• ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室
  • ぼうぼうどりの生物教室

ChatGPT Image 2026年7月23日 13_18_55.png

山川さんは、台湾で自然農法の先生のお宅を訪ね、そこで「一般に畑の野菜、ナスやトマトに虫がついて食べたりするけれども、何故だかわかりますか」と聞かれたそうです。
「それはその野菜が好きだからでしょう」と山川さんは答えました。
しかし、自然農法の先生は、そうではなく、虫が本当に好きなのは草だと言われました。
自然農法では、作物が育つ間は、自然に育ってくる草を刈らないそうで、作物と同じくらいに草が伸びると、虫はトマトやナスに見向きもせず、草を食べるそうです。
それを知らずに草を刈ってしまうから、虫は止むを得ず野菜を食べてしまうそうです。
しかも、虫の好みも様々で、種類によって草の好物が違い、したがって無駄な草は一つもないということだそうです。
山川さんは、この話を聞かれて、僧堂でも一般社会でも、人を指導する上では同じであると、目から鱗が落ちる思いでした。
自然では雑草や虫でも一つとして無駄なものはなく、「お前は気に入っているから、ここにいなさい」、「お前はこの場所に合わないから出ていけ」、といったような発想は、実はなにも育てていないということになると、おっしゃっておられます。
人生も同じで、苦しいこと、嫌なことがあったとしても、この出来事には、何か意味があると受け止めて、味わっていくことが大切とのことです。
禅の世界では、こういうことを「現成受用」というそうです。
現成とは自然がいつの間にか作り上げたもので、それは素直に受け入れるべきもので、排除すべきではないという教えだそうです。
生きていく上では、いろいろな出来事が起こります。
これはキリスト教や儒教にもあるそうですが、天はその人が担える試練しか与えない、十分耐えられるから、苦しみながら生きていられることができ、耐えられなければ、死んでいるはずであると、山川さんは言われます。
禅の発想とは、苦しい状況に遭遇したら、自分はそれだけで大きな人間だと考えて、黙って受け入れて前を向いていくことだそうです。

  • 投稿者 akiyama : 13:13
映画『急に具合が悪くなる』を鑑賞
【映画『急に具合が悪くなる』のあらすじ】  パリ郊外の介護施設「自由の庭」の施設長マリー。彼女は、入居者を人間らしくケアしたいという理想を抱きつつも、人手不足やスタッフの無理解に悩む日々を送っていました。マリーは、コミュニケーション・ケア技法「ユマニチュード(Humanitude)」を介護施設に取り入れようとしていました。そんな彼女が出会ったのは、日本人演出家、森崎真理でした。真理が演出するのは…続きを見る
恩原湖付近の水田風景(雪解け)
先月、恩原湖を訪問した際には、残雪によって水田は完全に覆われていました。そこから14日が経過し、雪はすっかり解けていましたが、現れた水田は休耕田となり、枯れた草に覆われた状態でした。5年前に最後に訪れたときには、春には水が張られていましたが、耕作されていた方が亡くなられた後、放棄されたようです。 この場所を訪れると、雉に出会ったり、水田の脇でシュレーゲルアオガエルが白い泡状の卵塊を産んでいたりと、…続きを見る
アニメ・キングダムに登場する「羌瘣」という存在が投げかける教育論
『キングダム』に登場する羌瘣(きょうかい)は、単なる強い剣士ではありません。彼女は、教育とは何を育て、何を切り捨ててきたのかを象徴する存在として読むことができます。 羌瘣の出自である蚩尤(しゆう:伝説の暗殺者一族の称号)の文化は、「個体最強主義」を極限まで純化した社会です。そこでは、同世代の子ども同士を本気で殺し合わせ、生き残った一人だけが次代を継ぐ仕組みが取られています。感情は排除され、弱さは否…続きを見る
トリカブトは「悪」であると簡単に決めていいのか
トリカブト(鳥兜)は、キンポウゲ科トリカブト属の多年草で、日本の山地の林縁、沢沿い、湿った草地に分布してます。美しい花を咲かせる一方、植物界でも最強クラスの毒性をもつことで知られています。 名前の由来は、花の形が、昔の武将がかぶった「鳥兜(とりかぶと)」に似ていることからです。草丈は50~150cmほどで、葉は手のひら状に深く裂け、花は紫~青紫(種により白や黄も)、上側の大きな萼片があることが特…続きを見る
誰も耳を傾けない学校の話・生徒の科学研究は何故進まないのか。
Facebookで情報発信を続けていると、反応の傾向がはっきりと見えてきます。 ペットや食事、イベントといった話題には多くの「いいね」が集まる一方で、自分の意見を交えた投稿になると、読まれる数は一気に減ります。YouTubeで自分の好きな音楽を紹介しても、反応はほとんどありません。 学校教育が将来の社会を形作る上で極めて重要であるにもかかわらず、教育改革について解説した記事を書いても、ほとんど反…続きを見る
化学グラコン・審査委員長賞「2つの能力を野生酵母菌に求めて」
パソコン内のファイルを整理するためにあれこれと見返していたところ、『高校化学グランドコンテスト ドキュメンタリー 高校生・化学宣言 part 6』という本に掲載するために、生徒が当時書いた原稿が見つかりました。そこで今回、内容に大きく手を加えることはせず、簡単な校正を行ったうえで公開することにしました。 なお、ここに示す文章は、生徒自身が研究の歩みを振り返って書いた原稿です。そのため、書籍に掲載さ…続きを見る
デンマークでの人々の生き方と社会の仕組み
『第3の時間』井上陽子著を読んでいます。本書は、39歳でデンマークに移住した著者が、そこで出会った「短時間労働でありながら豊かな暮らしを実現する人々の生き方」と、それを支える社会の仕組みを紹介した一冊です。 著者が提示する「第3の時間」とは、時計で測られる「第1の時間(客観的・社会的時間)」でも、心の流れとして感じられる「第2の時間(主観的・心理的時間)」でもなく、「質としての時間」を指します。そ…続きを見る
藤井風「帰ろう」、「満ちていく」、「prema」そして、「grace」
藤井風は、岡山県浅口郡里庄町から、岡山市東区にある岡山県立岡山城東高校(2015年度入学:音楽学類ピアノ専攻)に通っていた。私の息子(2004年度入学)も娘(2007年度入学)も、同校に毎日自転車で通学していた。藤井風もまた、里庄から東岡山まで、約50kmの道のりをJRで1時間かけて通っていたのだろう。 里庄は、教え子の息子が小学生の頃からサンショウウオの研究について相談を受けており、何度か訪れ…続きを見る
「鉄の檻」から人は出られるのか
3.「鉄の檻」から人は出られるのか ウェーバーは、楽観的な脱出路をほとんど示しません。彼が見ていた未来は、官僚制の肥大・専門分化の加速・価値の多神教(価値が統合されない世界)でした。 しかし、彼は一つだけ希望の火種を残します。 4.それでも可能な「抵抗のかたち」がある ① 「価値に殉じる覚悟」を引き受ける個人 ウェーバーは、「神々の闘争の中で、どの神に仕えるかを選べ」と言います。つまり、すべてを…続きを見る
マックス・ウェーバーの「鉄の檻」の中に住むのは誰か
マックス・ウェーバーの言う「鉄の檻(stahlhartes Gehäuse)」とは、合理化が極限まで進んだ近代社会が、人間の生を目的合理性・制度・規則・効率で包囲し、逃げ場のない構造になってしまうことを指します。では、その檻の中に「住む」のは誰なのか、そして人はどうなっていくのか――この問いを段階的に考えてみます。 1.「鉄の檻」に住むのは誰か ① まず住むのは「近代人すべて」 ウェーバー自身が…続きを見る
HP「ぼうぼうどりの生物教室」からの学校教育への提言
「ぼうぼうどりの生物教室」は、学校における生物教育・科学教育が、本来もつはずの〈探究する力〉〈生命に向き合う感性〉〈学びを社会とつなぐ力〉を、現場から回復・再構築することを目指した実践記録の場である。 そこでは、授業や部活動、SSHにおける科学研究指導が、単なる成果主義やイベント的発表に終わるのではなく、試行錯誤を含めた「教育実践の記録」として蓄積・共有されることが重視されている。教育は個人の経…続きを見る
山脇有尾類研究所内での研究成果の発表会
4月に入学した中学校1年生および高校1年生が、毎日のように有尾研に通い、飼育や観察に取り組んできました。そうした活動の中で、徐々に研究の方向性が見えてきたことから、情報を共有する目的で発表会を計画しました。 中学校1年生は、サンショウウオの繁殖地となることも視野に入れたビオトープ造成に関わる研究を発表しました。高校1年生は、ビオトープに放流しているオオイタサンショウウオについて、飼育下における幼…続きを見る

ReserchMapの内容を更新

2025年12月25日

ReserchMapの内容を更新
ReseachMapの所属が「南九州大学」のままだったので、「山脇有尾類研究所」に変更しました。 公開されているプロフィールも校正しました。 高校教育の現場において約30年以上にわたり、サンショウウオやイモリなどの有尾両生類を研究対象とした生物学研究と教材開発を継続してきた。これらの研究成果を基盤として、高校生による科学研究を学会発表や JSEC(高校生科学技術チャレンジ)、学生科学賞等へと発展…続きを見る

おわりに

2025年12月18日

おわりに
問いはこれからも続く 全9回にわたる回想録を書き終えたいま、私の中に残っているのは、達成感よりも、静かな確認のような感覚です。 ――自分は、問いから逃げずに歩いてきただろうか。 その問いに対して、「少なくとも背を向け続けてはいなかった」とは言える気がしています。 教育者として、何を残せたのか。 この問いに、明確な答えはありません。 知識や制度、肩書きは、時間とともに更新され、忘れられていきます。…続きを見る
第9回(最終回) 置かれた場所で、問い続ける
教育者として、何を残せたのか 2016年11月、私は1983年から勤務してきたカトリック系中高一貫女子校を退職した。 その翌月、長く学園を導いてこられた理事長、シスター渡辺和子が逝去された。 一つの時代が、静かに幕を閉じた。 そう感じた。 シスター渡辺の著書『置かれた場所で咲きなさい』は、多くの人に読まれた。その言葉に救われた人も少なくないだろう。だが、私はこの言葉を、単なる励ましとしてではなく…続きを見る
第8回 理系女子を育てるということ
性教育からSSHへ、一本の線でつながった実践 生命科学コースやSSHの話をすると、しばしばこう言われる。 「ずいぶん先進的な取り組みですね」 しかし、私自身の感覚では、それは「新しいことを始めた」というよりも、「ここまで来てしまった」という表現の方が近い。 性教育、エイズ学習、翻訳という授業、授業「生命」――。 振り返れば、私の実践は常に、「生徒が自分の生き方を考えるための材料をどう用意するか」…続きを見る
第7回 女子校は、なぜ必要なのか
リーダーシップが育つ場として 「今の時代に、女子校は必要なのでしょうか」 1990年代半ば以降、学校関係者の間で、何度となく耳にした問いである。少子化が進み、共学化や校名変更、コース制導入といった改革が次々に行われる中で、女子校は「時代遅れの存在」と見なされることも少なくなかった。 実際、岡山県内の私立高校24校のうち、女子校は2校のみとなった。全国的に見ても、女子校はもはや少数派である。男女共…続きを見る
第6回 「生命」という授業をつくった理由
答えを教えない授業の試み 「その授業では、何を教えるのですか」 授業「生命」を立ち上げたとき、何度もそう聞かれた。 そのたびに、私は少し言葉に詰まった。なぜなら、「これを教える」と一言で言える内容ではなかったからである。 1990年代、日本社会は大きな転換期にあった。リプロダクティブ・ヘルス/ライツが国際的に議論され、女性の生き方や人権をめぐる考え方が、ゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。…続きを見る
1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

このページの先頭へ