動する力そのものを意味します。 たとえば、魚…続きを見る
恩原湖付近の水田風景(雪解け)
先月、恩原湖を訪問した際には、残雪によって水田は完全に覆われていました。そこから14日が経過し、雪はすっかり解けていましたが、現れた水田は休耕田となり、枯れた草に覆われた状態でした。5年前に最後に訪れたときには、春には水が張られていましたが、耕作されていた方が亡くなられた後、放棄されたようです。 この場所を訪れると、雉に出会ったり、水田の脇でシュレーゲルアオガエルが白い泡状の卵塊を産んでいたりと、…続きを見る
「高度経済成長の熱気」と共に育ち、成熟社会への転換点で社会へ出た世代
1956年に生まれ、1979年に大学を卒業した私は、「高度経済成長の熱気」とともに育ち、成熟社会への転換点で社会に出た世代である。1956年は、フランクルの『夜と霧』という「意味への意志」を問う名著が日本に紹介された年でもある。激動の25年を経て、「変わっていく時代に何を信じればよいのか」「教育は何のためにあるのか」、そして「これから残された人生をどのように生きるのか」という問いに向き合わざるを…続きを見る
「自分のためだけに、ただ全力を出す」生き方
 映画アニメ『ひゃくえむ』は、2025年に公開された作品で、100m走に取り組む選手の生きざまを通して、その「才能」「努力」、そして「何のために生きるのか」という根源的な問いが扱われていました。  物語の主人公は、生まれつき足が速く、100m走で常に1位を走り続けてきたトガシです。彼にとって「速さ」はアイデンティティそのものであり、周囲を見下す唯一の根拠でもありました。しかし、理論派で執念深い小…続きを見る
山脇有尾類研究所事業報告(2025年度)
山脇有尾類研究所は、2024年度のSSH指定に向けた準備組織にとどまるものではなく、「女子校から世界の科学舞台へ」という大きなビジョンを具現化するための、科学教育の新たな拠点として機能している。本研究所は、高校生の科学研究を支える存在として、次の三つの役割を担っている。 第一に、「真正な科学研究」の実践の場としての役割である。従来の高校の授業や部活動の枠を越え、大学の研究室に匹敵する「オープンラ…続きを見る
人間にとって、希望を失うことの意味
V・E・フランクルの『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)のp132より 当時私がいた棟で最年長だった人が私に話してくれた。・・・ 彼は、奇妙な夢を見たというのです。「2月の中頃、夢の中で、私に話しかける声が聞こえて、なにか願いごとをいってみろ、知りたいことを聞いてみろ、ていうんだ。答えてやれる、未来を予言できる、ていうんだ。そこで、私は聞いたんだ。私にとっていつ戦争が終わるんだって。わかるかい…続きを見る
パワラン島でシュノーケリングを体験
 世界自然遺産の地下河川を巡った翌日、マニラへの帰路につく前日の午前中は、パラワン島が誇るもう一つの魅力である「豊かな熱帯の海」を満喫しました。パラワン島周辺の海は、世界的な環境NGOなどからも「生物多様性の最後の砦」と称されるほど、極めて透明度が高く、豊かな海洋生態系が残されていることで知られています。 1. 海の真ん中の「人工浮島」から、エメラルドグリーンの水中世界へ  まず私たちが訪れたのは…続きを見る
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